2023-01-01から1ヶ月間の記事一覧
下衆の下衆たる所以は当人が下衆の条件を理解できていない点にある。「わかってやってんだよ」は理解できていたら到底言えないことばだ。同様に「許されないのはわかっています」も事態を理解できていないから言えることばだ。
こころがすさむと書いて慌、こころをなくすと書いて忙。じゃあ、こころがひからびたらどうなるんだろうね。
知にはたらけば角が立つ。情に竿させば流される。欲に従えば目が濁る。とかく人間はやりづらい。
才への嫉妬ほど無益なものはない。だが才ほどひとを嫉妬に駆り立てるものもない。
洗練とはおよそ肉から離れることだ。肉から離れてなにが残るのかを試すことだ。だがそれは肉を軽んじることではない。それを理解できない者の作品は常に空疎だ。
ひとには正しさが必要だ。それが真に正しいか否かは問題ではない。そのひと自身がそれを正しいと信じられることが重要なのだ。
どちらか一方しか知らなければその価値や意義がわからないという点では天国と地獄は同じようなものだ。だから天国の住人が幸福とは限らないし、地獄の住人もまた然り。
信じることの方が疑うことより容易なのは吟味の対象が自分だけで済むからだ。
長いこと外つ国(とつくに)に住んでいる。 確か29歳の終わり頃だかに仕事場兼仮眠所をつくり(といってもワンルームマンションの一室を借りただけで、とんてんかんてんと槌を振るって制作したわけではない為念)、生活の半分以上をそこで営むようになった。…
叱責を受けて萎縮するこころは正しい。そこからどう回復するかが課題なのであって、萎縮すること自体を責めたり「気にするな」と励ましたりするのは根本的に状況を見誤っている。
罪を罪と認識できたらすでに罪人ではない。だが罪人が自身の罪を自身の尺度以外で量ることができない以上、罪人は自身の罪を常に正しく認識できない。従って罪人は永遠に罪人のままである。
殺されてしまったら蘇らないのは肉体でも精神でも同じことだ。
苦しみを分け合ってこころの充実を感じている暇があったら分け合える幸福を探せ。
ズル休みとか簡単に言うな。当人には正当な理由が、たいがいあるはずだ。
自分のことは自分で護ると言い出したら要注意。
つらさを理解できると言う人より理解したいと言うひとを重んじなさい。
友人の選び方なんてものはない。すべては結果論で、友人になれた相手が自分にとっていい相手か違ったかをそれぞれがあとから理由づけして決めているだけだ。だから友人はどんどん作れ。友人の有無は過ごす時間の価値を大きく変えてくれるし、要らない相手は…
年に一度は殴られないと痛みを忘れていきものではなくなってしまう。
体力と精神力のバランスは重要で、前者が立ちすぎると後者は出番がなくなってサボり後者が立ちすぎると前者は限界を越えた酷使を受けて潰れる。といってどの辺がイイ感じなのかは一個人の中においても日々刻々と変わるもので定点などはない。結局はその時の…
創造とは無から新を生み出すことではなく既存の何かを別の何かに変換することだから総ての creator は自身を maker というより changer あるいは translator であると認識するのがよい。
苦難を重ねて得られる幸福なんてのは大したものじゃないよ。本当に幸福な瞬間は何の前触れもなく訪れて何よりも満ち足りている。もし幸福に苦難を求める者があるとしたら他者の幸福を遮りたい者だろうね。ただ幸福を幸福と客観的に認識するには比較の材料が…
騙されちゃいけない、おとなとこどもの境界線なんてものはない。いい加減劣化したか元からくだらない者がヴィヴィッドな者に嫉妬して勝手な条件を並べただけだ。
捨てられた記憶は自身が捨てることへの抑止力にはならない。
語り合うには共通の言語と語彙が必要だ。どちらか或いは両方が欠けているとやりとりはそれぞれに一方的な自身の開陳にしかならない。
思い詰めるのはまだ希望があるからだよ。
ひとりでいることが問題なのではなく、ひとりを感じることが問題なのだ。
薬の処方箋がひとりずつ違うように、やさしさや厳しさのやりとりもひとりずつ違う。過去の成功体験から幾つかの定型を設定するのは根本的に駄目な方法だ。
ひとにはそれぞれ城がある。その城は互いに侵すべきではない。
「これが終われば」「もうすぐ片づくから」ってモチベーション、なんかヤバない?
正直の罪は数知れず、深く、また罰が与えられないだけ始末に負えない。