かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

2022-03-01から1ヶ月間の記事一覧

#3104

存在の否定は紛れもなく存在しているゆえにこそ現れる対応なので、存在の否定は即ち現在確かに存在しているという証である。

#3103

理非の有無や正当性の度合いもまた順列を定めた時に力としての格を有することになるのだから、あらゆる交渉は力の優劣によって定まるといってよい。その上で交渉の相手とどれだけ寄り添えるかの度合いが交渉自体の優劣を定め、その結果がまた力としての格を…

#3102

許しとは対象の非に対して与えるものではなく、非を受けた側の被害についての査定の結果なので、許さなかった場合の被害は決着しないまま持ち越され続けることになる。

#3101

救われないのは救われたいと思うからで、初めから救われることを想定していなければ救われないという結果も生じない。つまり救われる者は自身を諦めた者だけである。

#3100

見識の狭い者がその見識に囚われ続けるのは、新たな見識を得る機会や能力に恵まれないからではなく、当人にとってその見識に支配された世界が居心地よいゆえだ。従って、周囲がどれだけその者の見識を広げようとしても甲斐はなく、もしその者が周囲にとって…

#3099

野良犬にも野良犬の誇りというものがあるが、がんばっても野良犬の器までの誇りだ。飼い犬には飼い犬の誇りがあるが、必ずしも飼い犬の器いっぱいの誇りとは限らない。

#3098

「なぜ生きているか」と問われて即答できる者は愛に恵まれたか知恵に恵まれなかったかその両方かに含まれる。

#3097

ねこが歩いている町はよい町だ。ねこを脅かす要素がないわけで、それはつまりその町を営むひとびとにねこを脅かす理由がないということになる。余裕があるってことだよ。ひとびとのこころにも、ふところにもね。

#3096

ああ知っているとも、明けなかった夜はない。だから困っているんじゃないか。明日は俺にとって最期の日、つまり来てほしくない日だって必ず来るってことだ。

#3095

文学とは逆境にあって生み出され、順境において愛でられる文化的所産である。

#3094

そりゃあ日々の積み重ねは大切さ。だがなんでも積み重ねればいいってわけじゃない。俺の場合は『明日になったらやろう』が日々積み重なってえらいことになってる。

#3093

世界に「自分のもの」なんかひとつもないんだよ。借りてるか、当面預かっているだけなんだ。自分自身のいのちも含めてね。

#3092

おおいに残念なことだが人間の根本はどうしても親によってつくられる。ただ子が親の真っ直ぐな複製品に必ずなるかといえばそうでもなく、しばしば正反対のものにもなる。しかし正像逆像のどちらかには必ずなり、どちらにもならないことはない。

音楽という趣味(ギター蒐集篇)※本編!

※この文章は2019年5月22日に投稿した『音楽という趣味(ギター蒐集篇)』(https://st79.hatenablog.com/entry/2019/05/22/190656)という文章の続編であり本編です……が、別に前編を読む必要はありません為念 音楽というものはやはり懐が深いものであるわけ…

#3091

地球上での生物の進化の歴史は、発生した場所である水からどれだけ離れて生きてゆけるかの歴史といえる。ついには酷暑の砂漠でも生きられる生物も生まれたが、かといってまったく水がない状態で生きられるわけではない。ごく少量の水を大切に扱う体制を得て…

#3090

死にたくなければ逃げるのが正解だよ。ただ、死にはいろいろと種類があって、どれを避けたいか次第で逃げる先も違ってくる。くれぐれも避けるべき死を見失わないことだ。

#3089

便利なものはどんどん使え。それがもたらす余裕は常に便利さの副作用に勝る。

#3088

得意か苦手かと問われて苦手と答えるのは謙虚なわけでも自分に厳しいわけでもなく、単に知識が多すぎて自分のみすぼらしさが気になるだけのことでね。損な性分だよ。

#3087

何故を問うてくれる者があるひとは幸いである。答えるために自身の知識や思惟を自らに確かめ磨きなおす端緒を得られるからである。

#3086

私の劣化は私自身がいちばん理解しているよ。キミに頼みたいのはそれを罵ることではなく、それでもなおこの私になにかなすべきことがあるか、それを見つけることなんだ。

#3085

アタマが痛くなるのは考えすぎの時。胸が痛くなるのは悩み過ぎの時。同じ事のような気がするかもしれないが、実際にはだいぶ違うことだよ。

#3084

寒いのは季節の風のせいじゃない。ましてや世間の風のせいでもない。自分の中に風を防げる衝立がなくなったからだ――意欲という名の衝立がね。

#3083

恐ろしいものは常に自分の中にあって、外部の何かは依代に過ぎない。

#3082

博愛の精神など要らない。ただ真っ当に家族と隣人を愛し、その幸福を願えればよい。家族と隣人が幸福であるにはなにが必要かを考え、その実現に日々の力の一部を割けば、それでよい。それが遍くゆきわたればよい。

#3081

狡猾な善人は愚かな悪人程度に扱いづらい。

#3080

毒に対して耐性をもち場合によっては毒で対抗できるのは当然ながら元々毒をもっている者だけであるから、ふつうの者が毒と遭遇したら早々に退散するのが望ましい。

#3079

自分に何ができるのかを考えることはもちろん大切だが、何ができないのかを考えることも重要だ。なぜできないのかまで考えるとなおよい。そこから自分にできることが自分にできる理由や意義も見えてくるだろうし、それが見えればできることは必ず増える。

#3078

予てよりわたくしは「1リットルの器では1リットルしか測れず、それ以上の容量については『いっぱい』と判断するか、若しくは根本的な量の差があることも認識できない」という主張をして参りましたが、本日、誠に遺憾ながらその主張が誤っていたことをご報…

#3077

想定外のことは起きる可能性もあると考えた時点ですでに想定されている。

#3076

過去に囚われることと過去を愛でることに大差はない。いずれにせよ過去は放棄ができないものなのだから、囚われようと愛でようと当人がそれに納得していれば充分だ。尤も納得していなかったとしても過去の放棄ができない以上どうしようもないんだがね。