2022-06-01から1ヶ月間の記事一覧
力あるものが至るのは勝利か敗北、力なきものが至るのは和睦か孤立。
夢を見終えたあとは次の眠りを待つのみだがそれが必ずしも醒める眠りとは限らない。
許すか否かと問われたら許さないに決まっているのだが許そうと許すまいと相手には傷ひとつ残せないのだから結局どちらでもよい。そうして自分の傷だけが増えてゆく。
とどのつまりは自身の comfortability の問題であり、他者の指摘や要求がたとえ多くの難を伴うものであっても受容可能なら受容後は現状より comfortable なのである。
誰かを好きになれる、いや曖昧にでも好きと感じられるうちは、まだ人間の体を保っていられるだろう。好かれるかどうかは問題ではない。自分ができるかどうかが重要だ。
えー祝い事がなくともタイは重要なものでありまして尾頭つきでなくともタイが重要でございましてどういうことかと申しますとタイが日々の生活に見られるうちはまあ何事もどうにかなるという、食べタイ眠りタイやりタイ以外にもアレをしタイそれもしタイと、…
既に失った物とこれから失う物を同じ天秤にかける程度に人間は愚かだが、既に失った物を天秤にかけられるのは当の人間だけではある。
ひとりが寂しいのはよいことだ。ひとりではない時間を知っているということだから。
挽いた粉をひと粒も無駄にせずパンを焼く方法はない。
愛はごく私的な感情なので公的なものとは根本的に釣り合わないし、誰かに強いられて行動の理由にすることや大義の源泉とすることにも向かない。もし誰かが君に愛を理由とすることを強いるなら、それは即座に拒絶してよい案件だし、その誰かの言説はすべて却…
誇りはまず自分自身に示して背筋を伸ばすためにあるものだが、だからといって秘匿しなければならないものでもない。示せる機会があるなら示すことだ。示したという事実がまた背筋を伸ばす材料になるだろう。
甘やかすのと甘えを叶えるのとは根本的に違う。前者は甘えられる側に、後者は甘える側に動機があり、特に後者はそれを理解の上で受け止める相手があって初めて実現する。
たのしい時間が長く続かないのは、ひとがすぐにたのしさを消費してしまうからだ。
手を抜くことと力を抜くことは違うってことを、まずは理解してもらいたいな。
むしろ私には、目に見えたから手で触れられたからという理由でそれが確かなことだと信じられる君の方が、よほどの夢想家に思えるねえ。
信じることの難易度は疑いの深さと連動している。
もしひとから「好き」という気持ちや対象をなくしたら、少なからぬ数が息を絶やすんじゃなかろうかね。そしてあとに残るのは、もはやひととは呼べないモノなんじゃなかろうかね。「好き」ってのはそういうもんだと思うんだが、どうだろうかね。
ひとを追い詰めるのは過去の記憶であり、ひとを支えるのもまた過去の記憶だ。
締め切りはひとの行動を律し加速する。だから人生という締め切りのない work はしばしば緊張感を失うし、結果的にたいした結果を得られないものになったりもする。
儀式が重要なのは時間に目印をつけられるからだ。儀式のない日常は容易にまとまりを失う。それがたとえカーテンを開けるだけのことでも、儀式と認識することにより時間は劇的に制御可能な対象に変わる。
良心という語は善悪の概念が土台にあって初めて成立するものだが、その善悪について良心という語が使われる場で当座に沙汰されることはまずない。ゆえにその語は、相手の予想だにしない基準に基づいて行使することも可能だ。だから、頻繁に良心という語を用…
個人責任の範囲が広い社会は社会としてすでに危篤状態にある。
できることから始めるのは初心者のうちだけにしておけ。そのやり方がクセになると、無駄が多い作業しかできなくなる。始める前に全体の見通しがつけられるようになって、どこからなにを始めればよいかがわかり、それに沿って作業ができるようになったら、よ…
おもしろさの検出は個々の技能に因るもので、顕在的なものに限らない膨大な記憶データと目前の現象の結合が生み出す奇跡の一種である。従って記憶データの量とそれらへのアクセス能力、検出の始点となる違和感とそれを支える外界の基本的な認識といった要素…
愚かさを恥じる心を失った者を愚者という。
知らないことは語れないし、多くの場合その件についての情報を得ても理解することができない。だからある種のやりとりは常に不毛となる定めに初めからある。
判断と気紛れの違いは根拠や基準の提示の有無。それ以外は大差ない。
何にでも理由があってその解決が問題の解決になると考える理由をまず教えてくれ。
www.youtube.com いやぁ待たされたもんだよ『シン・ウルトラマン』。 当初は2021年夏の公開予定だったらしいが、疫病禍もあってまる一年延期に。 そしてようやく観られた作品は、隅から隅まで“好き”で溢れ返った一大娯楽巨編だった。この“好き”は製作スタッ…
単一の律に基づく世界に人間は住めない。住めるのは、人格すなわち自律する自我から生じる混沌を捨て去ったかあるいは元からもたないモノだけだ。