2023-03-01から1ヶ月間の記事一覧
どんなことでも始めるのに遅いということはないが、場合によっちゃ間に合わないこともあることは知っておいた方がいい。
学ぶってことは自分の裡へ残すってことだ。残らなかったら学びにならない。
きらいなものを数え始めたら相当に疲れてるってことだぜ、気をつけた方がいい。
不細工は自慢になることでもないが恥じることでもない――外見上においては。
誰かを問われないまま長く生きてきたから誰であるかを忘れてしまった。
幸福が自身の信じるなにかに基づいて定義されるものであるなら、自身を信じられない者は自身の信じるなにかを信じることができず、当然ながら幸福からも見放される。
なぁに気にするな、世間にゴミは棄てるほどある。キミがゴミだったとしても、それは別段世間が変わるほどのことじゃないんだよ。ちっぽけな話さ、棄てればそれで完了だ。
知らずにやれば罪には問われないし知っていたなら罪はより重くなる。知っていたのに忘れてしまったのなら誰よりも自身が「忘れた」という愚かさに厳しく対処するべきだ。その愚かさについて自身を厳罰に処するべきだ。
自身が死にながら生きているからといって、他者を無理やりに死なせてはいけないよ。他者の生死は他者のものであって、それは当人以外が手出ししていいものではないんだ。
ひとは知るたびに違う存在へ変化する。それは知る前の自身を殺しながら次の自身へと転生し続けることであり、従ってひとは常に少しずつ死にながら生きている。
ひとのいのちを蔑ろにした罪は自身のいのちを以てしても償われることはない。ひとのいのちはそれぞれに異なり当然ひとつずつ等価ではないからだ。
理解を拒むものには理解されたくない事情があるもんだし、その事情こそ最も理解されたくないものだったりするんだよ。放っておいてやれ。励ますことも憐れむこともせず、ただ放っておいてやれ。
謙遜とは自身への評価の否定ではなく評価をもたらした者を否定することだ。
明けない夜がないのなら暮れない昼もないのだぞ。
幸いなるかな誇りをもたぬもの。其に恥の苦悶や失敗の悔悟はなく亦た成就の歓喜も克服の充実もなく至って平穏な日々が約束されるものなり。
唯一であることと必要であることとは別の話だね。そしてひとは常に各々違う唯一だ。「キミは唯一のヒトなんだ」と言われたところで、それは存在の肯定にはならないよ。
愛は語るだけにしておけ、実行しょうとしちゃいかん。さもないと愛と無縁になるぞ、語ることすらできなくなるぞ。
理解には理解のための受け皿が必要であり受け皿がないまま情報を得てもそれは単なる知識として貯蔵されるだけで大した役には立たない。
未来への希望は過去とともにあり現在を生きる者のみが得られる糧であり目的である。
過去の回顧は過去を認め過去を礎とすることを許された者のみに開かれた娯楽である。
現在の消費は現在に生きる者のみに与えられた権利であり義務である。
散る桜を美しいと感じられるのは来年もまた咲くと思っているからだ。
やることをやってから口を開くには、この世の中やるべきことが多すぎる。だから口を先に開いた方が勝つ。まあ勝ちゃいいってもんでもないがね。
踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損。そして離れた山の奥には、踊り自体を知らぬ阿呆。同じ阿呆でも知らぬ阿呆がいちばん幸福。その幸福が充実を伴うかどうかはまた別の話。
仕事だかなんだか知らんが結局のところぜんぶ「ごっこ」なんだから、それを自覚して積極的に「ごっこ」をたのしむか、適当に流して余暇に好きな「ごっこ」に耽るかすればいいんだよ。妙な義務感とか使命なんぞに燃え始めたら危険域に入っちゃってるぜ。
強さを望むのは弱さのゆえではなく欲のゆえだ。
理由が要る時は疚しい時。
共有できる話題があるということは、以て最大の僥倖と認識すべきことだ。
赦すとか赦さないとかの話はしていないし、責任の在り処も問うてはいないんだ。ただ不思議なだけなんだよ、いったいどんなつもりでそんなことができるのか、してどうするのかってことがね。
解決策はただひとつ、相手の非を並べ立てて被害者の立場へ潜り込むことだけさ。その厚かましさを自身が恥じなければの話だがね。