かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

音楽という趣味(ギター蒐集篇)

 音楽全般を趣味としてわりかしたのしんでいる。
 始まりは中学生の頃。
 それ以前から音楽はそこそこに好きで、あとから周囲の話を集めるに、どうやら基本的に「聞こえる」タイプだったらしい。

 この「聞こえる」(逆の立場は当然「聞こえない」)というのはごくごく便宜的な形容で、当面ほかにいいようもないのでそう表現しているんだが、実際そういう体質めいたものはあるようだ。
 たとえば、ヒーロー番組の主題歌ひとつにしても、ア・カペラ、つまり歌だけで押すってのはほとんどない。てゆか、そういう主題歌は不勉強にして知らない。元祖『宇宙戦艦ヤマト』の初期には、勇壮なラッパの吹奏ではなく ささきいさお氏のア・カペラから入るバージョンが使われていたと思うが、それとて冒頭から「~旅立つ船は 宇宙戦艦」までで、「やー・まー・トー!」のところからがっつんと演奏(伴奏)が入る編曲だった。
 まあとにかくヒーロー番組の主題歌だって、伴奏つうものがあるわけでね。そしてほとんどの場合は、前奏だってあるわけですよ。いわゆるイントロね。
 ところがね、当時の小学生だと、特に男子は、イントロとか気にしねえのな。てゆか、もうこれがマジで耳に入っていない残っていない、つまり「聞こえない」っぽい。“音楽”は歌だけで、歌以外は「あーなんか音してるな」ぐらいに認識していたものらしい。
 だからヒーロー番組の歌をみんなで歌おうなんてことになった時、俺がイントロから「♪ドン・だばぱぱーだばぱぱーだばぱぱーぁーちゃっ! ででどどでどででででどどでど」とかやると「なにそれ」と笑われた。(ちなみに曲例は初代ウルトラマン
 じゃあどうやって歌うんだっていうと「せーの! むねーエにぃー つけーてるぅー」。せーのですか。せーの。あぁそーですか。

 イントロの旋律ですらそうだから、これが和音となると、もはやいやはや。
帰ってきたウルトラマン』の終わりの部分が上向と下向にパート分かれしてハモるっつっても、ぜんぜんわかってもらえない。「へー、そうなんだ」と流してくれるひとはまだマシで、ひどいのになると「おまえミミおかしいんじゃねえか?」とか言い出す。いやおまえの耳の方がよほどどうかしてるぞアレが聞こえないなんて。
 でもオトコノコの間では、むしろそういうタイプの方が多かったのだ。俺の周囲だけでの話かもしれんけど。だもんで、「聞こえる」立場としては、わりと針のムシロ的な感があった。俺だけ違うもん聴いてるんじゃねえか、とゆう。
 そういえば太陽を描くってのにも俺は躓いたんだったな。
 みんな赤でぐりぐりっとマル描いて塗りつぶして「たいよう!」っていうのな。そんな太陽、見たことねえよ。せいぜい夕方に橙色になるぐらいで、真っ赤な太陽なんかが中天にギラギラ輝いてたら地球終わりかよって感じだろうよ。俺は白で塗って「あれーおかしいなーみえないなー」と悩んでいた。(少し成長したのちに「そうか空を青く塗り潰して太陽だけ白く残せばいいのだ」と気づく)
 それで「あかいたいようは、へんだよ」と言うと、たいがい半端な科学知識を持ち出すやつがいて、「たいようはもえてるんだ。もえてるからあかいんだ」となる。
 いやそれくらい俺だって知ってるって。でもその火からして赤くねえだろが。マッチの火は橙色から黄色っぽい感じだし、ガスの火は青い。時々橙色(※不完全燃焼の可能性があるので注意)。
 そこで「もえてるのはしってるけど、あかくないし、ひ もあかくない」っていうと、まあだいたいスネ夫的なポジションのやつがしゃしゃり出てきて、「こいつおかしいよ、ひ があかくないっていった!」となり、「ひはあか!」「もえてればあか!」「だからたいようもあか!」もう収拾がつかない。
 というわけで、こどもに中途半端な知識を与えるのはよくないと思う。教えるなら徹底的にやれ。でないとちゃんと見ているこどもが迷惑だ。
 この辺のエピソードは後日、マンガ家の沖倉利津子さんがもろそのまま作品に描いていらして、「ああ俺だけじゃなかったんだ」と安堵した……が、それは当の経験から十年ぐらいあとのことになる。(それにしても沖倉さんの作品は「見てたのか? 見ていてくれたのかー!?」っていいたくなるぐらいホントそのまんまで救われたなあ)

 ……じゃなくて、音楽の話をしたかったんだよ俺は。
 齢を取るとどうも話がとりとめなくなっていけない。
 とにかく「聞こえる」側であったらしい。昔から。
 なので、中学生となり縁に恵まれて実際に音楽を始めるずっと以前から、とりあえず適性はあったっぽい。もしかすると今より才能があったかもしれん。
 おおもとをたぐれば『人造人間キカイダー』のジローがかっこよかったから親にねだってギターを買ってもらっていた(が当時にはいろいろ無理があって投げ出した)辺りが始点なんだろうが、実際に積極的に動いたのは中学一年の夏休み。
 きっかけがあってフォークソングを聴くようになり、影響されて今度は真面目にギターを弾くようになり、恩師と私淑する先生からお声をいただいて二年にあがる時に合唱部へ入り、ここまできたらと吹奏楽部にも入って、卒業時にはサキソフォンのパートマスターに成り上がっていたから、それなりに器用だったものと思われる。
 なお現在も体重20kg近い息子を片腕で抱きあげたり肩車でひょいひょい歩いたりする程度には筋力があるのだが、この筋力の土台は中学一年から二年の六月頃まで在籍した剣道部の時代に培った。その後二十歳の頃と三十代半ばに補強という感じで筋力を鍛えたが、あくまでも土台は剣道部時代にできたと思っている。竹刀は中学に入って初めて握ったわけで(たまたまクラス担任の先生が剣道部の顧問だったので入部したのだ)、やるやつは小学生の頃からみっちりやっていたから、レベルが違い過ぎた。そこで、追いつくことは無理でも取り残されないようにするには基礎体力の鍛練しかないと考え、毎晩二キロ走ったり素振り何百回やったりした、その結果筋力がついた。若いひとはそれくらいの時期にからだをつくっておいた方がいいと思う。その後何十年かはそれで押し切れる。
 ……じゃなくて、音楽の話をしたいんじゃないのか俺は。
 齢を取るとどうも話がだらだらとしてしまっていけない。

 音楽を趣味としてたのしむといっても、いろいろな方向性がある。
 当人のスタンスとして、リスナーであるかプレイヤーであるか、というものがある。
 また、単に好き嫌いで聴くのか、批評家的に聴くか(≒主観的であるか客観の要素も含めるか)、という違いもある。
 コレクター、つまり関連アイテムを集めるのが好きなひともあるし、情報コレクター、ブツにこだわらず音楽やミュージシャンの変遷とか関係性とかをこと細かに調べ上げるのが好きなひともある。音を聴くひともあれば歌詞に注目するひともある。
 ジャンルという要素もある。やはり各々に心地よい(これは必ずしも安らぐという意味ではない為念)音は違うからね。リズムだけでハッピーになれる、というよりリズムでなければトべないひともいれば、和音の響きでうっとりするひともいる。
 楽器の音色だって、音楽の“種類”により違ってくる。
 フルオーケストラに入るサックスの音と、ジャズのビッグバンドのそれ、フリージャズの、アメリカンポップスの……全部違うわけだよ求められるもの(あるいは表へ出したいもの)が。どういう音が心地よいか、それはジャンルによっても変わるってこと。

 そういえば先日、家の前に懐かしのチンドン屋がやってきたのよね。
 あんまりにも懐かしくて、思わず部屋から飛び出しスニーカーのかかと踏み潰して追いかけちゃったよ。ってガキか。いやガキの頃に戻されたんだろうなやっぱな。昔は延々とうしろを追いかけてって気がつくと「アレここどこ?」とかふつうにあったからな。(あぶないなあもう)
 このチンドン屋さんは若いひとたちで、どうも雰囲気からして若いひとたちが失われつつある“文化”に着目し復活をひっそり目論んでいる的な印象があった。見た目、つまり化粧や衣装も極力“当時”を再現し(ゴム長まで履いてたもんな尊敬したよ)、口上だってちゃんと研究していた。泣きそうになったぐらい、素晴らしかった。
 だが。
 残念なことに、主役たるサキソフォンの音が、チンドン屋ではなかった。
 どうもクラシック畑から基礎しっかり身につけてきたひとが吹いていたようで、ポルタメントを多用してチンドン屋的な下品さを出そうとしているっぽかったが、どうしても上品なんだよねえ音自体が。
 リードも多分硬めのやつを使ってるんだろうなあ、音がまろやかで美しい。薄いリードで一日一枚割り切り御礼、やたら平べったい音でビョーと吹かねばチンドン屋の音ではない……と思う。時には腹式呼吸ではなく頬で加減してブオッと鳴らすような下卑た真似こそチンドン屋の奥義、とまでいうとなんだかバカみたいだが、まあチンドン屋さんってのはそーいうもんです。
 でも、奏者の方を責める気にはならないし、責めるのはおかしいわけだよ。
 奏者の方には、やはりどうしてもその方の心地よい音があるわけで、そこから外れるのは気分がよくないだろうと思うし、休憩はあるにせよ一日吹いて歩くんだから、最初こそ“演技”していても、そのうち地が出る。それが上品でどこが悪いものか。
 そういう具合に、「好きな音」「出せる音」ってのは、それぞれにあるって話。

 そんなわけで、単に「音楽が趣味」といっても、その方向性は散り散りバラバラで。
 ひとりの個人の中にあってもそれはさまざまな要素を含み、となるとふたり三人と集まったら、もうぜんぜん違うものを扱っているようなことになるのよね。
 そんな状況がある上で、だ。上で、じゃあ俺がどんな具合に音楽を趣味として扱っているのか、そのひとつの例として……と、そういう話を展開したかったんだけどね。

 いい加減疲れてしまいましたあ。
 続き、になるかどうかわからんが、とにかく今日の本題になるはずだった「やっぱ安いギターって音が安いよね」って話は、もう放り出すことにした。
 いや実際にね、個体差が激しいわけでねギターの音も。そしてそれは、少なくとも俺が実際にじっくり弾いてみたギターにおいては、値段とちゃんと関連している。
 じゃあ具体的にはどこがどう、ってのがね。書きたいなーと思ってたとこなんだけど。
「聞こえるひとには聞こえる」「いい音の規準はいろいろある」「でもそれは絶対じゃないし、安い音でも活かしどころはある」とかの下地を延々続けたらぐったりしちゃった。
 なんかこうアレだな俺はいつもそーいう具合に序説ばっかりやっていつまで経っても本論に入れない体質なんだよな。
 これもやっぱ幼少の頃からの経験、「見聞きしている世界が全員違う」「だから話を通じさせるためには土台づくりが必要」っていう経験のせいなんだろうかな。
 まったくもう面倒くさいったら。(俺自身という在り方が)
 それもこれも齢を取ると(以下略