2019-01-01から1年間の記事一覧
ものごとに必ず意味が必要なんてことになったら、息苦しくて三日も生きちゃいられねえな。俺の知らないとこに意味はあるのかもしれねえ、だが俺がそいつを知ってなきゃならねえ必要はねえだろう? そいつはそれが必要な誰かが探したり集めたりしてりゃいいの…
いつも「大事なこと」ばかりを考えているから、だんだん「大事じゃないこと」がどこにあるかがわからなくなり、思い浮かぶのはぜんぶ「大事なこと」になってきた。
棄てられたと嘆く者は自分がゴミか何かだとでも思っているのかねえ? 人間は簡単に棄てたり得たりできるもんではないと思っていないのかねえ? 棄てられたと嘆くこと自体が自分自身をモノの地位に貶めていることに気づかないのかねえ? 自分がその程度にしか…
懐かしむということは、ふたつの重要な事実を含んでいる。ひとつは過去を肯定し得る自分であるということと、その自分が現在存在しているということだ。どちらが欠けても懐かしむことはできない。
知らないことは恥ではないし、理解できないことも恥ではない。恥になるのは、知らないことを認めないことや、理解できないということを理解しないことだ。
仕事に費やすエネルギーの九割ほどはヤル気の起動に使われるが、たのしみ事へのエネルギーは100%たのしみ事そのものに使われる。これを知らないと仕事もたのしみ事も十全にはこなせない。
冗談もいえない環境はごめんだが、冗談をいわなければならない環境というのもけっこう厳しい。冗談をいわずにはいられない環境なんてのは、まっぴらだ。
そして Merry Christmas.
生まれた地域や性別など、当事者にまったく選択の余地がなかったことについて批判めいた発言をする者は、自身に対する客観的な視点を備えていない。従って公平な対話というものが成立せず、やりとりは常に紛糾する。
力を誇る者は力に負けるというのは間違いではないが正答ともいい難い。力を誇る者はほかのさまざまなものにも負けまくっているが、力以外の敗北に気づかないだけだ。
「「「……しまった!」」」 気づいた時には、すでに遅かった。 伸ばした手が届いたと思った瞬間、違う、これではない……と、その事実に、“ヒーロー”は、ようやく気づいたのだ。 ヒーローの中に同居する四つの意識のうちみっつは、ほぼ同時に激しい悔恨に襲われてい…
庵野監督による『シン・ウルトラマン』のヒーローデザインとロゴが公開になった。 これを見て、期待が俄然、高まった。『シン・ゴジラ』はすばらしかった。 なぜかといえば、それがまさにゴジラだったからだ。 ゴジラとはなにか。 科学を初めとする人間の産…
好き嫌いをもち好き嫌いを語る権利は誰にもあるが、自分の好き嫌いを誰かに強いそれを権利として主張する権利は誰にもないんだよ。
当面はひとつだけ……キミの器に世界は入りきらないってことを覚えてもらおうか。キミの目前にいる僕も、キミの器には入らないものかもしれないよ。向かい合うすべてのものが、そういう可能性をもっている。それを覚えることから、まずは始めよう。
分断が本来の姿であると認識されない限り融和はあり得ない。
記憶は常に改変され続け残ってゆくのは形骸のみだが、記憶している者当人だけはその事実に気づかない。
「吾(われ)唯足るを知る」というのは自分の器や限界を知ることではなく、自分以外の存在の大きさを知ることだ。そして自分以外の存在とは人間に限るものではなく、動物はもちろん無機物も含まれる。つまりそれは実は森羅万象に対して相応の知見をもつこと…
相手がやるんじゃないかと思うことは自分がやりたいこと。
怠惰であることを咎めはしないかわりに、勤勉であることを褒めもしない。讃えるとするなら、そこに“熱”を感じた時だ。
違和感は自分が感じるものであって、誰かに感じさせられるものではないんだよ。いや、違和感に限らずすべての感覚は自分の中から生じるんだよ。
ものほんの夢である。寝てみるやつ。 あんまりにも印象的だったので、目覚めてすぐに文章にまとめていた。 たまさか昔の記録の類を掘り返していて発見、こいつはおもしろいと思ってここに掲載することにした。 キャラクターがまるごと借り物なのだが、そこは…
確かにたいがいのことに原因はあるものだが、それが原因になるのは結果らしい結果が生じたからであって、大した結果に至らなかったため原因になれなかった現象は幾らでもある。それら原因予備軍のようなものが、むしろ世界を組み立てる主要なパーツなのだ。
偶然は事実として固定された時点で必然となる。
見たいものだけを見ていればよい。見たくないものは放っておいても目に入ってくるし、遮ろうとしても無理やりに見せられるものだから、わざわざ求めて見る必要はない。だが見るべきものは自身の好悪とは別のところにあり、かつ強いて求めないと見られないと…
理解の及ばないことを殊更に恐れる必要はないが、かといって軽視するのは愚かだ。そこにはしばしば最も重要なことが潜んでいる。特に自分自身の原因不明の衝動、理由のわからない思考や行動には、否定しようのない自身の一部が必ず含まれている。
どんなことも教訓になる。そこに教訓を求めれば、必ずなにかが見つかるからだ。だからどんなことも教訓にならない。求めなければそれまでだからだ。
脳みそに仕舞い込むだけなら誰にでもできるさ。いつどこでどう出してどんな風に使うか、そこがひとをアッと言わせるための肝なんだよ。
無菌室で育てたなら生涯無菌室で暮らせるよう計らうのが育てた者の責任ってもんだ。
文章を読むということは、提示された文字列と自身の手持ち材料つまり知識から 1)書き手の意図を汲み取ること 2)書き手が構築した世界を読み手の中に読み手のものとして再構築すること に大別できる。1)は単に細切れの情報だけでなくその活用法という知識…
寛容は他者への配慮ではなく自身の充実のためにおこなうものであって、それを快く感じる回路が搭載されていない個体には実行不能なタスクである。