2019-11-01から1ヶ月間の記事一覧
寝息は最高級の睡眠導入剤。
なにもせずにすむのなら、それにこしたことはない。存在するからにはなにかしなければならないという切迫感は主になにかへの恐怖に起因する。恐怖する対象がなにかがわかれば、なにもしないことの正しさもわかるだろう。
「ほどほど」を設計できない人間は早晩壊れる。
闘いたい人は闘うために闘っているんだから、闘う人たちに闘う理由を訊ねたり、こっちでいろいろ考えてみたりするのは無駄。
わかる前提で考えるからわかんなくなるんだよ。わかんない前提で考えろよ。
当たり前に安住しているうちはその他大勢にすらなれないぞ。
生きてせいぜい百年の人間には、五十年が実感できる時間の限界。その五十年をはみ出した話は全部が伝聞。これはもう若者も老人も同じこと。そして伝聞は必ず誤謬を含む。その辺、おのおのよーく覚えておくべきだと思うよ。
自分の成功体験を以て余人への励ましとするのは、自分の価値観の押し売り。
なにかに対して過剰な攻撃の意志をもった時は、攻撃する前に自分自身がよほどバランスを崩している可能性があると疑った方がよい……んだが、そんな冷静さをもてないことがつまりバランスを崩しているってことなんだよなあ。つまり自分じゃどうしようもないん…
好き嫌いをもつことは確保されなければならない権利だが、好き嫌いを他者に強いる権利は誰にもないよ。
足りないのは多分やる気とか才能とかじゃなくて、自分自身への必要性。振り返ればいつも動機は自分の中にあった。だから今は自分自身が枯渇しているのだろう。
ひとが感動することなんて、そうそういろいろあるもんでもない。問題はどうやってそこへ無理なく繋げるかであって、新しい感動をつくることじゃないんだよ。 いや感動に限ったことじゃない、たいがいのことはそうだ。うれしいこと、腹立たしいこと、かなしい…
ひとを傷つけるのは常に人間だし、ひとを癒すことができるのも常に人間。
言い損ねたひとことは常に一番大切なひとこと。
自分で責任を負いたくない者が自分に責任のない事情での分別(ぶんべつ)をおこないたがる。
『人生に無駄なことなんかひとつもない』という金言を見てふーむと唸り、「でもそれって、とりあえず無駄なことと無駄でないことを分けてるんだなあ」「分けてから無駄なんかないっていってるわけだなあ」「じゃあ無駄を定義するだけ無駄じゃね?」などと考…
幸せになってくれたらいいなと思える誰かの数を競えばいいと思うんだ。誰が一番になってもそいつを祝福するってルールでね。
どうしてもやらなきゃならないことを鹿十するのは、どうしてもやりたいことを鹿十される覚悟を決めてからにしようぜ。
どうしようもない時ってのはあるもんだ。そんな時にどうにかしようと頑張ったり、どうにかしようがあったんじゃないかと悩むのはわりと無駄。あきらめる……というよりは積極的に認めることへ力を割いた方が、けっこううまくゆく。そして、その時に出たロスを…
真面目なひとがきちんと評価される世の中になってほしいと思うが、不真面目な人の居場所を奪うような世の中になってほしくはない。正しいひとが安心して暮らせる世の中になってほしいと思うが、正しくない人が正しくなる可能性や正しくなるまでの期間を認め…
やりたいことをやりたいようにやって失敗し責められるのは納得ゆくが、やりたくないことをやりたくないようにやらされて成功し褒められるのは納得ゆかない。
自己管理が気やすくできるほど単純な自己ではないことを密かに誇る。
食えたメシはすべて美味い。
自分のぽんこつ化に気づくのは恐ろしいことだが、それを周囲のひとびとが認めてくれないことの方がよほど恐ろしい。
アレもコレも他人事だとしか思えないキャパシティの者が公に口を開くのはとっても恥ずかしいことだから控えた方がよいと思うの。
なにか大きなことが始まる時には、たいがい前触れもなにもなく、それが始まったことにすら気づかない。すでに進行してしまってから「あ、これすごくね?」と気づく。逆に派手なイントロがついたものごとは、およそ大したこともなく通りすぎてゆく。
生きるための強さは生きるためだけに使え。ほかのことに転用するな。
崇められたり褒められたりするよりも自分が感謝し讃えている方が気が楽だし穏やかに過ごせる。
誰に対して恥じることがつらいといって、自分自身に対して恥じるほどつらいことはない。
中途半端でもかまわない。その代わり、ひとりでやるな。できたのが三分の一でも三人分集めれば一になることはある。五人分ならなお一に近づく。十人いればほぼ大丈夫。中途半端でもいいんだよ、数さえ揃えば。だからやること自体にフタをするな。