2015-08-01から1ヶ月間の記事一覧
絶望を感じるのは心にまだ希望がある証拠。本当の絶望は「ああ、あの時って絶望していたんだな」とあとになって気づくものだ。
思い浮かべると笑顔になってしまう記憶がいくつもある。嬉しさやありがたさで涙が浮かぶ記憶もたくさんある。だが不思議と悲しくて身がちぎれそうになったり、恨みで腹にどす黒いものが溜まるような記憶はほとんどない。
もはや逃げ出すのも面倒くさい。
最初は本当に単純に知ることが楽しかったはずだ。
自分が区別せずにいれば世界はすべて地続きのままだ。けれどいつの間にか線は引かれ、あの世界はあの世界この世界はこの世界と隔てられてしまう。すべては自身の認識次第だというのに、そうして世界は狭められてゆく。
信じるってのはかなりの労力が必要な作業だ。なにしろ、まず疑う労力をかけるところから始めなきゃならないんだからね。
小学校の三年か四年ぐらいまでには男でも女でも一回ぐらいは殴り合いを経験した方がいいと思うんよね。その方が世界って平和になると思うんよね。
ごくクロースな関係、たとえば夫婦や友人の関係などに公的権力の介入を求める事例が生じた場合は、関係者のどちらかか両方が人間として壊れている。そして介入を求めた者の方がまともとは必ずしも限らない。そういう事例に対する精神医療や医療心理学の専門…
下品な人間には品位の大切さや美しさがわからない。仕方のないことだが品位に欠ける論理で整合性ばかりを主張する者の鬱陶しさには辟易する。
好きなものごとに触れている時のこどもの目は美しい。できるようになった技術を披露している時のこどもの態度は誇らしげであり真剣でもある。そこには人間がそもそも備えているはずの可能性が磨かれないままに顕れている。
料理は楽しい。味と味を合わせたらどうなるかという化学実験。手際を考えるのはマネージメント。包丁を研げば大工仕事っぽくもあり、その包丁を巧く使えるかどうかは運動能力の鍛練。そしてなにより仕上げには、おいしい食事が待っている。
面倒臭がっていられるのも今のうち。
がんばって他者との違いを探したり強調したりせずともキミは常に唯一無二のキミだし、がんばって他者と同じように振る舞おうとせずともキミは常に集団の中の一だ。
感謝はされるよりした方がいい、実はその方が実入りがでかい。
先人の苦労にタダ乗りするのはよいことだ。というよりそうしなければ先人が苦労した甲斐がない。引き継ぎ積み上げることは記録と伝達を能力として得た人間のみがなし得ることであり、それを速やかにおこなうにはタダ乗りが最も効率的だからだ。タダ乗りされ…
かたちから入ってる文章ってキライ。ちゃんとした意味も知らず響きがカッコいいからってぐらいで借りてきた言い回しをツギハギしたような文章って、乗り物酔いみたいなイヤな酩酊感を呼ぶんだもん。マジ吐きそーになるよ。でもなあ、そんなもん書き散らして…
本当に他意なく正直にいうだけなのだが、頭の悪いひとを理解できない。文庫本の数ページにも満たない文章に触れて「長い」と感じる、その感覚が理解できない。ヒネリのない因果──たとえば物を持ち上げて手を離せば落ちるというような──が理解できないという…
毎日戯れ言を並べてるつもりなんだが、最近世の中を賑わす話題を見ているとまんざら戯れ言でもないような気もしてくるんだから世も末だ。
誰かを憎むことで自分の心のバランスを維持しようとする人がいる。その人たちはおそらく気づいている、かつてはその憎しみを自身へ向けていて、その状態に耐えられなくなったから他者へ向けるという作法を身につけたのだと。
老いを拒む気はないが、かといって老いに飛び込む気にもなれない。結局少しずつ着実に老いてゆくんだねえ。それが理というものなのだろうかねえ。
勇ましいことを言えるのは、勇ましいことがよいことだと思っているからだ。勇ましいことが恥ずかしいことだと思ったら、勇ましいことなど金輪際言えまい。
やる気はないわけじゃないんだ。この夏に入ってから眠りっ放しで起きないだけ。なんにしたって暑過ぎた。いや夏のせいにするつもりはないけどさ。(←充分している)
まず知りたいと思うきもちがなければ始まらない。そして知ろうとしなければ知ることはできない。だが両方そろっていても知ることができるとは限らないし、知れば満たされるかといえば必ずしもそうとはいえない。それでもまず知りたいという気持ちがなければ…
貧しさとはもてないことをいうのではなく、もてない嘆きをいうのであって、ゆえにもっていない者を貧しいと判断するのは誤っている。哀れむべきはもってももったと判断できない者の渇きであり、その者はどんな境遇にあっても永遠に貧しさから抜け出せない。
たいがいのことは忘れた頃にやってきて、今! という時に噛み合った試しがない。そんな自分がなぜ生き急ぎと言われるのか、よくわからない。
文化の寿命なんて、たかだか四、五十年程度のものらしいねえ。
作家の才能なんて、四十年ぐらい経ってみないとわからないもんだねえ。
下品ってのは相対概念で、だから環境次第で評価が変わることもある。だが下衆ってのは絶対概念で、どんな場へ現れても下衆は下衆だ。
ひとが自分の欲する情報しか受け入れず認めないのは人格の自衛上当然のことなので、今さらそれをどうこういう気はない。ただ多くのひとがそれを認識してくれることは望む。自身も例外でなく自身の欲する情報しか受け入れないものなのだと認識してくれること…
価値は知によってもたらされ、知は富によって育まれ、富は価値によって蓄えられる。従ってこれらが閉鎖的に嗜まれ営まれるのは当然の理といえる。