2015-06-01から1ヶ月間の記事一覧
一度は全部を棄てたつもりだったんだけどね。ほんの一、二年を経ただけで、またいろいろたまってくるもんだね。おそらくそうやってたまるものが、自分の生ってものなんだろうなあ。このためこみ体質は、どうやら変わることがなさそうだ。
基本的に集団は好きな方なんだが、集団の方はこっちがキライらしいよ。
選択の権利を面倒だと感じる人はほんのかたちばかりでも自由を語ったらいかん。
やりたいことが見つからないなんて大したことじゃない。やる気が起きないことの方がよっぽど難題だ。
マジなとこ俺まだやるべきこととかあるのかな俺として。
どこでいつその線が引かれるものなのかはわからないが、残念なことにカスはどこまでいってもカスでしかない。本来カスではないものでもカスのふりをしているとカスになってしまい抜け出せなくなる。もしカスでないなら、カスには近づかないことだ。
ひとが好きだ。ひとをみるのが好きだ。ひととかかわるのが好きだ。ひととともにあることが好きだ。もしかするとそれが最後の望みなのかもしれない。
信じる信じないの問題じゃあないんだ。もはや切り捨てるか否かの段階まできている。もちろん国政の話。
哀れまれ容赦されているのに気づかず増長する姿は愚かしいものだが、愛嬌があるといえばある。一方哀れみで大目に見ている側はむしろ狡猾、傲慢であり愛嬌からはほど遠い。かといって能力の不足した者に万全を求めても結果が得られないのは明白であり、哀れ…
ああ今日777番めだったのか。道理で。いやパソコンのディスプレイが潰れて新しいのを買ってきたんだが、それでいろいろ作業環境が変わってね。なんだろうと思ったら、そうかスリーセブンだったのか。大当たりなのか。(何にだ)
人はそれぞれ自身という檻に閉じ込められ外へ出ることのかなわない存在ではあるが、各々が住む檻の広さにはけっこうな差がある。なにがその広さを決めるのかといえば知識の多寡でもあるし思惟の深浅でもあり、時には生きた時間の長短だったりもするが、最大…
できないと認めたら負け? まあそういう部分もあるだろうけどさ、できるふりを装って頓珍漢なことやったら負けよか悪いんじゃね? どうせリピーターが少ない仕事? おいおい今どきは横の繋がりってのバカにならないんだよ。まあ行き詰まったら社名変更とか倒…
「死んでからどうなるものかもわからぬに不用心にもみな死んでゆく」というのは、誰かが詠んだ狂歌でありつつ辞世の一首らしい。お見事。でもさあ、どうなるものかわからないから死ねるんじゃないかなあとも思うんだよね。わかっていても避けられるもんじゃ…
若い頃と相応の年齢になってからとでは、当たり前だが欲しいと思えるものが違ってくる。それは欲しいと思う基準が変わったためというよりは、順位が変わったためと見做すほうがよいようだ。
尽くせたらそれで行き止まりなんだから、尽くせない尽くせないってじたばたしながら尽くそうとし続けるのがいい。いのちはそのために必要なんだ。
生兵法は怪我のもととはよくいったもので、中途半端な知識でものごとを語るとまずだいたい恥をかく。ところが最近は表面的な知識だけならウェブで簡単に得られる上、そういう知識に基づくいい加減な情報を誰もが発信することができ、さらにそれを検索で見つ…
クラスでいじめが起きたって時にさ。 いじめがあるって知っていながらやめさせようとしなかったり、直接には参加していなくとも見てにやにやしていたりしたら、非難されるでしょう「それもいじめているのと同じだ」って。 生徒が悪いことをして、先生が叱る…
怒りの沸点の高さと知性の高さはほぼ比例する。
仕様じゃ仕方ねえなあ。え。いや自分自身のことだけどね。
年若い者の知識はやはり不足している。だが年若い者の吸収力は素晴らしい。だからしばしば年若い者は吸収した知識を十全には理解しきれないまま知識を増やしてしまう。得た知識を自身のものにするための知識がないゆえだ。そしてさらに年若い者の発想は時と…
想像力が豊かな者は自分の想像力の限界を知っている。想像力の貧しい者ほど平気で想像力は無限などと言う。そして貧しい想像力のもち主が披露する想像は、劣化した現実ばかりである。
しかし本当に必要な産業ってのはなんなのだろうな。正直、証券屋や不動産屋より画家や語り部の方が人間には重要って気がするんだが。
自身の衰えを感じるのは哀しいことだが、近しい者の衰えを見るよりはまだ気が楽だ。
感謝は存在を豊かにしてくれる。されることがではなく、することが、だ。感謝したいことがあると気づく時、それがもたらされたことの貴重さ、それに気づくことができた幸運、そして感謝できるだけの気持ちを自身が失っていないことの確認が、存在を強く支え…
ひたすらに逃げる者がどれほど強く生を希求しているか、戦うという選択肢をもつことができる者には金輪際わかるまい。
そうはいっても生活になんらかのイベントは必要だねえ。でないと自分が今どこにいるのか、なにをしているのかわからなくなる。
何度となく絶望したが、その都度いつの間にか立ち直ってきている以上は、それらは絶望ではなかったのだろう。希望は幾度か叶った気がするが、叶った以上は希望と呼べるほどのものでもなかったのだろう。
社会正義をかざす者の醜さは自身の背後には必ず多数の支持者の視線と賛意があると決めて振る舞う過剰な自意識に由来する。その自意識はいわゆる中二病者が備えるのと同種のものだが、闇の世界に没頭し実社会にさしたる影響をもたらさないだけ中二病者の方が…
まあ責任取りたくないのはわかるけどね。でも普段の給料の中には、いざって時の責任を見込んだ積み立て分が含まれてるんだからさ、取る時は取れよ責任。それともまさかおまえ、自分の普段の働きが給料に見合ってるとでも思ってるんじゃないだろうね?
なんのために生きているかわからなくなっても、とりあえず生きとけ。生きるのやめたあとで再び生きなおすことはできないからな。