かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

『残念』

 最近、「残念」ということばが好きだ。

 多分、分水嶺は『ざんねんないきもの事典』で、ここからは世間での「残念」に対する傾向がはっきりと変わっている。
 もちろんそれまでにも、主にお笑い系の芸人さんたちが、『あまり致命的な指摘にならない、でもことばに違和感があってそれ自体で笑える貶しことば』という認識で使っていた期間があって、これがけっこう長かった。
 印象的だったのが、千原せいじに対する「残念な兄」という呼称。土田晃之辺りが一時連発していた“ぽんこつ”もことばの遣い方としては相当印象的だったが、“残念な兄”には負ける。
 お笑いさんたちの遣い方は、底に悪意がありつつ――つまり残念といえばカドが立たないからかなり危険な内容でも言えてしまうという――、でも根本的には愛情がある、というものだったと記憶する。
 そう、根本的には愛情がある。
「残念」は、けっこう励ましことば系だ。
 これが『-いきもの事典』のあとは、ほぼ褒めことばになったと思える。

 残念って本来は当人だけの話なんだよね。
 やり残したことがあって気持ちが置き去りになる、的な。
 でも誰かに対して使う時には「その気持ちは理解できてあまりある」という意志の表明になる。
 ということは、誰かの行為について「残念」を言う時には、その誰かに対する期待があるとか、努力の過程への感情移入があるとか、さらには根本的にそのひとを支持しているとかの、つまり誰かに対するかなりの思い入れがあるわけだ。
 つまり、残念の語が行き交う関係性は、濃いのだ。たとえそれが憎悪であったとしても。
 もっとも、ほかに言いようがなくて……って場面もないではないが。

 自分に対してわざわざ「残念」と言ってくれるひとがいたら、そのひとは自分の支持者と考えていい。だからこそ悪意のある貶しことば、励ますようで突き落とすことばとして使えばインパクトが生じもする。
 で最近はさらに一歩踏み込んで、「その件については成果が不十分だったかもしれないが、それがむしろイイ」という褒めことばになった、と。
 そのうち若い女の子が推しメンを見て「きゃー残念ー!」って叫ぶのがふつうの声援になっちゃうかもしれない。コンサとかであっちこっちから「××クーン! 残念!」って黄色い声が飛び出す的な。
「やだもう彼って今日も残念すぎー」とか。
「こないだのインスタちょうざんねん!」とか。
 恋の告白のことばだって「残念」になる。
「先輩……あたし前からずっと先輩のことが……残念でした! きゃあ! 言っちゃったあ」(顔を両手で隠して駆け去る) ※1970年代末頃の少女マンガのノリで
 結婚披露宴のスピーチでも、やり手の上司が言う。
「新郎の××君は、弊社において非常に残念な人材でありまして」
 周囲がそれを聞いて、ほほう、と敬意のこもったまなざしを新郎に向けるぞ。
 来る東京オリンピックのインタビュー。
「金メダル、残念でしたね!」
「はい! めっちゃ残念です!!」

 ……さすがにここまでいったらワケわかんねえな。


(2018/11/28)