かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

硬質な線――桑田二郎氏

 マンガ家の桑田二郎氏が亡くなられた。

 自分にとっては、たとえば石ノ森章太郎氏が今も石森章太郎であるように、桑田氏もまた二郎ではなく次郎だ。
 出会いは1969年。『週刊ぼくらマガジン』に創刊号から連載された、平井和正原作による『デスハンター』になる。
デスハンター』は、さまざまな意味で俺の人生の一大イベントになった。
“マグナム拳銃”なるものを知り、オートマチック拳銃の存在を知ったのは『デスハンター』からだったし、少年期後半に平井作品にハマり、おおいに感化されて傾倒した人間ダメ論も、俺にとっては『デスハンター』のノベライズである『死霊狩り』から始まったものだ。
デスハンター』のラストに深い興味と感慨を抱き、これが小説ではどのように描写・表現されているのだろうと大きな期待をもって『死霊狩り』を読み始めたので、その呆気ないラストにいささかならぬ肩すかしをくった記憶もあるんだけれどね。(そしてそれゆえにこそ平井氏の他作にも手を伸ばしたのでもある)

 桑田氏の硬質な絵柄が好きだった。
 自分でも多少の絵を描いてみて、その絵柄の特異さとトレースの困難を知った。
 桑田氏が表舞台で盛んに活躍されていたのは1980年頃までと記憶する。その後は宗教的な方面へ向かわれ、一般的なエンタテインメントからは距離をおかれたようだ。
 作品が多いのはやはり1960年代半ばから十年ほどの間らしい。
 この時期のマンガでは、日本という国の経済的・技術的な事情もあったのだろう、ハーフトーンの表現に作家ごとの個性があったと思う。
 マンガは根本的に単色の凸版印刷(社名ではなく技術の方)で印刷された。だからハーフトーンは、厳密には存在しない。ハーフトーンを描きたい時には、点や線を用い、サイズや密度の加減でソレっぽく描くしかない。
 1970年代後半からはいわゆるスクリーントーンが普及し、ハーフトーンも容易に表現できるようになったが、それ以前はとにかく手作業だったようだ。
 このテクニックにおいて、桑田氏の絵柄には唯一無二といってよい質感があった。

 それはたとえば、太さの異なる線を効果的に使い分けたり、その量や密度を制御したりするセンスと技術に因るものなのだが、桑田氏の場合のそれは、後進には容易にまねできないものだったと思う。
 それら線群は基本的にフリーハンドで描かれていた。だから、定規で引く線とはまったく異なる質感を備える。だがフリーハンドにもかかわらずその角度やインターバルは定規で測ったように一定で、鋭かった。
 基本的にそれらはほぼ直線で、曲がるとしても曲率が低い。だから自然と絵柄全体は、多くの方々がそう感じられる通り、硬質になる。
 これはメカニック、特に銃器の描き方に、効果的に現れていたと思っている。
 個人的にはメカ三傑といえば桑田氏、(故)望月三起也氏、松本零士氏なのだが、この三者が描く銃器は、誰でもひと目で「あ、これはあのひとの」と区別がつくものだ。
 望月氏は定規を多用した。キャラクターや背景のタッチが手描きの豊かさ、やわらかさ(時に曖昧さ)を多く備えていたのに比べ、ここぞという場面での銃器にはシャープな定規の線が用いられ、これが鉄の硬さや冷たさ、作動音の歯切れのよさまで伝えてくれた。
 松本氏の絵柄はほぼその正反対の位置にあって、銃器はいうに及ばず戦車や火砲、宇宙船に至るまでが生物的な質感を備えている。生物キャラクターとメカニックが連続的に繋がっていて、境界線がない。そこに独特の艶かしい世界観がある。
 この両者の中間にあって、基本的には望月氏側、つまりメカはメカとして、異物として扱いながら、しかしそれが「いきもの(人間)がつくったもの」という枠からは外れず、つまりは人間の業を宿したナニカという印象を備えていたのが、桑田銃器だった。

 そう、それは絶妙の硬度を備えていた。
 たとえば望月銃器は、弾薬の発射により陽炎を立てるほど熱くなったとしても、ひとに握られることによって体温を吸い、あたたかくなることはない。ひとが握っていても、それはあくまでも道具であり、ひとが宿るものではない。
 一方で桑田銃器は、むしろ火薬の熱は反映しない。しないが、ひとの体温は吸収する。それでいて松本銃器のような生物感はなく、あくまでも道具の域を越えない。
 その違いは、銃器の質感を描写する線の質にあったのだと思っている。
 そして、そういう線が引けるひとは、その後に現れてこなかったとも。
 唯一無二の描き手であったのだ。

 ところが、これが不思議なところなのだが、一方で人間や生物には温かみがない。
 初期といえる時期、具体的には『8マン』までにはそれもあったように思うが、特に銃刀法違反からの復帰後には、人間さえ硬質になっていた。
デスハンター』において、シャドウの立ち姿はあくまでも石像のようだったし、『カワリ大いに笑う!』でもカワリたちは、全員が半機械人のように見えた。
 カワリたちの制服などは、布ではないようにも見えた。
 この辺りは少女マンガと分類される作品群と比較するとわかりやすいかもしれない。少女マンガの手練は、キャラクターのまとう服の素材を描き分ける。絹を着る者、綿を着る者。「あっこいつ絹のフリして化繊」という差まで描き分けるひともある。
 だが桑田氏においてはそういう質感はなく、服はしばしば金属同様に描かれていたりもする。(そういう設定だったのかもしれないが)
 これはひとの肌にも反映されていたと思う。
 桑田氏の描く人物を構築する線――輪郭や目鼻の各パーツをなぞる線、表情を端的にあらわす皺などの、ごく限られた“主線”は、鉄を描くのと同じ硬質さを備えていた。
 だから桑田作品に描かれるキャラクターには、怜悧とか一途といった、曲線的要素の少ない性格を感じる。時に氏は、妹とのじゃれ合いに興じるフルハシ隊員(『ウルトラセブン』)や、ズボンとシャツを間違えて着てしまう林石隆(『デスハンター』)などの、おおいに人間味のある場面も描きはするものの、それはあくまでも寄り道であって、桑田作品の本筋ではなかった。だからそれらの人間味は、全体の構築からすると、どうしても浮いた印象を備えてしまう。

 これは当時の桑田作品の弱点ではあった。
デスハンター』でのリュシールが拷問を受けたあとの容貌は確かにショッキングだったし、引きちぎられたイワノフの首も強烈だったが、生物感には乏しかった。解剖図を見ているような、単なるオブジェを見ているような印象があった。
 後日に、人間は死体またはパーツになると本当にオブジェ化してしまうことを知るが、そしてそれが実に恐ろしいことであると知るが、誌面で桑田氏の描く破壊された人体を見る限りにおいては、それはたとえば血や内臓の生臭さは感じない、単純に人間とは異なる物体になっていた。
 だから、『デスハンター』のラストシーン、さすがに衣類までは回復させられず生身ばかりを再構築し、つまり全裸で立つことになる“デス”の姿を見ても、そこにエロティシズムは感じなかった。一方、たとえば永井 豪氏や手塚治虫氏らの描くキャラクターは、着衣で立っているだけでもエロティシズム爆散である。まして全裸ともなったら心拍数は一気に増加。なのに桑田氏の描く全裸には、オブジェとしての美はあっても、生々しい感じはない。
 要するに、全体のタッチがそもそもオブジェ寄りだったのだろう。

 のちに平井和正の小説群を読むに、『デスハンター』で桑田氏は、それでも限界まで生々しさへ迫ろうとしたのではないかと思うようになった。
 平井作品は常に体感的だった。物語自体がエロスとタナトスの間に揺れ、また壊れやすい器を備えているゆえの人間の不安や不信、そんな存在が生み出した文化や文明なるものの不完全を描いていた。どうしようもなく不細工な肉の器に閉じ込められた魂の煩悶が、常に背景としてあった。
 平井作品に描かれるのは、懊悩する魂だ。『サイボーグ・ブルース』(『8マン』の翻案)では、超高性能な機械のからだに封じ込められた脳髄とそれが備える人格を、繰り返し“悪霊”と表現していたが、それは逆説的な魂の肯定であって、そして平井作品で描かれる魂とは、肉が生み出す歪み、肉を離れては存在し得ないにもかかわらず脆弱な肉の限界を越えて己を求め続ける欲望の根源であって、つまり生々しさ極まるものだった。
 それらは桑田作品の硬質とは対極にあるものだ。
 だから桑田氏は、平井氏の中心を描き切ることはできなかった。

 もちろん、平井氏の備えるハードな土台と筋立て、それを実現する激しいアクションの魅力は、桑田氏の筆で、文字通りにかたちを得た。他作家らによってマンガ化された作品群とはまったく風合いの違う、まさに合作といえる域に達していたと思う。
 だが平井作品の中心にある、どこまでも柔らかく生温かいもの、艶かしく醜悪なものは、描ききれなかった。これは桑田氏がもっていた才の範疇にそれが含まれていなかったということで、桑田氏の才が不足していたという話ではない。男性に出産ができないのと同じで、その能力が与えられていなかったというだけの話だ。
 そしてそれらの作品群は、ゆえにこそ、生々しく人間を描いたものより、よほど恐ろしく感じられた。
 作品に語られるさまざまなことに俺は、絶望感めいたものを感じたのだ。
“ダメだ、こいつらとは話が通じる気がしない”という絶望感を。
 ごく手前の部分には共感もあれば、やりとりを成立させ得る可能性のようなものも見つけられる。だが、ある一線を越えると、こちらの一切の干渉を阻む壁がある。
 それは金属質のもので、それがあるゆえにどの登場人物にも接近できない。ただ屹立する他者が、こちらの思惑とはまったく関係なく存在しているという感覚。
 そしてそれは、間違いなくこの世界の“事実”なのだ――人間の繋がりは所詮そういうものなのだという実感を、その絵は、備えていた。
 硬質な線は、そういうかたちで俺に、世界と個の断絶を教えてくれたのだ。

 あるいは当時、描いていた当人には、それほどはっきりした意識はなかったのかもしれない。いずれにせよ桑田氏の才は、人間を生々しく描くことを、むしろ拒否するものだった。後年に精神世界へ入り、それに見合った画風へ移行するが、それらに桑田氏のマンガの魅力を感じるひとは少ないのではなかろうか。
 もちろんそれらの画風にも味はあり、俺も嫌いではない。だが「あの絵ならほかの作家氏にも描ける」。桑田氏ならではの画風ではないと感じるのだ。桑田氏が“人間”に対して覚えていたかもしれないなにかを、表していない気がする。

 いずれにせよ桑田氏はもうこの世界に存在しない。
 しかし作品群はあり、伝わるべき者には伝わってゆくだろう。
 そうして伝えられるにふさわしいものを、桑田作品は備えている。
 俺はそれらが、大好きだ。
 誰も継ぐことができなかった硬質な線、唯一無二のあの感触は、どんな時間の経過も、文化の変遷も、描かれた当人の去就も関係なく、残り続けるだろう。
 それらの作品に触れ得た運に、また触れることを認めてくれた周囲に、そしてなによりもそれを生み出した桑田二郎氏に、感謝している。

 長いこと、どうもありがとうございました。
 これからもずっと、ありがとうございます。