2019-04-01から1ヶ月間の記事一覧
五分を惜しんで何年も先までの後悔に陥るよりは、充分に時間をかけひとさまに迷惑もかけた上で同じ後悔に陥った方がとりあえず納得はゆく。
確かに知識は多すぎる。だが知識として残ってきているからには、それは有用なものなのだ。そのことに敬意を払って、まずは学ぶことだ。
他人任せにしておいてよい時代はすでに終わったが、それは自己責任の時代に入ったという意味ではない。
ものごとを簡単に割り切りたいというきもちはわかる。だが簡単に割り切れるはずだという信仰はわからないし、簡単に割り切れると考えている人の愚かさは到底理解できない。
防衛の方法を考えるより攻撃されない方法を考える方がよほど建設的ってものだよ。
個として在ることは最初にして最大の孤立であり、ゆえにすべての個は必然的にマイノリティである。複数の個が共通項と認識できることを接点にマジョリティは形成されるが、その共通項自体がひとつの個の中では些細な要素に過ぎないから、結果的に個はどこま…
今さら騒がなくても昔から社会は格差で営まれているもんなんだよ。そして平等と均等はまったく違うもので、時には一方を実現するために他方が否定されることだってある。それくらいのことは理解しておこうぜ。
急がばまざれ
その二時間を億劫がっておこなわず後悔した者は数えきれないほど知っているが、その二時間を億劫がらずにおこなった者はひとりも知らない。こういうのを昔のひとは「類は友を呼ぶ」といったらしい。
どういうわけか突如『ウルトラセブン』を再鑑賞し始めた。 といっても一気にぐわーっと入り込むのではなく、半ばはバックグラウンドビデオ的に流して、音ばかりを聞くという感じなんだけどね。 しかしアレだ、そういう邪道極まりない見方をしても、充分にお…
個の好き嫌いには外部からのある程度の干渉、操作が可能だ。その事実を忘れた者、知らない者がしばしばいいように煽られて世界を動かす大きな力になっている。自分が好悪に基づく判断を下す前に、単純に「なぜ好きか(嫌いか)」を自問してみるといい。自発…
別に毎日ニコニコして暮らさなければならない理由はないし、毎日渋面で生きる必要もない。もし毎日同じ笑顔や渋面をしている者があるとしたら、それはなにか奇妙な律をもっているか、もしくはその顔を向ける相手だけへの演出と考えるのがいい。
後ろめたさを感じる健全さは大切だ。後ろめたさを感じなくなったら、世の中のたのしいことは七割がたなくなってしまうのだから。
たのしいことを思いつかなくなったら、どんなことがたのしくないかを考える。たとえば、五巡めの自模までには必ずいい手を聴牌するが絶対にあがれないコンピュータ麻雀とか、毎回違う場所でデータ飛びが必ず起こり常に同じ場所へ戻る(あるいは進まされる)…
何かについての単純な指針は多くの人にもてはやされる。しかしその何かについてよく知るひとはたいが呆れている「なんだよそれだけしか理解できなかったのかよ」と。単純な指針を提示した者がこれといった指弾を受けないのは、その程度にしか理解できない者…
本当なんだかどうだか知らないが、こんな話がある―― あの『太陽にほえろ!』(一時代を築いた刑事ドラマ)が始まる時、萩原健一は“主人公”となる「マカロニ刑事」として出演することが決まっていた。 このドラマは刑事ドラマとはいえ単純に事件を追うもので…
※前回『ウルトラマンの置きどころ』https://st79.hatenablog.com/entry/20181130/1543601492 別に参照しなくてもよいです※ それにしても昭和初期作群でのウルトラメンの扱いは、よくできていると思う。 その辺をちょっとおさらいしたい。 象徴的なのは、『ウ…
若いうちから無念無想とか目指しちゃダメだって。雑念妄想の海に溺れている状態があるからこそ無念無想に意義があるんだから。はい、やり直し。
行為者にとって、たいがいの行為は成果ではなくおこなうこと自体に意義がある。だからそれはおこなわせておけばよいのであって、周囲が別段それへ敬意をはらう必要はない。もし当人が成果以外、行為そのものへの評価を求め始めたら、それはよほど意に染まな…
信じる者のみ救われる。周囲はえらい迷惑だ。
自分にはできることがある――そう信じることができなくなったら、その時からようやく自分でなにかができるようになったと思うといい。できると思っているうちにしたことには必ずどこかに粗がある。できないと知りつつやる時 work はよりあるべき姿に近づく。
先日、大学入試に成功した姪のお祝いを焼肉屋で催した。 亡母が開拓し一族で常連になった店。母の逝去後、数年も無沙汰していた。 だが姪から直々の希望があったとかで、そこで会食することに決定。きっと姪には、大好きだったおばあちゃん由縁の場で……って…
近所の公園で、何十年に一度レベルの大改修がおこなわれている。 そこはかなり大きな公園で、基本的にはおとな対象のものだ。 中の一画がこども用の遊具もあるコーナーになっている。 そこがおよそできあがったようなので覗いてきた。 ひと目見て「あーこり…
「楽をしようとするな」は正しい。ただし対象が限定される。同様に「(負担を減らすための)工夫を忘れるな」も正しく、対象が限定される。そして両者は集合として交わらず、絶対数は前者が圧倒的に多い。
忙しい時にはいっぱいあって、暇になるとなくなるもの、なーんだ? 「仕事だろ」「いやそれじゃ芸がない、金か?」「もうひとヒネリで疲労とか」 ぶっぶー。ここに書くことー。 「「「てめぇいっぺん死んでこい!!」」」
いつもギリギリの線を渡り、限りなくヤバい方向へ落ちそうになりながらすれすれで落ちずに生きている。時々「いっそ落ちた方が楽なんじゃないか」と思うほど際どい綱渡りを続けている。そして「ああ落ちるこれは落ちる、もう落ちる間違いない」と確信した時…
そんなことをしている場合じゃないと言われる時はたいがい自分でもそれがよーくわかている。その時していることが「そんなこと」であることを理解できるのだったら、それでも「そんなこと」をしているってところまで、どうか理解していただきたい。
こどもが長時間の視聴にも耐えられるようになり、また物語への理解も深まって、映画を観られるようになった。 「ととろ、みた! おもしろかった!」 「おう、そうかー。だよなあ、あれはおもしろいなあ」 「さいごまで、ちゃんとみられたからね!」 「そいつ…
目的のないことをするのが苦手なうちは若い。
智略家と讃えられるよりはお人好しと嘲われる方が居心地よく感じる程度にはお人好しだが、そういう立場を選ぶ程度には智略家でもある。