2017-01-01から1年間の記事一覧
誰かを信じられないということは自身の疑心が抑えられないということで、必ずしも相手が責任を負うべきことではない。
信じられる友人をもつということは、そういう友人をもつ自分を信じることでもある。
生を実感する時はたいがい生が危険な時だ。一方、死をリアルに感じる時もまた生が危険な時だ。従って生と死は等しい。(無理やりな三段論法)
問題解決への努力をアピールする者がたいがい問題発生の元凶。
不器用と面倒くさがりは成功への旅路の始点になる。ただし旅路には創意という靴と工夫という杖が不可欠だ。
ひとは具体的な利益、たとえば金や物のためには意外なほど動かない。仕事として専門家に頼むのではなく、ひととしての力を本当に借りたい時には、高額の報酬を準備してもほとんど無意味だ。そこを履き違えている者には金輪際“味方”は現われない。
愚者とはものを知らない者にではなく知識の使い方を誤った者に対して用いる語だ。
醜いものは醜いと、恐ろしいものは恐ろしいと、認めなければいけない。事実を糊塗し価値観を歪めて「ソレハウツクシイ」「ソレハオソロシクナイ」と言うのではなく、醜い・恐ろしいと認めた上で、なおそれを愛そうと、許そうと心を砕くべきだ。その行動にこ…
結局なにかをつくり続けないと人間はおそらくやってゆけない。なにをつくるかはそのひと次第だが、消費だけの生活が続くとそのひとはきっと壊れてしまう。
(誘拐だと?……奴らしくないな) 第一報を受けた時、彼は強くそう思った。 (これも奴の“盗み”のうちか? いや、だが、それにしてはなにかがおかしい。……まずはいつも通りにやるか。調査、だ) 彼は執務室にいる部下たちに作業の開始を命じた。 まずは、調査…
翻弄されるのは相手が難物だからでも自身が弱いからでもない。真面目に向き合っているからだ。翻弄されたくなければ不真面目に向き合えばいい、なにも得られないのを承知の上で。
予想だにしない幕切れというものは現実世界でのみ存在し得る。というより、現実世界においてはほとんどあらゆることが予想だにしない幕切れを迎える。
それにしても人間という有機体にはなぜかくも面倒な機能が搭載されているのだろう。ほかの有機体にはおそらく搭載されていないのだろうし、搭載してもなんの意味もないのだろうに――形而上的な思考能力という無駄な機能なんてものは。
迷わず死ねると言う奴は信じるに値しない。けれど生きなければと悩む者が君の求めるものをもっている。
無邪気というのは文字通りに邪気が無いということで、じゃあ邪気ってのはなにかといったら誰かへの害意、悪意の類だ。ということは「悪気はなかったんだよ」≒「無邪気なんだよオレ」ということになる。というわけで「悪気はなかった」という弁解ほどおとなに…
嫁のためには面倒だった揚げ物が、こどものためなら全然面倒じゃないんだねえ。
人間が幸福になるのに必要なのはちょっとした謙虚さなんだ。でも謙虚になるには余裕が必要だ。難しいのはどこからが余裕なのかの基準が個々に違うことで、衣食足りればよいというひともあれば時代がかった調度品に囲まれていないとならないというひともある…
失わなければ大切さに気づかないなんてのは、そもそも大切に思っていないんだよ。失ったから惜しいと思っただけのことだ。本当に大切なものを失ってみればわかる。大切と思う心さえはたらかなくなるんだから。
たのしむことは悪じゃない。たのしむ対象にだって制限はない。たのしみ方が問題なんだ。
愚かさを誇れるのは叡智の真価を知らないからだ。だから誇られた愚かさは確かに本物の愚かさといえる。
勘のよさと頭のよさは分けて観るべきものだ。勘のよさは当人の素質だけでも成立し得るが、頭のよさには素質に加えて扱える情報の質と量が必要になる。つまり、勘がよく情報を多くもち情報とのつきあい方が巧みな者を頭のよい者という。一方、勘はよくないが…
キミに必要なのは無理やりに自分を肯定することじゃない。肯定しなければならないという思い込みを捨てることだ。肯定しようがするまいがキミは存在している、その事実以上に力強くキミを成立させ得る要素はないんだよ。
明けない夜がない以上、暮れない昼もないよな。
明日は明日のカゼをひく。(体調やや不良にてしみじみと)
肉体には常にリミッターがかかっていて、潜在能力があっても発揮できないようになっている。一方精神は、危険な事態が起きた時のみリミッターが起動するようになっている。どちらも自己防衛のためなのだが、おかげで人間は自分の限界が常にわからない。だか…
たまには痛みも必要だ。でないと自分が生物であることを忘れてしまう。
バカの困ったところは世の中の全員が自分よりバカだと思っているところで、賢いやつの困ったところは世の中の全員が自分と同じくらい賢いと思っているところだ。どっちも傍迷惑という点では同等だ。
親しき中にも礼儀あり。愛しき仲にも節度あり。
こどもだって五つにもなれば相手の顔色を読む能力ぐらい身につけてくる。それは人間関係を構築する上で重要な能力のひとつなのだから、こどもがおとなの顔色を読んだらむしろ成長を褒めきゃいけない。こどもらしくないと眉をひそめるなど愚かしい、というよ…
「健全な精神は健全な肉体に宿る」、ありゃ本当だぜ。だから俺はいつも、からだのことは気にかけているんだ。健全にならないようにね。