2017-05-01から1ヶ月間の記事一覧
太田 愛のシナリオ――といっても知っているのはウルトラに関するものだけだが――が好きだ。 もちろんシナリオとして読んでどうこうというわけではなく、映像化されたものを観ての話。 本当はシナリオのかたちのものや、他のドラマや小説にも触れるべきなのだろ…
立って半畳、寝て一畳。楽器置き場が六畳半、本の置き場は十二畳。なんか間違っているような気がしないでもない我が人生。
好き嫌いを論の中心に据えようとするのは野蛮人。
書きたいけれど書く気力がないってのは、本当に書きたいのかなあ。書きたいかどうか疑わしいけどなんか書いてなくちゃいられないってのは、本当に書きたくないのかなあ。書きたかろうが書きたくなかろうが日々無理やりの締切に追われていた頃にはこんなこと…
たいがいのことは慣れでこなせる。ただひとつ、キライなやつとのやりとりだけは慣れではこなせない。てゆうか慣れることがない。だからキライなのだというトートロジー。
やる気の有無と成果の良し悪しは関係ないし、かけた時間の長短や予算の多寡、どころか自分自身の評価だって無関係だ。そもそもにそれが自分のための作業でない限り、手を離した時からそれは自分の意志も手出しも及ばないものになっている。
愛情ってものは、最初に覚えた安心感の同位体なんだろうなあ。だから安心感を知らない人は愛情もきっとわからない。
なにやら怪文書とかいうものが世間を騒がせているらしいが、そういうのはアレだねそもそも“怪文書”なんてものが存在する可能性があるってのがよくないんだね。「あるかもしれない」と思っちゃうようなね、仕組みとか作法とかね。そういうものがあるから、怪…
人間を導くのに最も有効な手だてが恐怖だとしたら、人間なんてろくなもんじゃない。いっそ恐怖に衝き動かされて滅びた方が幸せかもしれない程度の存在だ。
平地ばかりじゃつまらないから山頂に立ち下界を見下ろす気分を味わってみたいが山を築いて登るのは大変なので穴を堀り底を覗き込んでみた。馬鹿げた話だと思うかい? ところがこれ実際にやってる連中がいるんだね。俺には到底その感覚は理解できないが。
厳しい法がなければ保たれない平穏はそもそも平穏と呼べるものではない。
正義が相対的なものだとわかっているのに、なぜ怪獣という存在自体が恣意的な“器”であることに疑問を抱かないんだ? 物語の象徴性に囚われすぎていないか?
何事につけ裏や横から眺める癖をもつとよい。盗みを罰する法があると知ったら「つまり世の中には盗む者がいるわけだな」と考えるようなやり方だ。このやり方を身につけるのは簡単なようで難しい。なぜなら裏を見るにはまずそれを正面から見なければならない…
あっ。百八十度引っ繰り返った。そうか絶対は存在するんだ。驚いた。なるほどー“どこかにあるはずだ”と思って探すから見つからないのかー。なるほどー。
人間の認識はどうしても相対的なものでしかないから、テーゼを成立させるためのアンチテーゼは必要悪といえる。困るのはそれが必要悪だという認識をもたない者が多いことだ。教育は本来そこをこそ教えるためにおこなわれるべきなのだが、肝心の教職者がそれ…
ふとした拍子に思い出してくれるひとが、自分には確かにいる。それがわかった時のうれしさは、どう表現したらよいのだろうかな。
どんなものにでも美しさを発見できるのが人間のすばらしい能力なんだ。その美しさをひとに知らせずにいられないのが人間なんだ。ときどき迷惑だけど。
経験したことのないことは経験したことがないから経験しても経験したのかどうかがわからない。
――絵を描くのが好きだった孤児・アッコは病から視力も失い、その後は絵と同じくらい好きな音楽を志してピッコロを演奏するようになる。 その発表会の直前、白く巨大な謎の球体が現われる。一見は無害な代物だったが、都市の真ん中に出現したことと、その巨大…
古生物学って推理小説と似てるよね。
ひとを祝わば穴ひとつ。
我を張ることは悪いことじゃない。それを問題視し殊更に指弾するのは、自身の我を張り通したい者だけだ。
どうしようもないことはどうしようもないんだから、どうもしなければいいんじゃなかろうかなあ。どうもしなければどうにもならないけど、どうしようもないんだったらおなじことだもんなあ。
疑うのは才能、信じるのは趣味。
魅力とかカリスマといったものは、功利を目指すことからは生まれない。そこに魅力があると感じる者は、成功が目的ではなく結果だということを理解していない。
なあ、そこの若いひと。勘違いしているようだが、大将ってのは経験や学習でなるもんじゃあないぜ。まして年功序列でなるもんでもない。器でなるんだ。つまり大将になれるやつは最初から決まってんのさ。凡人は副将を目指せ。その方がよっぽどたのしくやれる…
あーやばいなー、これはやっちゃうかもしれないなー、かなりやばいなー……と思いながら突っ込んじゃうのが失敗。そういう予感がかけらもなく起きるのが事故。
昨日やる気のことを書いたら知人もやる気に関係しそうな話を書いていた。やったーシンクロニシティだぜー!……ぐらいのことで喜んでいられるのは幸せな証拠。そしてそれぐらいの幸せが確保できていれば、生きることはおそらくそれほど難しくない。
なんでできないんだろうって考えた。結局やる気がないんだなぁって思った。
プロってのは失敗しないやつのことじゃない。失敗をうまくごまかせるか、あるいは失敗を強引に成功へ持ち込むことができるやつのことだ。