かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

2017-03-01から1ヶ月間の記事一覧

#1376

その人が賢いかどうかを測りたかったら、誰でも知っているような類のカードゲーム――七並べとかばば抜きとか――の遊び方を説明させればよい。その時“常識”に頼って説明する者に賢さはない。

#1375

声高に主義主張を述べる者は凡そ現場では役立たずである。なぜなら彼らは述べることに忙しくて実行する暇をもたず、必然的にいざ現場へ出た時にはこの上ない足手まといになるからである。

#1374

わかりやすさと伝わりやすさは違う。コミュニケーションの難しさは、その状況でどちらを選ぶべきかを考えなければならないところにもある。

#1373

かつては「やればできて当たり前、いかにしてやらずに済ませるかがアタマの遣いどころなんだよ!」と考えていた。このところはちょっと心境の変化があり、「やればできて当たり前、やらなくたって大差ない。やるやらない以前に、いかにして状況をおもしろが…

#1372

圧倒的なものは理屈に基づかない。

#1371

ものごとの単純化に重要なのは、なにも変えないことだ。単純化とはパーツごとに分解することであって、勝手に要約したり、よく似た別のものに置き換えることではない。それを勘違いして構成物を順次別のものにしてしまうと、それは捏造になり、単純化したは…

#1370

その通り、いつでも俺はひとりじゃなかった。必ず誰かといた。それは俺がひとりではいられなかったからで、別に自慢になるような話じゃない。逆にあんたは、いつでもひとりだった。そばに誰かがいても、あんたはひとりだった。それはあんたが誰かとはいられ…

#1369

人間、溜め込んでなんぼ。そもそも地力自体は大したもんじゃない。だが放出を堪えて圧縮をかけると、思いがけないほど強烈な力になることがある。日々だらだらと垂れ流すより堪えに堪え溜めに溜めて放出にかかった方が、たいがい質も量もよいものになる。も…

#1368

面倒なところにこそ面白さがある。なにしろどちらにも面の字がついている。

#1367

判断そのものは常に単純な是非の選択で、その判断に必要なのは直感であり、難しいものではない。難しいのは判断できるレベルまで要件を分解することで、それを誤れば当然ながら判断も誤ったものにしかならない。

#1366

正義とは複数のひとびとが関与して初めて成立する価値観のひとつであって、当人だけが正義と信じる場合は独善といわれる。従って正義を認めてもらえた場合、その正義漢は借り物の価値観で身を立てていると証明されたことになる。そして借り物の価値観に基づ…

#1365

ひとは誰もが個性的であり、いやでもなんでも自分以外ではあり得ないし、自分以外にはなり得ない。ひとより秀でたものがないというのも立派な個性だし、ひとより劣るというのも個性だ。嬉しかろうが嬉しくなかろうが、それは揺らぎようのない事実なのである。

#1364

たのしいことをたのしいと感じられ、たのしいと言えること。たのしさのまま笑顔になれること。そんなことが財産に思えることの、なんというたのしくなさ。

いのちの愛しい日

年に何度か、本当に“いのち”が愛しく有り難いものに思える日がある。 今日はそんな一日だった。 このいのちに幸いあれ。 いや。 あらゆるいのちに、あらん限りの幸いあれ。

#1363

ひとが生きることに意味を求めるのは、生きていることが恐ろしいからだろうね。言い訳がほしいんだね、そんな恐ろしいことを続けていることへの。

#1362

物知りと呼ばれるのなんて簡単なことさ。知らない話が進んでいる間はただにこにこと場を見守り、知っている話が出てきた時にだけふた言ばかり発言をすればいい。半年も続ければ「あのひとは物知りだね!」と言われるようになる。だが物知りをありがたがるの…

#1361

自分が積極的に行動しても相手にされない時は、まず大概その行動がそもそも不要なものか、むしろ厭がられているのだと思っていい。もっとも相手にされることが存在の必要条件というものでもない。あまり気にせず好きにやればよい。世の中では嫌われ者にもス…

#1360

言い訳を考えるうちは、まだ元気。本当にぐったりしてしまうと、言い訳を考える気力も失せる。あとはもうぐにゅぐにゅになって息を続けるだけになる。

#1359

クリエイターってのは、なにかを作るひとのことじゃない。感じるひとのことなんだな。感じたことを出力するんだ。だからまず感じなければ、クリエーションには至れない。

#1358

ダメ出しはバカにでもできる。

#1357

空気を読むというのは瞬間的な情報処理能力の表出で、単に他者の機嫌を観察すればできるというものではない。対人関係構築のスキルというよりは、その場に至る膨大な要素を、その数十から数百倍、時にはそれ以上のデータと比較して下す判断といえるものだ。…

#1356

わけもない恐怖はしばしば自分自身が自分自身へ抱く負の意識を外部の対象へ投影することで生じる。自分が自分に下したのと同様の評価を外部のなにかが自分に対してもっているのではないかという疑いである。現実には当の対象は恐怖を覚える者を歯牙にもかけ…

#1355

たとえ一卵性のきょうだいであっても、生まれた時点でひとはすでに均一ではない。だからこそ生まれてくることに意味がある。均一でないことを認めないのは、即ちひとというものの価値の否定に等しい。

#1354

ふつうは一手先を読む。賢い者は二手、三手先を読む。五手先を読めたら成功者になれる。だがそれより先を読むと世間からは無能者と目される。

#1353

成文法やそれに基づく権利というものは必要悪であって、そもそもないにこしたことはない代物である。傍らにそれらを備えておかなければならない関係というものは、つまりは不全な関係であり、双方の合意に基づかない関係なのだ。

#1352

才能はどこでどう使っても無駄遣いにはならない。その才能がなしたことは必ずどこかで誰かの目に触れるし、そして必ず評価を得るからだ。逆にどう表へ出しても評価をえられなければ、それは才能がないということだ。

#1351

反知性主義は知性の産物であり積極的な活動者は当然のごとく豊かな知性のもち主だが、そのフォロアーの多くは知性を備えない。これは権威主義のフォロアーの多くが権威を備えないのとよく似ている。

#1350

愛することの意味や理由を求めたり探したりしているうちは、愛には届かない。意味や理由と最もかけ離れたところにあるのが愛であり、時にそれには価値――世間一般で定義されるところの――すらないのだ。

#1349

強さを誇る者は強さを最も恐れている。優しさを与える者は優しさに最も飢えている。知に頼る者は知を最も軽んじている。

#1348

欲しがるほど得られないというのは事実だ。なぜなら欲しい対象に価値があるわけではなく欲しがる気持ちの方に価値があり、そして欲しがる者は実はそれを知っているからだ。だから欲しがる者は、得られるチャンスにも意図の有無に因らず得られない方向を選ぶ…