2015-12-01から1ヶ月間の記事一覧
理屈ばっか言ってるな、って? おいおい、理屈を大事にしないってのは宇宙の法則に逆らうことだぜ。俺はそんな壮大なケンカは売りたくないねえ、穏やかに生きたいんだよ。
別に誰かにアピールする必要はないから、男も女ももっと泣いたらいいと思うよ。照れくさいだろうから、ひとりでわざと泣ける歌を聴いたり泣ける映画を観たりしてさ、泣くんだよ。心身にいいよ。
誑(たら)しってのは相手が「あーこりゃ誑されてるなあ」と気づいてなお自ら誑されに来て誑されたことに満足を覚えるレベルまでいかなきゃあダメだ。
人間だから妬みもすれば嫉みもするだろう。だが人間ならそれを恥じることを知っている。恥じる心をもたずに妬み嫉む者は比類なく卑しい異形だ。
生まれくるいのちがすべて健やかであってくれたらいい。すべて祝福されたらいい。すべて生を成長を正しく受けとれたらいい。うれしい誕生の報に触れるたびにそう思う。いくつかのつらい記憶を思い出しながら。
こどもは素直だよ。話そうとして話し出せず泣きそうになるのは、こどもがそれだけ恐れているってことだ。あなたはそういう位置にあるんだよ、その子の中で。
だーかーらぁ、君の目で見えている君の世界は君だけのものなんだってばー。何度いっても涌いてきやがるなあ、もう。
偶然はおそらく偶然ではないし、必然もおそらく必然ではない。どちらも主観に過ぎない以上、起きたことに対してなんらかの意味を求めること自体が無意味だ。
“ら”抜きことばを、しゃべるのはまだ許せる。言いづらいからね。その程度も言えないほど運動神経にぶいんかいな、とは思うけどさ。でも書くのは許せないねえ。というより、理屈が理解できない人間なんだな、と判定する。当然、理が絡む話は振らない。つまり…
友人から『まほろ駅前多田便利軒』のドラマがおもしろいと聞き、ヒネクレてドラマを見ずに原作を読んだのがいつだったか。 その時、大興奮した。「は、ハードボイルドじゃんっ」と。 思わず天を仰ぎ「小鷹先生ッ、日本のハードボイルドの夜はまほろ駅前で明…
己を名乗らない者の言説が無効であることを、己を名乗ったことのない者は知らない。
稀代の天才が魂を懸けて企んだ曲線でも、ひとりのごく平凡な女性の肉体を構築する曲線の優美と妖艶にはかなわない。
友を名乗るのにも資格や地位は要る、少なくともその友に迷惑をかけずに済むだけのものがね。そういう気遣いを相手にすることができるからこそ友であるといえるんだ。そして一方、そんな気遣いをされたら怒って自分から友を名乗る、それができるのが友っても…
物理的な時間経過はほとんど絶対といっていい不可逆変化の集積だが、それを認識する者にとっては別段どうということもない隔たりでしかない場合がある。つまり認識においては時間も相対的な条件のひとつに過ぎないということだ。
食べ物なら食べてみる、飲み物なら飲んでみることだ。そしてひとなら会ってみることだ。
ひとりよりはふたり、ふたりよりは三人。人間はそういう風にできている。それに感謝しそれを慈しむ心が、人間に与えられた最大の幸福であるはず。
対価が相対的であることは当然だと思うし、むしろそうでなければ困るのだが、これだけ経済の規模が大きくなってくるとその相対性が一部の意志でごく恣意的に扱われる例が多くなるようで、それがどうも腹立たしい。
考えすぎは中途半端に頭のよい者が陥る罠。もう一歩先まで考えれば、いっそ突き抜ける。つまりは足らないのよ、足りているつもりでもね。
「面倒くさい」は立派な理由。それがなければ道具というものは進歩しなかった。「面倒くさい」を禁句にするような状況はどこかおかしいんだよ。
どうやらできる者は最初からできるらしい。世の中はそういう具合になっているようだ。
神は大いにお優しくあらせられます。愚者には元から、自身の愚を嘆くどころか気づくだけの智さえお与えになりませんでした。もし彼らにそれだけの智が与えられていたなら、世は自死に至った骸で覆い尽くされたことでありましょう。そして世には愚者ならざれ…
不思議なんだよなあ。こどもには受けがいい。中を飛ばして、ちゃんと成長したおとなには受けがいい。アクティブな青少年やら若手やら、成長途上のおとなには受けないんだよなあ。どういうことなんだろうなあ。
争いごとには、優勢であれ劣勢であれ止め時ひけ時、潮時ってもんがあるんだよね。 それは争いあう者同士の無言の駆け引きで決まる。できるだけ互いに利益も損失も大きくなり過ぎないところでやめるわけだ。 ところが争いごとの経験の少ない者は、とことん叩…
不平というのは、心が平らかでないことなのだそうだ。不満は、心が満ちないことなのだそうだ。つまり、心の具合が穏やかでないことは同じではあるが、その事情は違うことになる。だからこそ“不平不満”と並立させることばもあるのだろう。で思うが、やはりこ…
不足を言う者より必要を言う者と関係をもちたい。結局のところ同じことを言っているのだとしても、「アレが足りない」ではなく「アレが必要だ」と表現できる者と。
ホントにこの時代に俺の席あるん?
なにが大事かわかるまでは動かない方がいい。もっとも、わかってから動いたから手遅れになった、なんてこともままあるものだ。じゃあどっちがいいんだとなると、まあやっぱり動かない方がいいんだな。動いたゆえに大事なものを失ってしまうってことも少なく…
攻撃が最大の防禦であるうちは未熟。
いつも即応可能な状態を維持し続けること自体が愚かしく思えてくる今日この頃。
結局は自分の裡に律をもっているか否かだ。それにどれだけ忠実であれたかが最終的に自身の満足を左右する。