かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

2021-01-01から1年間の記事一覧

#3017

幸福に定量はないから同時に多数、それこそ総ての人間が幸福になる世界はあり得る。しかし中には他者の犠牲を幸福の条件とする者もあり、現実として全人類の同時の幸福の実現は困難を極める。だがそれでも祈る。多くのひとびと、できれば総てのひとびとに幸…

#3016

常識を連呼する者に不足しているのは自身がそれを常識として受けいれた事情に対する考察である。

#3015

やさしさには凡そふたつの種類がある。ひとつは自身の愛情が基盤にあるもので、その愛情を管理するために行使される、つまりは自身の愛情に関する欲望を満たすためのものである。もうひとつはノーブレスオブリージュのひとつのかたちとして、自身より下位に…

#3014

助けを求めるのに資格や条件は不要であり、助けはいつでも大声で堂々と求めてよいのだ。ただ応える者が必ずいるわけではないこと、いたとしても得られるものが望んでいたものに相当するとは限らないことは知っておいた方がよい。

#3013

ひとりでいることが問題なのではない。ひとりでいることに慣れたつもりで、実は一方的に消費するすれ違いの人間関係にすがっていることが問題なのだ。

#3012

ひとを傷つける者はそもそもに罰を受けている。その罰とはひとを傷つけることができることそのものであり、当人がその罪を自覚できない、もしくは自覚しても何ら自省ができないならばそれはその者がひととして生まれ損なった、つまりひとの姿をしていながら…

#3011

自分を主張するために他者を引き合いに出す必要はまったくない。たとえ主張したい自分が他者のそれと重なったり、あるいはまったく重ならなかったとしても、それによって主張したい自分自身の意義や価値が変わるわけではないからだ。他者を引き合いに出さな…

#3010

力はその詳細を秘している間のみ機能するものであり、その規模や内容が詳らかになった後は単なる情報のひとつとなって求められる効果を失う。

#3009

自身の得手を見定める能力と不得手を認める能力を併せもつ者だけが技能を修得できる。

#3008

小人の世界は小さく、大人のそれは大きい。小人は大人の世界の規模を知る能力を備えず、大人もまた小人が住まう世界の小ささを想像できない。従って両者は相互に理解しあうことができず、結果的に棲み分けというかたちで物理的な空間を共有するしかない。

#3007

こどもを一方的に軽視したり疎んじたりするモノは自身のこどもの頃の記憶を失くしているか、そもそもこどもであったことがないのだろう。それはそのモノが人間の生の過程において最も重要な時期を喪失したか備えていない異形だということを意味する。

#3006

未知だからといって非存在とは限らないし、既知が必ず実在とも限らない。個にとっての世界がその程度に曖昧なものに過ぎないことは常に認識していなければならない。

#3005

感謝できることはもちろん感謝を受けいれてもらえることへの感謝もしようぜ。

#3004

幸せになるために必要なのは物や金ではないし、権力や人脈でもない。それが幸せかどうかを見定め見極める力だ。この力をもたない者は永遠に幸せとは無縁であり、しかし幸せへ向かう欲だけは備えた異様な存在となる。

#3003

なにもできないということはないさ。できないと知るには、よほどの経験や知識が要るんだ。それを積むことがもうできているじゃないか。

#3002

ひとは不完全なコミュニケーションしかおこなえないからこそコミュニケーションの成立に躍起になる。一方、ひとの存在意義はコミュニケーションをおこなうことそのものといえる。両者からいえることは、ひとという種が恵まれた存在だということだ。存在意義…

#3001

大切なものだけに囲まれた生活は、身の周りのなにかがひとつでも欠けると途端に破綻する。つまり生きるには多少の無駄がどうしても必要だってことだ。

#3000

ひとに力を与えるのはひとだし、ひとの力を奪うのもひとだ。それは、ひとはひととともにあって初めてひととなるということを意味する。だからひとは常にひとを求める必要があるし、失わないように尽くす力もまた常に必要となる。

#2999

そりゃあ人間なんだから好き嫌いはあって当然だ、だがそれを自分で管理できないってのは困るね。嫌いなものには自分が近づかない、近づいてきた時だけ排除する。好き嫌いに基づいてできるのはそこまでだし、それは個々の管理の範疇だ。それを逸脱する者に、…

#2998

愛はそもそも個の感情であるから汎的な事情として成立するものではなく、当然大義として認め得るものではない。愛を名分にしようとする者は要するに「オレのため」に動いているのであり、余人がこれに強いて協力する必要はまったくない。

#2997

明日ということばの響きにわずかでも好もしさを覚えるうちはまだ大丈夫。

#2996

確かにひとつの課題につきひとつの解があると定まっていれば楽だろうね。でもそれが徹底されたらいちばん困るのはキミという存在そのものなんじゃないかな。然り、キミは人間という課題の解にはほど遠い。

#2995

喧嘩には必ず逃げ道が必要なんだよ。だから喧嘩は、自分のものはもちろん、相手の分の逃げ道も確保してから始めないといけない。もしどちらか、あるいは両方ともが確保されていなかったら、それは喧嘩ではなく殺し合いになってしまうんだからね。

#2994

対策は常に想定の範囲内に限っておこなわれるので想定外の干渉にはまず無力であり、そして干渉は常に対象の想定を上回る自信がある者がおこなうものなので、結果的に干渉を受ける者はどれだけの対策をしても常に無力となる。干渉を受け止めきれるのは自ら干…

#2993

語る自由が欲しいなら語られる覚悟が必要だ。

#2992

道に通ずれば通ずるほどひとは寡黙になるが、それは必ずしもその道に関する知識の多寡とは繋がらない。彼らをして黙らしむるのはその道への畏敬の念であり、その畏敬は知識によってではなく理解によってのみ生ずる類のものである。

#2991

危険にはふたつの香りがある。鼻腔の奥がヒリつく乾いた香りと、喉まで届く甘い香りだ。そしてどちらにも、回避より邂逅を望ませる強烈な魅力が備わっている。その魅力がつまり、危険の根本的な要素なのだ。

#2990

寂しくない状態を知っているひとも寂しくない状態を知らない人も等しく寂しさは覚えるものだ。両者の違いは、寂しくない状態を知っているひとは望みが満たされる喫水線をもっていてそれ以上を強いては求めないが、寂しくない状態を知らない人は喫水線をもた…

#2989

未知の対象に抱く感情はまず好奇心であったはずだ。そこに恐怖が加わるのは学習に因る。長じてなお好奇心を優先する者は、理性で恐怖を馴致した者か並みはずれて好奇心が強い者あるいは学習能力が薄弱な者、もしくはその複数を含む者である。

#2987

ひとを喜ばせることは難しいことではない。まずそのひとをとことん虐げ、そののちに自ら滅びればよい。自ら滅びる気概があれば誰にでもできることだ。