2020-08-01から1ヶ月間の記事一覧
覗き込んだ深淵に吸い込まれるとしたら、それはキミが深淵に近い存在だからだよ。青空を見上げて青空に吸い込まれないのは、キミが青空とは異なる存在だからだ。
ひとの気を惹いたり逸らしたりってのは難しい。たいがい『自分なら』が入ってしまうからね。『自分なら、これに気を惹かれる』『自分なら、これで気が逸れる』……つまりその時なにをするかで、自分自身を白状してしまうわけだ。もしその相手が冷徹に“手”を観…
だからモノゴトはひとつずつやらなきゃダメなんだって。絵の具を全部混ぜたらどんな色になるか考えてみろよ、ろくなもんにならねえ。
賢人には賢人の思想、愚者には愚者の神。
人間の創作は根本的に消費活動の一環。どんな創作もさまざまな資材の消費によってかたちを得るし、資材消費が少なかったとしても、創作者当人の力はほんの小さな作品にも膨大に消費され、その力は形而下的にも形而上的にも消費によって賄われている。
弱者の砦に立て籠もって外へ矢を射るのは弱者ではない。その流れ矢に当たって絶命するのが弱者だ。そして強者はそれを遠巻きに眺めて酒を飲んでいる。
たとえば賢いひとから見れば、世の中は八割の愚者と二割の賢者で構成されている。 たとえば普通のひとから見れば、世の中は五割が常人で一割が賢者、残りが愚者。 たとえば愚かなひとから見れば、世の中は全員バカで自分だけがまとも。 とても賢いひとの世の…
明日なんてものは放っておいても来るんだから、わざわざ追いかけなくたってよいんだよ。それより昨日の扱い方が難しい。よほどのことがない限りどんどん他の日の記憶と混ざっていって、いつの間にか過去っていう塊のぼんやりした一部分になってしまう。そん…
まあ大概のことがそうなんだが、何かであること自体はそう大したことでもないんだ。何かであろうとする何かがすごいのであってね。たとえば美人ということ自体は大したことでもないが、美人であろうとするための注力やそれへ至る過去をつくる何かがすごいわ…
人生山あり谷ありって、羨ましい話だな。俺の人生ときたら山ばっかりで進めば進むほど空気が薄くなるしどんどん寒くなるしで、ろくなことがない。おまけに次第に靄が濃くなってきて視界不良、もう1m先も見えない……ああこれ雲か。雲の中に突っ込んだか。いっ…
昔は、なにを言っていいかわからない時には黙っているのがよいと思っていた。 今は「ありがとう」と言うことにしている。
掘り出し物ってことは、誰か埋めたやつがいたのか?
もし生涯を清算する場があり、そこで『なにをして生きてきましたか』と問われることがあるとしたら、胸を張って「くだらないことをしてきました」と答えたい。そう答えられる者でありたい。自分自身を俯瞰して小さく誇ることなく裁定を下し、それでいて卑下…
人間は規範が大好きな生き物であって、正しさが好きな生き物ではない。一般に正しいとされていることに背いた時のすっきりしない気分の類は、正しくないことに対するものではなく、自分が規範として修得したことの不履行に対するものだ。その点において、聖…
こころが惨めになるようなことは本来してはいけないのだが、こころに惨めなことをする人はそもそも惨めの概念をもっていないか履き違えているので、むしろ積極的にこころを惨めにしてしまう。当然こころは蝕まれ続けるものの、当人にはまずたいがい自覚がな…
『ゆるし』は上位の立場にだけ与えられた特権で、下位の者がおこなうと服従になる。この場合の上位下位は必ずしも社会的な条件で決まるものではなく、基本的に当事者同士の関係性において決定する。ただ、ゆるされる者が人間的に至らない場合には、しばしば…
ダメ出しは最後の手段。
大丈夫、明日にはきっとなんとかなるさ。明日でなければ一週間後、一か月後、あるいは十年後でも、きっとなんとかなるさ。根拠を示せって? じゃあその前に、なんとかならない根拠を示してくれ。要はどっちを信じたいかだけだってことがわかるはずだ。
問題はそれを問題と認定する者があって初めて問題となる。極論すれば戦争もそれを問題視する者が存在しなければ問題にならない。だから当然どんなことも問題になる可能性があるし、ならない可能性もある。それを知った上でそれを問題と指摘するのが問題提起…
ひとりの人間にできることなど凡そ高が知れている。だから徒党を組むのだし、道具を使ったり技術を伝承したりもする。つまり人間は何兆もの故人の上に乗り、同時代の何千何万の力を借りて、今を過ごしているのだ。そのことに思いを巡らせることのないモノば…
世界を平和に導く方法をひとつ知っている。それは全人類が「自分は何者だ?」と考えることだ。途中で投げ出さず、各々の限界まで考え詰めることだ。
笑いあえる時間の貴重さは笑えない時間を過ごした人間だけにわかるものだ。しかしそれは、笑えない時間と出会う前にとことん笑いあっていて初めてわかるものだし、笑えない時間を知ったあとにも笑いあえる場をもち続けていてこそわかるものでもある。つまり…
好きなものをもつことはよいことだ。それを追っている間は幸福になれるし、追うことが困難になったり、時に禁じられたりした時にはものごとを考える能力を深められる。いずれせよなにかを好きである間は、人生を持て余さずに済む。
自分がやったことにはたいがい“帰ってくるもの”がある。それは単に帰ってくるだけのもので、別段それ自体に害意や悪意の類があるわけじゃない。もし“帰ってくるもの”にそういうなにかを感じるのなら、それは自分がやったこと自体に対するもの、つまりは自分…
してる時には気づかねえ、あとから『あぁ、あれがそうだったのか』って気づく。ぜいたくってのは、そういうもんさ。当然、狙ってできるもんでもない。やると思ってできるぜいたくなんざ、タカが知れてる。大したもんでもないのさ。
面倒を避け続けたら何に出会うこともできないが、出会うために容認できる面倒の見定めは難しい。何事にも費用対効果ってものがあるからね。その辺がうまくあしらえるようになるのは、出会いがさして重要でもない老境の頃なのかもしれないなあ。
マンガ家の桑田二郎氏が亡くなられた。 自分にとっては、たとえば石ノ森章太郎氏が今も石森章太郎であるように、桑田氏もまた二郎ではなく次郎だ。 出会いは1969年。『週刊ぼくらマガジン』に創刊号から連載された、平井和正原作による『デスハンター』にな…
悪貨は良貨を駆逐するそうで、一度そのさまを見てみたいんだがね。残念なことに、駆逐されるべき良貨が今、見つからないんだよ。
うまく立ち回る者はたいがい立ち回りの前に足場をよく調べているもんだ。できるだけ素早く、かつ周囲に気取られないようにね。うまく立ち回ることが常によいこととも思わないが、そういう下準備を知らずに立ち回りだけをあげつらうのはどんなもんかね?
実績ってのは着けようとして着けられるもんじゃない。厭でも着いて回るようになるもんだし、世間が期待し世間で通用するのは、そんな風に着いちゃった実績の方なんだよ。