かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

2017-01-01から1ヶ月間の記事一覧

#1319

それに関する知は必ずそれを得た者に制御の心をもたらす。行使を考え、また実際に行使するのは、知らない者である。

#1318

どんな状況に陥ろうとも、探せばひとつは心を和ませられることがある。ましてふつうに生きていれば、それは視線を向けた先々に見つかる。それは気休めなどではなく、今在るという事実、今まで在り続けたという事実がもたらす必然の結果だ。

#1317

当人には改められない事情に基づいて人間を評価しようとするのは、人間がおこない得る最も愚かな行動のひとつである。

#1316

プロ意識というものは、自身の仕事の意味や影響を知ることから生まれるものなのかもしれない。どんなに高い技術や能力をもっていたとしても、その仕事が社会でどう役立ちどういう結果をもたらすかに関心や知識がなければ、たとえそれで富を得たとしてもプロ…

#1315

伝えるには、伝える側にも伝えられる側にも本気が必要だ。だが、本気だったからといって伝わるとは限らない。十全に伝わるのは関係する者たち全員の尽力と運が整った時だけであって、それはむしろ希有のことと考えた方がよい。

#1314

こどもにはむしろ夢は見られない。夢は遠くから眺めて初めてそれとわかるもので、こどもは夢との距離が近過ぎるのだ。

#1313

思い出すだけでやわらかな心になれる景色をもつことを幸福という。

#1312

驚くためには、まず大前提としてものごとの規模や意味を測るための基準をもたなければならない。だから基準をもたない幼い子は生命を脅かす危険以外に対して驚くことはない。一方、基準はあってもそれが蔑ろにされることに慣れた者も驚くことがない。こちら…

#1311

愚者に足らないのは知識でも知能でもなく、自身に適用する公正である。

#1310

時間を巧みに使うということは、配分に工夫をするというより、自分が時間とどんなつきあい方をしているかを知るということだ。たとえ精緻な予定表をつくっても実行できなければ意味がない。自分がどんな時にどんな気分でどう行動するかを知り、その行動まる…

#1309

大切なものを得て、それを大切と認識できるようになれれば、ひととして学ばなければならないことの八割は修得したといっていい。

#1308

賢者とは、自身が赦しを乞うべき存在であると知る者である。愚者とは、自身が赦しを与える存在であると思う者である。

#1307

本を読むことは情報摂取とイコールではない。煙草を吸うということが単なる化学成分の摂取ではなく着火以前から始まり消火を経て用具の手入れなども含む一連の行為を意味するように、本という物とどう触れ合うかすべてを含んで読書というのである。そのひと…

#1306

ものごとにタイミングというものはどうしてもある。それも含めて才能という。それを認められない者は、タイミング以外の要素もきちんとは把握できていない。

#1305

できない言い訳を準備することは簡単だ。だがそのためには、できないことをまず認めなければならない。実はそこが一番の難関になる。

#1304

リバースエンジニアリングのおもしろさはある種のロールプレイ、自身がその開発者になったらという気持ちに没頭するところにあるのかもしれない。この条件でこれを設計するにはどうするかをとことん考え、そこにある種の法則性や個性を見つけ出し、その借り…

アコギのネック調整

寝室に置いているアコギ(モーリスW40)を久々にチューニングしてみたら、季節のせいかネックが順反りとなった。 でトラスロッドで調整したら、ありゃりゃ。締める方向へ回しきって、修正できませーん。 さあどうしよう!?……と慌てたかというと、慌てない。 …

#1303

かたちのない外部の対象を愛するには、かたちのある外部の対象を愛する能力が最低限必要だ。かたちのある外部の対象を愛したことのない者が語るかたちのない外部の対象への愛は、自分自身への執着を外部の対象へ投影仮託したものに過ぎず、その意識は自分の…

#1302

かまってちゃんとのベストカップル賞を獲得したのはイジルくんでした。

#1301

自分の弱さを嘆くことのできるひとよ幸いであれ。それを認められず無理にでも自分より弱いものを探し出し強さを確かめなければいられぬ者の愚をなぞることなかれ。

#1300

自分がどのようにどれほど疎んじられているかは敵対する者に向かった時より励まし勇気づけようとしてくれる者に向かった時にはっきりする。なんとなれば励ますことも勇気づけることもその必要性を知らなければできないことであり、その認識は主に冷徹な観察…

#1299

攻撃を始める者に客観的な理があった試しはない。対話というステージで論理的に行き詰まった者が選択する手段が攻撃であり、それはステージを一方的に破棄する暴力そのものである。

#1298

ひとりずつがひとりずつであることを知りひとりずつであるという現実に向かい合えるようになれば、争いは自ずと鎮まるだろう。だが向かい合うことはそれほど簡単ではないから、ひとはひとりを否定したくなるものだ。最も困難な戦いはそこにある。

#1297

たのしかったあまり翌日に虚脱症状が出るほどのたのしさを未だもつことのできるたのしさ。

#1296

聞き分けのよい子は却ってつらい。

#1295

仕度の楽しいイベントがある幸福を誰に自慢したらよいのだろう。

2017年1月5日

善き友と久方ぶりに会う。帰路の駅員に心配されるほどに痛飲。複数回の嘔吐を伴う飲酒は何年ぶりか。それだけ供に過ごしたい友があることの幸福、のちの苦悶を厭わず時を過ごすを望める相手のある幸福をしみじみ思う。2017年、占術の類は悉くよろしくないが…

#1294

インターネットによるインフォメーション環境の激変、最初の頃は「バカにメディア参加の権限が与えられたのは大きな誤りだ」と考えたりしていたが、最近では「バカの存在を確認できるのは便利だなあ」と感じるようになった。結局その存在がなくならないのな…

#1293

歩く時には左右の脚を交互に前へ出す。それと同様に、なにかの進歩というものは対になるものの連携、交互の前進によって効率よく実現する。もしものごとの進捗が思わしくないのなら、それは対にするべきものがないか、間違ったものを添えている。

#1292

では問うが、君は想像もつかないものを想像することができるかね?……だろう? つまりそういうことなんだよ。ひとの考えというものは、そのひとの抽斗にあるものを組み合わせたものにしかならない。だから、そのひとが提示した“回答”には、如実にそのひと自身…