2018-02-01から1ヶ月間の記事一覧
仕事上の交渉に人間関係を介在させるのは禁じ手。それをした時点で交渉は公正ではなくなる。
おもしろいと思えたものにはとことん食らいついておけ。
定義は人間の根本的な欲求。
雄弁は銀、沈黙は金、饒舌はプラチナ。
滅多にない酷い目に遭ったら、悲運と嘆くよりも「そんな珍しい経験できちゃってラッキー♪」と笑う。そんな意地を張れる者でありたい。
さまざまな経験を積んで大概のことには動じないようになっていながら、気負いや緊張から解放されて剥き出しになった感情が些細なことでうち震える。齢を経るとは、かくもアンバランスなことであったか。
whyを考え過ぎるとあらゆることに対してやる気がなくなるので主にwhatを考えるよう心がけているが、whatだけで生きていると新しいことをする気がまったく生まれない。
だいたいのことは頭だけで扱うとろくなことにならない。頭だってからだの一部なのだし、からだのほかの部分も動員して事態に対するのが正しい。
病にて眠る子の頬見つめ居りただ見つめ居り見つめ居りけり
傷みつつあるこの器 満腹も空腹もなく倦むこともなく
絆は意図して育んだり築いたりするものではなく、いつの間にか存在しているもの。ただ絆と認識したあとの保全には多大な力を要するもの。
手ひどく裏切られることがあってもしばらく後にはまた誰かを愛してしまう自信だけはある。
正義は報復を求めない。
誰がいいだしたものか知らないが、「誰得」=誰が得するんだという決まり文句がある。 いろいろな意味で、これほど使う者の恥を自ら曝す恥知らずのことばはないなあとは思うものの、これが自分が好きな対象に使われているのを見たりすると、わりと不快になっ…
じっくりと時間をかけ冷静に論議を重ねれば、世界中に解決できない課題なんかないんだ。問題はその時間と冷静さ、両方ともがまるで足りないことなんだ。
期待とは自身の望みを投げかけることであって、だから他者の期待に応えることは他者の望みを叶えることに過ぎない。それは悪いことではないが、重要なのは自分自身が自身への期待をもつことだ。そしてそれに応えることだ。
友人になら「主義主張のために生きろ」と言うだろう。だがこどもには「生きるために主義主張を決めろ」と言うだろう。親とはそういうものだ。
用不用だけを基準にものを観ることは、対象の一番おもしろいところを見逃すことに繋がる。なぜならおもしろさとは根本的に余剰から発生するものだからだ。
『スーパードンキーコング』3時間がかりで100%クリア。隠し部屋はほとんど憶えていた……が、いっこだけどうしても見つからないよう。攻略本は倉庫だしな取りにゆくのめんどいな。 というわけで『スーパードンキーコング2』開始。ディクシーかわいいよ。ミス…
「できる」を前提に考えるから行き詰まるんだ。すべて「できない」を前提に考えると、できることはすべてブレイクスルーでたのしいしうれしい。それに、これは真面目な話なんだが、「できない」から始めるとむしろものごとの本質が見えてくる。これホントだ…
誰かの幸福をいつも喜べる人間でありたい。
やべえ気がついたら1時間半『ぷよぷよ』やってた
ゆえあってゲームを発掘することにした。お。こんなものもあったか。 こりゃまた懐かしい……。 これ今オクに出したらそこそこ値が伸びるんではなかろうか。出さないけど。 本日の収穫。これでしばらくは大丈夫だろう。
そもそも責任が取れると思うこと自体が傲慢なんだよ。もちろん責任を放棄していいって意味じゃない。取り返しがつかないことは理解していますができる限りの埋め合わせをします、させていただきますって心持ちになるのが反省だし謝罪ってもんじゃないのかね…
なぜ you の複数形がないのか考えたことはあるかい? you はつまり最初から単数じゃないってことさ。目前にある自分以外は全部 you だ。逆に I が we になるのは、それだけ I の範囲にあるものが増えるのは特別だってことだ。
理屈で“好き”にはなれないが“嫌い”になるには理屈も役立つ。
若者の無謀をとめるには危険性を説くより安全性を強調した方がよさそうな気がする。
圧倒的なものに触れることが時には必要だ。ひとのなしたことであれ、ひととかかわりのないことであれ、圧倒的なものに対した時に起きるカタルシスは文字通りに澱を除いてくれる。もし全身になにか重みを感じたなら、圧倒的なものを探すといい。