かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

2016-10-01から1ヶ月間の記事一覧

#1235

どんなことにもおもしろみを見つけてしまうひとと、どんなことにも瑕疵を見つけてしまう人がいる。両方それなりに生きてはいるようだから、多分どちらも幸せなのだろう。相互の理解は難しそうだが。

#1234

めんどくさいことに意欲的に立ち向かえるのは若いうち。だからめんどくさいことは若いうちに済ませておかないといけない。そして齢を取ったらそれをきちんと自覚して、めんどくさいことは避けて歩くのがいい。

#1233

慰めたいとか悼むとか、そういうのじゃない。憤ってもいないし呆れてもいない。悲しいんだ。ただ悲しくて泣きたいだけなんだ。本当に……愛されている命が失われることは、それだけは、ただもうどうしようもなく悲しい。

#1232

なにをやっても終わる頃が一番よくなる。どんなにプランを練り相応のリハーサルをしてから挑んでも、結局は本番が始まったあとに習熟し始め、終わる頃にようやく頭も手も動くようになっている。ならば完全に一度やり終えたあと、ふたつめを完成品として出せ…

#1231

ファイナルファンタジーをファイファンと略す人間とは友達にはなれない自信がある。

#1230

難しいことを平易に説明できる人が頭のいい人なのだそうだが、平易にするにはいろいろ削ぎ落としたものがあるはずだ。削ぎ落とした部分に本題があるとは思わないが、本来はまるごとでその“難しいもの”になっているはずで、それを落としたら全体像もやはり違…

#1229

本職になれないのは技術が至らない者と技術を加減できない者だ……と思う。多分。

#1228

「ウルトラマンが!……帰ってきた!!」物語自体見せ場が多かったが、泣けたのはそこ。この万感の一語をきくち英一に預けた太田 愛ってもんのすげえロマンティストだよなあ。おまけに懐かしのKCBだもんなあ。ちくしょー。連敗記録更新。

#1227

自分の望みがなんであるかはっきりさせられる者は幸福だ。たとえそれが極限の渇きにあっての水一滴でも、飢餓の中でのひと切れの肉でも、それを追うことができ、追っている間は、他のなにものでもない自分であり続けられる。

#1226

もうすぐグーテンベルク世紀が終わるが、過渡期である現在こそが重要だ。ここでコンテンツの質を落としたら、この先人類の literature は失われ二度と復活しない。

vs太田 愛/連敗記録更新(『ウルトラマンコスモス』第57話『雪の扉』)

コスモスに入り、それでも第13・14話『時の娘』には見応えを感じていたわけだが、第57話『雪の扉』にはもう完敗。白旗を力いっぱいに振り回しているところ。 といきなり書いても通じないだろうなあ。 要するに、太田 愛という作家さんがいらして、ウルトラマ…

『ウルトラマンコスモス』感想――第55話時点

もうなんかウルトラづいちゃってて困るな。 やらなきゃならないことがあるから、そっちへ力を割くべきなんだけどな。多分これ逃げだな逃避だな。アタマの皮だ。違う。トウヒには違いないが。漢方薬にもあったなトウヒっての。なんの薬だったっけ。 アレが好…

パワーアップするウルトラマンはキライだ

タイトルで全部いいきってしまったので、以上で終了。 というわけにはさすがにいかんかな。別にいいよな。いいけど、なんとなく俺の方が消化不良になるな。 パワーアップするウルトラマンはキライだ。 正直、ウルトラマン対怪獣の格闘もあまり好きじゃない。…

『ウルトラマンメビウス』が結んだ無限の環

『ウルトラマンネクサス』は、昭和ウルトラをリアルタイムの“経験”として自身の骨格の一部とした元少年たちにとって、待ち焦がれた「ウルトラ」の通過儀礼だった。 等身大ヒーローを含むTVヒーロー譚は、少年たちにとって価値観の基礎ともなる重要な文化だっ…

#1226

「ひとそれぞれ」は主にふたつの目的で使われることばである。ひとつは「その件については関心がありませんから干渉はおこないません」という自身の立ち位置の表明であり、もうひとつは「自分もまたひとですから“それぞれ”の一であり、ゆえにこの件について…

#1225

忘却はすばらしい特技だ。それを日常に活かせる者を俺は冗談や揶揄でなく尊敬する。

#1224

なんでもないことが幸せに思えるほど不幸なことは滅多にない。

#1223

満足や納得がどこで得られるかは、あるいは当人にもわからないものなのかもしれない。得てみて初めて「あー、ここかぁ」と思うようなところにあるのが満足や納得というものなのかもしれない。もちろんその時々でポイントは変わるものだから、今の満足も明日…

#1222

立って風景を見る。一歩前へ出れば、少し先の風景が見える。一歩うしろへ下がれば、今まで見えなかった周囲の風景が見える。人間の視界とはそういうものだ。そして夜になれば見えるものはぐっと減る。人間の視力とはそういうものだ。その程度の世界に、人間…

#1221

なにもできずにいるということは、なにもせずにすんでいるということでもある。内外の事情でしなければならないことは、できなくともしなければならないからだ。できずにいるという現状は、せずにすむ状態にあるということと同義だ。あるいはそれは、なによ…

#1220

正義は論理的にはスタンドアローンにならざるを得ない。もしその正義に「悪の駆逐、排除」が含まれていれば、必ずそれは形而上形而下を問わず争いへ至る。かといって悪を駆逐・排除しない正義には積極的な存在意義がない。従って正義あるところには必ず争い…

#1219

そんでコスモスへ戻ってくると絶望的な気分になるという哀しさ。でもちゃんと勉強しとかないと一丁前のことはいえないしなあ。がんばる。

#1219

人間はいろいろもてあました生き物だってことだ。知性にせよ欲望にせよ、器を軽々越えてデカい。中でも一番もてあましているのは寿命だな。生き物としての義務を越えて寿命があるもんだから、考えたり悩んだりする暇ができちまうんだ。

#1218

やべぇ赤星ちょーマジだよメビウスおもしろすぎ。

千樹 憐に注目せよ(『ウルトラマンネクサス』関連与太話)

さて、そんな具合にウルトラシリーズ中におけるネクサスの意義を考えたわけだが。 ネクサスという作品そのものにおいて、外せない要素はいくつかある。 中でも俺が重要だと思うのは、デュナミストという設定であり、デュナミスト本人たちであり、取り分け千…

『ウルトラマンネクサス』を今さら考える−04

現実味を得たヒーロー譚は、それを骨格に成長したおとなの自我を支え、彼らに自信のようなものを与える効果をもつ。 ウルトラやライダーが好きだった者は、成長の過程で一度は言われているはずだ「いい齢をして」と。 それはたとえば、親がヒーロー譚からこ…

『ウルトラマンネクサス』を今さら考える−03

自身の骨格にもなったかつてのヒーローを、おとなでも納得できるものにする。 それは、ヒーローを骨格として取り込んでしまった元こどもにとって、必須の作業なのだ。そういうかたちで自身のルーツを“正当化”しないと、今さら抜きようもないヒーロー製の骨格…

『ウルトラマンネクサス』を今さら考える−02

とにかく『ウルトラマンコスモス』はひどい。わが家の四歳児も、初期の数話を見てけらけら笑い、「続けてコスモス見るか?」と訊ねたら「もういい」と言い切った。以後、勧めても見たがらない。「あれはおかしいからなー」と言って相手にしない。彼によれば…

『ウルトラマンネクサス』を今さら考える−01

四歳六か月になったこどもに初めて“怪獣”を見せたのは、一昨年の十月のこと。ちょうど二年前だ。 コーヒーを飲もうとした時、彼が俺のために選んでくれたカップに、可愛らしくデフォルメされた怪獣の図柄がプリントされていた。彼の中のなにか本能的なものが…

#1217

何事につけ“思いっきり”できることは大事。中途半端にしかできなければストレスが溜まるし、“思いっきり”は場も相手も選ぶから、それができるということはそれだけ状況に恵まれているということにもなる。そしてなにより、“思いっきり”を求めるこころがある…