2022-10-01から1ヶ月間の記事一覧
死より生の方が better なら誰だって生を選ぶよ。
赦さないのでも赦せないのでもない。そもそも赦すという選択肢が存在しないんだ。
好きになるのに理由はないが嫌うのには理由がある。理由もないのに嫌いに感じるのは苦手かむしろ好きなのであって、それが理解できないうちはまだ幼い。
もし自分が人類最後の couple の片方だった場合、partner 次第では人類を滅ぼす覚悟が俺にはある。だからどうだってことは別にないんだがね。
そうだよキミはひとりじゃない、楽しめる趣味があるし友人もいれば偲ぶひともある。でもそれだけだ、そこまでだ。
結局のところ自分が誰よりも自身を理解できていなかったことに気づいてしまった時ひとは終生おろせない荷を負うことになる。
更新されない記憶はやがて創作物と同じ質感しか備えなくなる。
間違いを認めないために間違いを重ねる。そしていつしか正解がひとつもなくなる。
仕上げたつもりが仕上がっていない――老いってのはそういうもんだ。
罵倒のことばを選べるうちはまだ余裕がある。バカだのクソだのと言い出したら、いよいよ追い詰められてるってことだ。ただし罵倒する者に相応の知性があればの話だがね。
時間の経過は多くの課題を忘却や美化による解消へ至らしめるが、それは解消であって解決ではないし、忘却や美化では解消され得ない課題もあり、また時間の経過によって不可逆の変化という新たな課題が必ず生じるので、時間の経過にさまざまなものを任せるこ…
『ゴンドラの唄』で歌われた乙女の命より人間の寿命が長すぎることはけっこう問題だ。
ひとの死が忘却によるものなら誰かを忘れろと強要するのは殺人教唆だしそれに従って誰かを忘れるのは殺人になるよね。
感情はしばしばひとに道を誤らせるが、誤った当人においてそれは常に正解である。
愛された記憶がないことと愛した記憶がないことはひとの履歴において同格の不足。
記憶の否定は自分の否定。
どんな鮮やかな記憶も年月が経てば平均化され平坦になる――記憶があればの話だが。
秘密を墓場まで持ち込むのは簡単だ。難しいのはそこが墓場かどうかを見極める能力を維持することだ。
憎しみのもどかしいところは憎む相手自身には間違いなく憎しみが届かないところだ。
可能性に怖じ気づくようになるってことは残り時間があとわずかだってことだよ。
誰が誰を好きになったっていいんだ。好かれるかどうかはまた別の話だし、その「好き」が赦されるものかどうか、ことに自分自身が赦せるかどうかもまた別の話だが。
何についてのどんな選択であれそれが大きな事案ならその選択を後々に省みての再検証を必ずおこなうもので、もし省みることがないのならそれは選択に自信がなかったことの証左となる。大きな事案なら必ず迷いが生じたはずで、その迷いに再び直面したくないか…
過去なんか気にせず幸せにおなりよ。都合の悪い過去だけ都合よく捨てて幸せになれる方法があればの話だけどね。
愛が精神的な営みに産するものであるのなら、その他のさまざまな精神的営みの産物と同列に量られるべきだし、その時には愛のみ独立したものとして量るのではなく、その他さまざまな精神的営みと関連づけて量られるべきである。ある個が愛のみにおいて崇高と…
生への執着はひとの生存の理由にはできない。
死への恐怖はひとの生存の理由にはならない。
面倒を避けたいと思うこと自体が面倒になっている。
誰の信用を失ったらいちばん困るかって? そりゃ自分自身だろ。
一度安売りした覚悟にはもう二度と値はつかないよ。
好きになることに資格は要らないが、好かれることにはしばしば資格が必要となる。