2018-10-01から1ヶ月間の記事一覧
自分がいつも中心でありたいなんて思わないことさ。え? じゃあ中心はどこにあるのかって? ふーむ。なぜ、いつから中心があるなんて思うようになったんだ?
棄てたつもりが棄てられている。拾ったつもりが拾われている。ひととひとの関係なんてのは、まあだいたいそういうもんだ。
もともと円谷特撮は、赤字だらけだったらしい。 特にテレビという媒体と組むようになってからは、毎週放映という条件も重なり、かなり厳しい状態になったと聞く。 そんな状況から当然のように出てきたのが、改造怪獣というアイディアだ。 皆さんご存知の通り…
大事なことばっかり考えてると、大事なことがどんどん大事じゃなくなっていっちゃうぞ。
流れをつくるのは天才。その流れにうまく乗るのが成功者。あとを追うのが凡人。気づかないのは愚者か仙人。
よい酔っ払いは人前に姿を現さない酔っ払いだけだ。
本物を知ると贋物への興味が湧いてくる。贋物を別の意味での本物としてたのしむことができるようになる。だから本物は知るべきだ。
欲しいものが手に入らない生活より、たのしいことをたのしいと言えない生活の方がつらい。
生きるも死ぬも地獄なら、君がいる方の地獄に居つきたい。
発想は加算ではなく乗算で膨らむ。乗数の数値は参加者のもつ材料の量で、これが少なくとも人数分繰り返されることになる。参加者がひとりの場合は、そのひとりがもつ材料を分割して乗算をおこなう。複数人が参加する場合でも、各々の材料の分割は有効だ。参…
すきなひとのだっこは、ほわわーってなるんだな。やなひとは、さわられるとぞわわーってなる。つまり、そういうことだよ!――愛息(6歳)の2年前の発言
しゃてしゃて♥ 今日は何人がキミタチの正義で殺されたかなー?♪♪
人生ってのは勝ち負けとか優劣を決めるためにあるもんじゃない。だから、それがライフワークだっていうんなら別だが、勝ち負けだの優劣だのにこだわって貴重な残り時間を減らすぐらいだったら、自分にとって有効なことをして過ごした方がいい。たとえば移動…
愛なんてものはそこいらにいくらでもあるもんさ。ただ、ほとんどの人はそれを知っていながら無視している。認めたくないんだよ、愛がたくさんあるってことをね。少ない方が価値があると思っているんだ。多かろうが少なかろうが関係ない、というより価値で測…
論敵が現れない程度の論に価値はない。賛同者しかいない論はそもそもに要らない。
個人において無駄遣いは存在しない。単に遣った者の価値観が変わっただけで、遣い途が無駄だったわけではないのだ。価値観の変化は当人の責任であり、過去の出費を無駄遣いとするのは自身の過去の無責任な否定でしかない。また他者の出費に無駄遣いという判…
意志を通じ合わせるには、互いへの敬意が必要だ。どうもうまくゆかないと思う時には、まず自分が相手に敬意をもっているかどうかを確かめる。あると思える時には、相手が自分を軽視していることになる。そういう相手とつきあう必要はないから、敬意とともに…
自分自身が価値を与える立場にならないとね。確かに『オレはオレのやりたいようにやっている』んだろうが、“オレのやりたいこと”が“誰かを頷かせること”では、誰かから価値をもらってることにしかならないんだよ。
思い通りにならない焦れったさを嘆くのも、思い通りにできてしまったつまらなさを嘆くのも、前向きでない点では大差ない。
世の中にはよいことを探すのに疲れる人間と、よいことを探すことを禁じられることに疲れる人間がいるらしい。
憎しみを原動力に転用するのはおそらく最も人間らしい行動だ。他の生き物がそんな器用な真似をするのは見たことがない。というより、他の生き物に憎しみがあるのかどうか。まずはそこから人間らしさは始まるのかもしれない。
判断基準が自分の裡になく他者の評価のみを頼りとする者と、他者の評価は一切受けつけない者は、公に発言してはならない者たちだ。
スーパーGUTSが同窓会をやったというニュースがあった。⇒http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1810/09/news075.html 写真を見て「いやー皆さんいい年月を重ねられたなー」としみじみ思いつつ、好好爺からはほど遠い木之元亮氏の精悍さと迫力に、改めて惚…
考えてみれば哀れなものだな、きちんとしたものの考え方を修得できなかった者は。結局、一生を借り物の情報と借り物の主義主張で過ごすしかない。それらが借り物であるということに気づくこともできない。周囲からそれを看破され「その程度の人間」と目され…
さまざまな場面、さまざまな状況で、沈黙を保てばよかろうにわざわざ自身の無知無学を表明する人々がある。そういう人々の発言に凡そ重んじるべきものはないが、彼ら自身が無知無学であるということのみは信用し重視すべきである。
それを望んだか否かは些事であって、重要なのはそれが出来したという事実だ。その事実を認識することであり、その事実にどう対処するかだ。
『ウルトラマンギンガ』以降の怪獣たちには、“した怪獣”のメタ解釈を感じている。(参照→『怪獣とはなにか(基礎的分類篇)』http://d.hatena.ne.jp/st79/20170718/1500367247) スパークドールズという概念で過去の怪獣たちを“道具”として扱うシチュエーシ…
愛までは望まない。ただ疑う必要のない者と認めてもらえればよい。
目がよい者は夜空に多くの星を見ることができるだろう。耳がよい者は静寂の中にも身動ぎするものの息吹を聞き取ることができるだろう。鼻のよい者は香りで、肌の鋭い者は感触で、世界の姿を感じ取れるだろう。賢い者は、それらを実際に感じなくとも想像で捉…
未知を既知に変えるより既知を新たな情報により上書きする方が難しいし、既知を未知に戻すに至ってはほぼ不可能なほど難しい。物知りはつまり不具合だらけだってことさ。