2022-04-01から1ヶ月間の記事一覧
世の中だいたい知らない者が否定する。学歴を否定する言説を支持する者の多くは学歴はもちろん学業全般についての知識や考察が薄弱だし、実用性にこだわる者の多くは否定の対象となるものごとが実用性をもつ分野について無知だし、創作物を否定する者の多く…
空気は読む者ではなく吸うものだという言説は、雑誌は読むものではなく見るものだというのにほぼ等しい。
思いが伝わらないと嘆く前に思いをことばにできる言語能力を鍛えたまえ。それを声や文字で発することができる覚悟を決めたまえ。それでもなお伝わらない時は、その程度の縁と諦めることも必要だ。どうしても諦められないことならば、なお励みたまえ。
自ら着手しない者には発言が許されないというのなら、死刑のある国の全国民、少なくとも裁判官は殺人者でなければなるまいな。
見聞を広めろというのは賢くなれという意味じゃない。世界をわずかずつでも大きくしろということなんだ。大きな世界に住む人間には大きな世界に見合った知恵はついてくるものだが、それは結果論でね。まず世界を大きくすることが第一の目標なんだよ。そうす…
むしろほとんどの要素を生来のもの、先天性のものとした方が納得はゆく。だからこそそれは否定されなければならない。
吾子の手の幅より指の長さより厚みの増すに年月を知る
優しさの行使は優しさから突き放された経験のある者にしかできないし、優しさの行使の方法は優しさに触れた経験のある者にしかわからない。優しさが足りないだけでも優しさを甘受するだけでも、優しいひとになることはできないということだ。
裏切られる可能性がない愛なんかないんだから、裏切られる可能性がない場合はなにか別の呼び方をするべきだと思うんだよ。
愛は病に近いものだから、愛を動機に行動するのは病熱に浮かされてそこらを徘徊するようなものだ。別にそれ自体は悪いことではないが、動機が病に近いものだという自覚はもっておくべきだし、他者に対してそれが理由として通用すると思ってはいけない。まし…
自分にできないことを他者に強いるのはよくないことだし、自分にできるからと他者に強いるのもまたよくないことだ。自分と他者は違うのだから、自分のできるか否かと他者のできるか否かはまったく関係がない。自分の経験が役に立つのは自分に対してだけだ。…
誰かを理解するということは、その誰かを赦すということと同義だ。赦しのない理解はあり得ないし、もし赦す気もなく理解を遂行しようとするなら、それはされる者にとって嘲弄に等しい行為となる。赦す覚悟のある者だけが、誰かを理解しようと試みることだ。
人間にはなぜふたつ手があるか知っているか。片方の手で誰かを殴り、もう片方では誰かを撫でるためだ。同じ手では駄目なんだ、誰が血まみれの手で撫でられてうれしいものか。…だが口はひとつだけだ、だから時おり舌が二枚あるやつが現れる。まあつまり人間は…
法が通用する相手はその法が存在する社会にしか生きられない者だけだ。
帰って来なかった者のことばはひとつも残らない。いいか、ひとつも、だ。
愛とはとどのつまり自分が観てとった相手の像に対する情動であり実際の相手自身へのものではないから、愛し合うということは互いにそういう虚像への情動を認め合うということにほかならず、ゆえに成立が困難な行為なのである。
残念だったな。21世紀の正義ってやつは、相手の死や消滅を願ったら正義じゃなくなっちまうんだ。つまりあんたは、時代遅れってやつなのさ。
悪事と自身が認めることを他者に教唆しおこなわせることは、自らそれをおこなうよりはるかに罪深い。
先日ツイッターを眺めていたら、ひとつのマンガが目にとまった。 フォローさんがリツイートした作品だ。 成年女性の恋愛を描いた短編。物語の主人公には、好きな男性ができると彼の体臭も好きになるという癖(へき)があった。それが発端となってちょっとし…
愛国を標榜する者が認識する『国』即ち当人が『愛』する対象はしばしば恣意的なものであり、一般に認識される国の定義とは異なる。突き詰めるとそれは国という規模に見合わない対象、たとえば当人が接触し得るごく限られた環境のみを意味していたり、甚だし…
信頼なんてのは築くとか育むとかのもんじゃない。目指した時点でもう信頼と呼ぶには値しないものになっているんだよ。
なにかができるひとになりたいという欲は、できないことをなくしたいという欲に比べれば相当に控えめなものだよ。だから遠慮なく没頭したまえ、決して罪にはならない。
過去を懐かしむのは長く生きた者の特権だ。誰にもそれをやめさせる力はない。しかしそれはあくまでも長く生きた当事者の中だけでおこなわれるべき行為であり周囲の余人を巻き込む力はその当事者に与えられていない。
覚醒はあくまでも結果となるべきものであって始点とするには危険極まりない代物だ。
無駄な知識などひとつももっていない。使いどころを間違えただけだ。
買えるが買わない、というのがウインドーショッピングなのであってね。買えないから見るだけ、というのはショッピングとは言わんのだよ。
おもしろおかしく生きることに遠慮は要らない。存分にたのしむべきだ。だがその共有を誰かに強いることは大罪だ。やりたければひとりでやれ。同様に懊悩や煩悶に満ちた生活もひとりでやれ。
忙しいのはやりたいことがあるからで、やりたいことがなくなったら義務の作業がみっちり詰まっていても忙しいとは感じない。単に時間が足りない、疲れたと感じるだけだ。
世の中にまったく役に立たないものはひとつしかない――それは「役に立たないものは要らない」という主張だ。
できない理由はあらかた判明した、なおできないままなのはそれら理由が解消できないからだ、解消できるものならとっくにしている……という具合に開き直るようになってきたら、いよいよ自分自身への理解が深まってきたということだ。