2022-02-01から1ヶ月間の記事一覧
この世界の神々に少々ならずヘソ曲がりの傾向があるのは人間なんぞとつきあったせいじゃないかねえ。朱色に交わればなんとやら、ってやつだよ。
夢は自分で叶えるもんじゃない、自分で叶えられる程度なら夢と呼ぶには軽過ぎる。
違うんだ、自分の子を殺されたくないからじゃない……いや、殺されたくはない、ないんだけどね。それと同じくらいに、自分の子をひとごろしにしたくないんだ。誰かのこどもを殺す者になってほしくないんだよ。
人間の強さはなにかを愛することにより限界をも越えて高まるものだが、人類としての強さはむしろ愛などもたない時に極まり、それは人間の強さを遥かに凌駕する。
ひとりひとりが認識している世界はそれぞれに違う。 ひとりひとりはそれぞれ唯一であって、代替がきかない。 だからひとりの誰かが失われるということは、ひとつの世界が失われるということだ。 ひとつの世界が滅ぶということだ。 おまえの世界はいくつの世…
キミがどう思うかについて、多くのひとはまったく無関心なんだよ。私もね。だからキミは、キミがどう思うかを尋ねてくれるひとを大切にした方がよいのではないかな。少なくともそのひとは、キミの思いについて関心があるんだ。それは稀有なことなんだよ。
別にわざわざ助けあう必要はないんだよ。助けが必要なものには助けが与えられるべきで、助けを与え得るものがそれに応える、その一方通行でいいんだ。そういうかたちで助けを与えるのはいやだというものは助けなければよいだけだし、もちろんそういうものが…
自分にとっての価値を定める者は自分以外に存在し得ない。その価値を測る規準は自分自身が辿ってきた道にのみ在り、誰に借りるものでもない。もちろん道々拾ってきたのは“誰か”が遺した規準群ではあり、その点においてまったく独自のものとはいえない。だが…
なにごとも加減ってのが大事だ。いい加減に流すのはよくない、だが本気になり過ぎるのもよくない。どっちかに絞っちまったやつから壊れてゆくし、どっちかに絞ってるのにふつうに見えるやつはそもそもブッ壊れてるやつなんだ。
結果を得るために努力するってのは性(しょう)に合わねえ。結果が望みの時には、できるだけラクにコトを進めてえな。努力するとしたら、その努力自体を目的にしてえんだよ。つまり過程をたのしみてえってこった。努力も道具じゃなく目的のうちってこった。…
その者の攻撃はその者の弱点を示すし、その者の嫉妬はその者の欲求を示す。だからその者の攻撃を受けてみることはひとつの戦略となり得るし、注意深い観察でその者の嫉妬を見極めることは懐柔の指針となる。
エンタテインメントにヒーローは不可欠の存在だが、ヒーローにとってエンタテインメントは必ずしも不可欠なものではない。ヒーローがエンタテインメントを必要とする時には、相応の事情があるものだ。
やり残したことを数えて残りの日々を過ごすなんてのはごめんこうむりたいが、あれもこれもやり果せて日々だけやたらに残っているなんてのも相当に勘弁してもらいたい。
問題にすべきは愛の有無ではなく方向性なんじゃないかな。
物知りと呼ばれるひとびとを恐れることはない、彼らの知識は99%以上が借り物なんだから。むしろ恐れるべきは、実体験のみを語り実体験のみを重んじる連中だ。その経験は相対化されていないから実体験であるにもかかわらずひどく空疎で点的であり、けれども…
愛情は確かめようとして確かめられるものではなく、愛されたと自認する者が自身へ誇ることによってのみ存在し得るものだが、かといってそれが夢や幻に類するものかといえばそうではなく、当人がそれを愛だと認める限りは誰にも(愛した当事者と認定された者…
その場を取り繕うだけの技術もまた価値があるものだ。無論根治の技術があるに越したことはないが、当面の場を取り繕えなければ根治の機会が巡ってこない場合はあるし、場を取り繕う技術も根治の技術もない場合に比べればその場が収まるだけでも有益だ。
誰かの幸福を心から願う時、そのひとを満たすためにそのひとが願う誰かの幸福もまたともに願わざるを得なくなることを知るだろう。その誰かにもまた幸福を願う誰かがあり、さらにその誰かの誰かにも誰かがあることがわかるだろう。そして、最初の誰かが自分…
ことの善悪を問う前に、そのことの有無の真偽を問うた方がよい。
過酷な環境は文明を育み、豊かな環境は文化を育む。過酷な環境は策謀を進め、豊かな環境は楽観を疑わない。どちらにも等しく発生し得るのは、哲学ぐらいのものだ。
恋愛でのそれを除き凡その嫉妬の類は自身に対する自他の評価の差に起因するもので、かつ凡その場合においてその評価は他者によるものの方が正しく、つまりそれは嫉妬する者の内部におけるごく一方的な難癖に過ぎない。ただそういう方法に頼ってでも維持しな…
足りないのはいつだって時間じゃなく決めた通りに遂行する自分の強さだったんだ。
決められないのは決める自由があるからさ。失ってみな、一発で決められる。
雄弁は銀、沈黙は金、饒舌はプラチナ。
そのひとの世界に含まれていない判断は生じ得ない。ゆえにすべての判断はそのひと自体であり、判断は常にそのひとそのものとなる。
迷惑な者の最も迷惑な部分は何をどうしたかという部分ではなく当人にとってはその選択が疑いなく正しいという部分だ。
ひとつのことに集中したい時こそむしろノイズが必要だ。なぜなら、ひとつのことばかり考え続けると相対的視点が極端に弱まり対象の輪郭や意義が曖昧になるからだ。
憎むことと嫌うことは必ずしも同期しない。同様に嬉しさと喜びは必ずしも同期しないし、かなしみは必ずしも悲劇的な原因を伴うとは限らない。