2021-09-01から1ヶ月間の記事一覧
詳しい話を聞きたがる者は大概聞くこと自体が目的であって聞いたからなにをしようという心づもりももってはいないし、なんらかの対応を考えている者は聞く前からそもそも対応を考えているので、詳しい話には語る側にも聞く側にもおよそ意味がない。
どうせ人間のやることだ、百年経ったら誰も憶えちゃいねえ。そんでまたイチからやり直しってわけさ。
感謝は求められてするものではないし、感謝した者がさせてくれた相手へ無理やりに押しつけるものでもない。感謝に先んじて、する側とされる側に確かな関係性があれば、それは当然のことと認識されているだろう。つまり感謝のやりとりにぎくしゃくしたものが…
鍛えるというのは可能性のある方向へ可能な範囲での強化を図ることであって、限界を越える hardwork を課すことではない。
よろこびは勝ち取ったり築き上げたりするものではないし、与えられたり偶さかに巡ってくるものでもない。注意深く周囲を観察して見出すものだ。
強い者が支配する世界は強い者の論理で動くから弱い者が支配する世界は弱い者の論理で動くかと思いきややはり強い者の論理で動くのである。むしろ弱い者が支配の権限を得た時ほど強い者の論理が幅を利かせるのである。
赦されたいと願うのは罪の深さを知るゆえであって、そう願った時点ですでに赦される資格は得ている。
「憶えているよ」と「忘れなかったよ」が内包する事実は大差ないが過程は大いに違う。その違いがわかる者にのみ過去はやさしい。
役立たずの役に立たないゆえの真実味あるいは説得力のようなものにこそ感謝したい。
愛情に真贋はない。その者がそれを愛情だと主張するなら、それは必ず愛情である。ただし愛情の定義はひと毎に違うため、主張される愛情が必ずしも理解され受けいれられるとは限らない。しかしそれでも、それは必ず愛情なのである。
ことばを惜しむのはダメだよ。遣ったところで減るもんではないのだからどんどん放つべきだ。それでもし過剰な伝わり方をしてしまったとしても、まるっきり伝わらないよりずっとよいし、言い損ねた悔いを抱えて永らえるよりたのしい時間が得られるはずだ。
自分の規準で洒落を決めるのは一部の専門家にのみ赦されることで、ほとんどの人間が放つ洒落は他者によってそれが洒落であるか否かを定められる。当然「ほんの洒落だよ」は言い訳にならないし、当該の行為をおこなった者が口にしてはならないことばである。
自分が何者かがわからなくなった時には、自分は何者であるかと考えるより自分は何者から何を求められているかを考えるとよい。それは必ず周囲に見つかるはずだし、見つかれば当面自分が何をすればよいかがわかる。それを遂行するうちに自分が何者かはわかる…
罰の重さに戦くよりも、裁かれた幸運を喜んでおけ。裁かれない限り罪はおまえの裡でいつまでも永らえ続け、おまえを蝕み食い荒らし続けるのだから。
話を明快にするためには必ずなにかを切り捨てなければならない。その切り捨て方こそが話者自身を明快に語っていて、その話者を信じてよいか否かの判断規準にもなる。ただしそれを読み取るには、その明快な話を話者と同等以上に知っている必要がある。
ムラの認識をマチにもち込むな、ましてクニまでもち込むなセカイへもち出すな。
レベルの異なる者たちは本来話が噛み合わないが、かつては通じないわけがないという根拠のない信念を互いに抱いていたため奇跡的にもやりとりが成立していた。今は違う。レベルの差異の存在を、主に高い側の者が知ってしまった。そのため異なるレベルの者を…
周囲に影響を及ぼさず独りで信じる者が聖者であり、周囲に迷惑をもたらすのは愚者、巻き込もうとするのは罪人だ。キミはどの信者になりたいのかね?
ひととのやりとりの失敗はたいがい裏の読み損ないから起きるんだ。まったく読まないのはいわずもがなだが、読み過ぎるのもダメだ。どこで裏読みを止めるか、それを読み取ることが難しい。
肉体のものであれこころのものであれ、痛みを愛でるようになってきたら相当ヤバいところにいるんだよ。それが自分のものでも、ひとのものでも。
古い物の良さを理解するには新しい物の良さを知る必要がある。
やり了えたことと手つかずのことを比べて焦慮の念を覚えるうちはまだ若い。
個人にできることは限られている。だから集団は必要とされるのだし、その運営者が重要な人物あるいはチームとして評価されるのは当然のことといえる。だが、だからといって運営者ばかりが評価されるのはよくない。集団の実績は集団参加者個々の能力があって…
物の値段には意味がある。たとえ理不尽に見える値段でも、販売者にとってその値段は根拠のあるものなのだ。それが理解できるか否かが商取引に参加する資格の有無となる。
そもそも愛情というものは狂おしくみっともなく愚かしい感情の類であるので、抱くにせよ抱かれるにせよ知らずに済めばそれにこしたことはない。だが人間のなすものごとはそれがあってこそ濃厚にたのしめるものでもあるから、そのどうしようもなさに身を捩り…
喪失後に痛手を感じる価値には、喪失以前に価値と認定されていなかったゆえに痛手を生じさせるものが多い。一方、喪失前から価値と認定済みの価値は、認定されずに痛手を生じさせる価値よりしばしば大きい例が多いにもかかわらず、喪失により痛手を感じさせ…
世の中には秤にかけられるものとかけられないものがある。かけたいものとかけたくないものがある。かけてよいものとかけてはならないものがある。どの場面で秤を登場させるか、まずはそれを測らなければならないというわけだ。
誰かを褒めるには、その誰かの少なくとも半分の努力、四分の一の経験、八分の一の才が必要だ。どれも満たされないならそれは単なる世辞であり、褒めることにはならない。
愛との共生ができないから憎しみに頼って生きるようになるんだよ。
細かいことばかりそんなに気をつけろって言われたらもう一言も発せなくなるって? OK、その解釈は正解だ。つまりオレはキミに「黙ってろ」って言いたいんだよ。薄っぺらな知識と安っぽい思いつきから垂れ流される無意味なことばの羅列には、いい加減辟易して…