2016-02-01から1ヶ月間の記事一覧
別に理解は求めない。ただ誤解は御免蒙りたい。
慣れることと馴染むことはまた違うもんでね。たとえば軽んじられることには確かに慣れた、だが未だに馴染んじゃいない。それぐらいの意気地は残っているってことだな。
読み方は読者の自由であって、書き手にその自由を制限する権利はない。一方読者は、自身の読み方に責任をもたなくてはならない。その読み方で他者に迷惑を及ぼすことは避けるべきだし、万一迷惑を及ぼした時、書き手にその責を押しつけてもならない。それを…
最新の情報はチェックし続けるべきだが、それと思索とは分けて考えるべきだ。たとえその思索が古い情報を基にしていて、その情報がより進んだ研究によって否定されるに至ったとしても、思索自体が否定されるべきではない。無論、新しい情報に基づけばさらに…
どっしりができるタイプじゃない。ふんわりが似合うタイプでもない。ちゃっかりには罪悪感を覚えるし、ひっそりとしていられるほど自信家でもない。結局今日もうっかり暮らしている。
生きるのにやめた方がいいと思えるものがいくつかある。でもやめないでいるのは、やること自体が生きることだからだ。やめるのは生きることの放棄と同じだということだ。
当人は充分にわかっているつもりでも、一歩離れて見るとこりゃまたずいぶん甘い認識に過ぎなかったりする。センチ刻みの物差しじゃミリ単位は測れない、ましてやコンマミリの計測など到底無理ではあるものの、自分がもっている物差しがセンチ刻みだと理解す…
大昔は理由が欲しかったし、しばらく前は目的が欲しかった。最近はというと、欲しがる気力が欲しい。多分。
人間の思考は基本的にごく単純なON/OFF回路ながら、フローチャートの編成に個々独自のクセがあり、またスイッチの段数も桁外れに多いから、一見は複雑に見えるものと考えてきた。一方、フローチャートの編成にも関わる感情の部分、これは複雑で解析は困難だ…
薄衣を透かし眺むる肌の如朧に覚ゆ哄笑の声
大海の何処へ連なるかも知らず泳ぎ疲れてただ沈みゆく
とにかく語の定義をもっと入念にすべきなんだ。バベルの呪いは続いている。同じ言語を用いていても、単語の意味は使用者によってあまりにも違う。思うに、紛糾する論題の八割は用語の統一と定義の徹底をすれば片づくはずだぞ。
人類がいわゆるテレパシーの能力をもっていたら、戦は起きなかっただろう。かわりに、一切の文明はおそらく育まれなかっただろう。もしかすると、人類に進化する以前に滅びていたかもしれない。
無駄だろうことがわかっていても、考えることは放棄すべきではない。どの道、個の世界は内側に閉ざされている。その内側を充実させ得る手段は、自身が考えることだけだ。他の何事も何人もそれを手助けしてはくれない、したくてもできない。
理屈は常に全部が正しい。問題なのは素材となる情報の素性と量だ。情報が危うければ理屈は揺らぎ、情報が少なければ理屈は穴だらけとなる。
何歳になっても新鮮な驚きには出会える。齢を重ねて難しくなるのは、驚いたという事実を認めることだ。
まことの春は何処にありや。これは高校三年生の一月、つまり卒業を控えた正月に当時の先生からいただいた年賀状に添えられていたことば。今改めて思い出し、そして口の中でその感触を検める。まことの春は何処にありや。まことの春は何処にありや。
喉元すぎればあつさ寒さも彼岸まで忘れる。
これはリングワンダリングの一種なのかな。再び同じところにいる気がする。ただし三十年がかりの同じところだが。そして次の一歩をどう踏み出しても三十年前と同じルートはたどれない保証つきだが。
何事もモード。すべては様式と繰り返し。流行り廃りは時の魔法。螺旋を描きながら少しずつ違う場所へ至る、けれど結局は同じところへ戻ってくる無限の物語。
新たな建設には旧いものの破壊が必要になる場合がある。だが衝動に任せての破壊が建設に結びついた試しはない。それを踏まえた上で、今、その行為が衝動任せの破壊に過ぎないと認識している者はいったいどれだけいるのか。その行為が自身の首に巻いた縄をど…
経済を離れた思想としてのグローバリズムというものは、どこかよその国に諂ったりよその国のやり方を真似たり、まして自国の在り方を否定したりするものであるべきではない。むしろ自国を学び自国を愛でた先にあるはずのものだ。自国を学び、愛で、同様に他…
無知と無学と無教養はそれぞれ別のものだから、酷い場合には全部を取り揃えることができるんだ。無恥と無節操が加われば、迷惑のロイヤルストレートフラッシュだ。
そろそろ「あいしてる」デビューも考えていい頃合いかもしれないなあ。いや、気持ちはずっとそうなんだけどね。それを言って通じるかどうかってことでね。もしかすると、通じるようになったかもしれない。そしたらちゃんと言いたいんだ、「あいしてる」って…
孔子の思想にあまり共鳴するものはないが、ひたすらそれを維持し続けた生涯には尊敬を通り越して崇拝にも近い意識をもっている。
ひとの世はおもしろい。意外なところ、思いがけぬところで自分に対する好意が生まれていることがある。同様に、思いがけぬところで自分への敵意も生まれていることがある。いずれにせよ自分の与り知らぬところに自分の存在そのものが影響を及ぼしていること…
堂々とするのは難しいことだ。だが場合によっては、虚勢と見透かされても堂々としなければならない。根拠や勝算の有無にかかわらず胸を張らなければならない場面は必ずある。そこで胸を張れた者だけが次のステージへ進む可能性を得る。
確かに生きる上で自信をもつことは重要な要素になるが、その自信を得るために他者を貶めなければならないというのは情けない。なるほど自信を得るには比較が必要かもしれない、その結果“自分より劣る”存在が生じることもある。だが主題は自信を得ることであ…
自分を守るために加害者を設定し常に被害者であることによって正当性を得たいと考える人間は、いつまで経っても積極的に守ってくれるパートナーを得ることができない。結局、被害者を続けて周囲を敵だらけにしないと生きてゆけないってことだ。