2018-06-01から1ヶ月間の記事一覧
喉が渇いたらすぐ水なりなんなりを飲める幸福を、平時から感じていないとダメだ。逆境で感じることは誰にでもできるわけで、それではなにも変わらない、変えられない。
侍というものは、主君を第一としつつも理を通し筋を外さず、背に刃を受けることを恥とし、敵と正面から向かい合って堂々と名乗りをあげ切り結ぶ、そういうもんだと思っていたんだが。 いつの間にかそーじゃなくなってたみたいね。 ま、別にかまいませんが。 …
まあだいたいのことは、やったらいかん時に楽しくて、やらなきゃいかん時には重荷になったりするわけだよ。だからこそやり甲斐ってのもあったりするんだな、これが。
目標は達成するためにあるものだが、目的は必ずしも達成される必要はない。むしろ達成され得ない目的の方が、ひとには重要な場合がある。
美しくあることよりも、美しくあろうとあることが、美しい。
一生のことなんて、ひょんな流れで決まるもんだよ。というより、一生のことほどそういう風に決まらなきゃいけない。なぜって? それが乗るのであれ逸れるのであれ、どこかに余裕を残しておいた方がいいんだよ。あれもこれもギリギリまで追い詰めた結果ばかり…
人間がやっちゃいかんことというのは、人間の中に潜む人間でない要素に触れることだ。自分のはもちろん、ひとのそれにも触れちゃいかん。誰のものであれ、それを外へ引きずり出すようなことをしちゃいかん。人間の、人間でない要素は、どの人間にもある。だ…
いやホント今さら気づいたんだけど。 俺ってアレだね『かたりたいやまい』に冒されてんだね。 カタリタイヤマイ患者なんだ。ほぼ間違いない。 気づいたら、なんとなく気が楽になった。
楽しいこともつらいことも、そのイベント自体はたいがいは必ず終わるものだし、終わってしまえばあっという間のことだ。問題はそのあとに残る記憶の方で、その記憶の中でどれだけの時間が感じられているかが事実としてのイベントに加えられてしまう。さらに…
寂しさを感じられるのは寂しくない時代を経験してきたからで、寂しさを感じられない者より豊かであることには間違いない。ただその豊かさが幸福に結びつくものかどうかは、判断し難い。
判断に至らない思考を弄ぶことができる境遇を幸福と呼ぶ。
わかる範囲は問わない。自分にはわからないということをわかり、自分にはわからないことを認め、わからない以上は余分な手や口を出さない者を賢者という。そしてそれに漏れた者全員が愚者である。
調和を壊すのはたいがい賢いつもりの目立ちたがりだ。自分が目立つことしか考えていない上に中途半端に頭だけは回るから、周囲に致命的な悪影響を与えることができる。
この語がもうずいぶん長いこと――おそらく何十年に渡って――気になっていて仕方がない。 『難易度』。 辞書で調べると【難易の程度。難しいか、たやすいかの度合い。】とある(小学館/デジタル大辞林)。 うん。別にこれは問題ない。 問題はその使われ方だ。 …
謙遜ってのは頭の悪さを誇ることじゃあないんだよ。賢さを控えめに表現することなんだよ。だから頭の悪い人には謙遜はそもそもできないんだよ。
自分がどん底へ落ちることはさほど恐いものでもない。他人のどん底を眺めることの方が恐い。
豊かなうちは知ることのできないものごとがある。それは、貧しくて知ることができないものごとよりもしばしば致命的な無知に繋がり得る。
品のよさは下品なやつにはわからない。わからない分だけ下品なやつらの世界は狭い。その狭い尺度でしかものごとを測れないから品のよさに辿りつけない。ああ終わらない悪循環。
なにも求められない気楽さ/なにも求めない虚しさ ただ今ならセットで頒布中。
全員が「必ず勝てる勝負しかしない」という主義をもてばいい。負ける勝負に挑むやつがいなくなるから、勝負そのものがなくなる。
なぜ生きているかがわからなくなったら、息をとめてみればいい。そうすれば、自身の意識とはまったく別のところに、存在を希求するなにかがあることがわかるはずだ。そのなにかを操る資格があれば、呼吸をやめようと決めるだけでひとは死ねる。
わかりあえないことを嘆くより、わかりあおうとすることを尊ぶ。
ひとを貶したり責めたりする時には自分がされたり言われたりしたらイヤな点を突いてしまうのがヒトの習性。つまり攻めれば攻めるほど自身の弱点をバラしていることになる。慣れた者はそれを冷静に見て逆襲する。それは必ずヒットすることになる。
余裕がないとわかるうちはまだ幾分か余裕がある。
必要なのは認めることなのに、なぜかそれを「許す」ことだと思っている傲慢な者がいる。あのね。キミが許す許さないにかかわらずそこに存在するものにキミの許しが必要だとする、その思いあがりってどこからくるの?
定義! これに尽きる。すべてに確かな定義がおこなわれ共有されさえすれば、何ひとつ問題は起きないのだ。そしてゆえにこそ、世界から問題が消え去る日は来ないのだ。
何事にも旬というものがあり、それを外したらどんなに可能性をもつ素材であってもその力を十全に発揮することはできない。企画やひともまた然り。ただ、果実など季節の繰り返しの中で旬を測ることができ、一度逃しても次の年を待つことができるものとは違っ…
理解は必ず幸福へ結びつく。理解したのに幸福へ届かない、あるいは逆に幸福から遠のいたというのは、まだ理解へ至っていないのである。
明日を信じるのと昨日を懐かしむのとは、今ではないいつかを思うという点では大差ない。昨日を懐かしめるなら明日を信じることもできるはずだ。できないとしたらそれは、明日を信じられないのではなく信じない、つまり自分が明日を否定しているだけのことだ。
誰かの心を傷つけることは、実はさして悪いことではない。心が傷つくのは、心のよほど深いところへの不用意な手出しがあった時だが、どこに手出しをされると傷つくかは当人以外にはわからない。当人にすらわからない場合もある。それは余人が簡単に想像でき…