2023-04-01から1ヶ月間の記事一覧
ねぼすけさんなので人生の目覚めの時を逃しちゃってね。今も布団の中なのさ。おそらくずっとこのままさ。
何を真(まこと)としようが知ったこっちゃないが、俺を初め周囲の者を巻き込むのはやめておけ。でなけりゃ俺の真が火を噴くぜ。
強者が強さに驕らないのは強者になる過程で強さに上限がないことを知るからだし、もの識りが知識を誇らないのはものを識るたびに知識が果てしないことを知るからだ。だから愚者は平気で愚かを誇ることができる、愚者になるには特段の注力が要らないからね。
強がるなと言ってるんじゃないんだ。それを強がりだと思う、解釈のどうしようもないズレをどうにかしろと言ってるんだ。
その首の上についているのが頭ってものなら、その頭を使って少しは考えてみることだな。その胸の奥にあるのがこころなら、少しは感じてみることだ。まあ頭にせよ胸にせよ空っぽでなにも入っていないというのなら仕方ないが、その時は頭ではなく帽子の台、胸…
善行は善行、悪行は悪行。それぞれまったく違うものだから、どっちも互いの埋め合わせにはならないんだよ。善行には善行への報酬が、悪行には悪行への報酬がある。それだけのことがなぜわからない?
嫌われているのでも憎まれているのでもない。ただあきれられているのさ。
で、俺が死んだあとの弔いは誰に対してしてくれるのかな?
未(いま)だ来(きた)らざるものだから未来なのさ。来(きた)るべきという期待がなければ、どんなに先の時間でも未来とは呼ばない。
何十年も生きてきて結局得たのが墓守の資格ってのは少々ではなく情けない話だね。
なぜを問うのはなぜだ?
個人の生はどれだけくだらないことにどれだけ注力しどれだけ達成したかで測られる。
足し算だけできりゃあいいんだ。マイナス数値を足せば引き算に、何度も同じ足し算をすれば掛け算になるし、何度同じマイナス数値が足せるかが割り算になるんだからな。その代わり足し算だけはとことん修得しとけ――生きるってのはそういうことだ。
恫喝は同じルールで生きている相手だけに通じるんだよ。異なるルールで生きる者には滑稽に見えるだけだ。つまり恫喝は笑われる覚悟でやれってことさ。
男でも女でもそれ以外でも、若者でも老人でもそれ以外でも、毎日鏡だけは見た方がいい。あまり長いこと鏡を見ないと、そこに映っているのが何かがわからなくなるから。
勝負は苦手だよ。勝った時どんな風に笑えばいいか知らないから。負けた時どんな風に悔しがればいいか知らないから。
健康診断が恐いんだ。日々からだに違和感を覚えているのに結果が異常なしだったら、いったいこの違和感になんと名づければいいかわからなくなるからね。
別に助けは望まない。強いていうならずっと休ませてほしい。ずっとだ。
生きるのに理由は要らない。もし理由が必要になったらそろそろ潮時ってことだ。
だから何度も言わせるなって。愛は互いが生きるためのツールなんだ。死ぬためのもんじゃないし死者に手向けるもんでもない。生者が生者のために生み出し使うものなんだ。もし死者に行使するものがあるなら、それは当の死者を含む誰かのためのものじゃない。…
せめて自分の欲望ぐらいには、過去の分も含めて「これは確かに自分の欲望でございます」って認める程度の責任を全うしようぜ。それが無理なら欲なんかもつなって話よ。
正確な枚数など数えなくとも構わないから、自分がパンを食って永らえたということは憶えておけ。パンひと切れに何粒の小麦が必要かを知っていればなおいい。
自分を護るために自分を滅ぼすなんてありきたりだな。いっそ自分を護るために周囲を片っ端から滅ぼせば歴史に名を残せるぜ。
疑いを抱くことは難しいことではないのさ。疑いを貫くことは難しいがね。途中で、信じた方がよほど楽だってことに気づくからね。
迷惑なんて感じじゃなくてね。すぐにでも消えていただきたいレベルだね。改善も補償も望まない。その段階はとっくに過ぎた。
空腹はよいものさ。満たすことで多少なりとも幸福が感じられるし、しばらく時間が経てばまた空腹に戻れるんだからね。だがこころで感じる幸福は二度三度と繰り返すことが難しい。たいがいは満たされれば新しい何かを探さなきゃならなくなる。それなのになぜ…
ああ確かに俺は誰かに殺されても仕方がない人間だ。だが少なくともそのことには気づいているし認めてもいる。そこがキミとの違いだな。
卑劣は高潔の対立概念ではなく単独で成立し得る性根の格のことだよ。
生を希う者には罰を。死を希う者には罪を。
生の意義を決める権限は当の生の執行者自身にしかないが、その生や意義に対する評価は誰が下してもいい。ただし評価を下すには評価者自身の生とその意義をまず提示する必要があり、その則に従えない者は沈黙を守らなければならない。