かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

今日の格言

#368

すきなひとのだっこは、ほわわーってなるんだな。やなひとは、さわられるとぞわわーってなる。つまり、そういうことだよ!――愛息(6歳)の2年前の発言

#367

端金ばかりを望んで末裔の未来を手離した物どもの愚かさは確かに伝説にはなるだろう。だがそれだけだ。といっても愚かな物がそれ以上を理解できるとも思えない。つくづく愚かさは天賦の幸福だ。

#366

今、私が求めているものは、金銭ではない。物品でもない。名誉でもなければ健康でもなく、ましてや愛や永遠の命でもない。ここに記すべき格言、今日の格言、それだけだ……という具合に、自分はこれまでずっと刹那的な欲求と感情に支配されて生きてまいりまし…

#365

最近しみじみ思うんだが、「愚かさ」ってアレ、実は選ばれた者にしか与えられない特別な才能だったんだねえ。(−1)

#364

無駄を生み出し無駄を愛でるのが文化というものであって、無駄だからと対象を排除するような態度は凡そ文化的とはいえない。だからといって無駄が大手を振って闊歩していいというものではなく、幾ばくかの後ろめたさが無駄には必要だ。ゆえに文化とは、常に…

#363

物事には旬というものがある。たとえば自己の存在意義について悩むのは、やはり十代半ばから後半にかけてぐらいが本人にとっては一番収まりがよいし、傍から見ていても美しいものだ。その時期を外すと本人は本気で苦しまなくてはならず、傍観者も息苦しくな…

#362

科学はひとを幸福にするためにあるわけではない。だが幸福はひとに科学する心をもたらす。ただしそれは、幸福であるから科学するのではなく、幸福になるために科学するという回路に因る。だが科学はひとを幸福にするためにあるわけではないのだ。そしてひと…

#361

自己のルールに強くこだわる者は、よほどの実力者かまったく使えない者のどちらかに分類できる。前者は積み重ねた経験から最も効率的な方法としてのローカルルールを生み出してそれに従い、後者は柔軟な姿勢で事態に対処できないことをルールにすり替えて正…

#360

楽しいことはいくらでもある。もし「いや違う、逆だ」と思うひとがあるなら、そのひとは多分、楽しさは発見するものであって物事をさまざまな角度から眺めるうちに現れるものだと知らず、単に楽しさとしてその辺に落っこちているものだとでも思っているのだ…

#359

何にでも理由をつけなければ気が済まないのは、人間の悪い癖だ。もちろんその癖があるからこそ成し得たことも数多ある。だが本当に追い詰められた時には、その癖を疑った方がいい。すなわち、あらゆることは理由がなくとも現出し存在し得るという現実を認め…

#358

常に視線はある。なにかをすれば、必ずそれを見ている者がある。その者を味方につけ得るか否かは、なにをいつ、どのようにしたかに因る。繰り返しいう、常に視線はある。すべては測られている。(−8)

#357

人間とそれ以外を分ける方法はいろいろある。さまざまな事象に美という概念と基準を適用する能力の有無もまたそのひとつである。もちろんその概念と基準が万人に通ずるものである必要はなく、重要なのはあくまでも適用する能力の有無である。(−9)

#356

君がそれを知らずにいたことを、怠慢だとか能力不足だと責める気はさらさらない。私自身にしても、未だ知らずにいる事象に対してはなおそういう状態にあるのだから、君を責める資格などそもそもないのだし、なにしろ君は今それを知ったのだから、むしろそれ…

#355

狙って当てるのはベストだが、狙っていないのに当たるのもよしとする。狙ったのに外れるのにはなかなか味わい深いものがある。狙っていないので当たらないのは当然だ。いずれにせよ撃てばそれなりの結果があり、周囲に必ず何らかの影響を及ぼす。話にも何も…

#354

貧しかろうが病んでいようが、“今”を肯ずることのできる者こそが成功者であり、勝者である。もっとも、肯ずることと満足し納得することは必ずしも同じではない。肯じつつ better や more を求める者にはさらに幸福者の称号が与えられよう。(−12)

#353

この齢になって初めて、“死んでいっそう疎まれる人間”というものが実在することを知った。というわけで、これまでは死んで喜ばれる人間にだけはなりたくないと願っていたのを撤回、死んでいっそう疎まれる人間にだけはなりたくないと願うことにした。(−13)

#352

小学生に“将来の夢”を訊ねるのって、馬鹿馬鹿しいことだとは思わないか。彼らは本来、将来よりも明日の遊び場の確保を考えるべき存在なんだぜ。彼らにとっては、たった今だって夢みたいなもの、であるべきなんだよ。だいたい“将来の夢”ってのは、“今はできな…

#351

よく研がれた包丁でも森の立ち木を伐り倒すことはできないし、同様に如何に丁寧に目を立てた鋸でも林檎の皮を剥くことはできない。よい仕事をして遺し、あわよくば人口に膾炙する名も挙げたいと思うなら、使う道具の性格を知りそれを使うべき場を吟味するこ…

#350

アーティストなんて呼ばれ方は死んでもイヤだがアーティザンと呼んでもらえるなら死んでもいい。(−16)

#349

今日は凪だった。昨日も凪だった。一昨日もその前も凪だった。明日は明日の風が吹く、だって? そりゃまた贅沢なこったねえ。こちとらもう長いこと無風で海の真ん中を漂ってる。明日の風どころか、いったい風がどんなもんだったかさえ、もうわからなくなりか…

#348

あらゆる作品は常に傑作である。しかし作品に対する周囲の理解は大変にしばしば及ばないため、多くの作品には駄作凡作の烙印が押されている。もっとも、周囲の理解が及ばないということは、本当にただ理解が及ばないというだけのことだ。もしそれが、あまり…

#347

心から欲しているのであれば、いずれの時にかそれを得ることができるだろう。だがひとはしばしば、心から欲しても得ることを望まず、永遠に欲し続けることを選ぶ。ひとというものはそもそもそういう性質を備えたものだ。(−19)

#346

身についた知識の総量がある線を越えたひとは、知識の量と感受性の豊かさがほぼ比例している。そもそも膨大な知識を自身のものとして管理維持するには、知識に対する相応以上の思い入れが必要であり、そしてその思い入れはほぼ例外なく感受性に由来するもの…

#345

英雄の称号を得ることより、得たその称号を穢さずに余生を全うすることの方が、ぞっとするほど難しい。

#344

ひととひとの繋がりは単純な損得勘定で成立しているわけではない。むしろ功利で捉えたら余分あるいは不足な部分にこそ重要な要素がある。もし単純な損得勘定でばかりひととひとの繋がりを量る者があるなら、その者はひととして生まれた醍醐味を堪能していな…

#343

もしその肉じゃがにもうひと味が足らないと思うなら、ネギを確かめることだ。玉ネギと長ネギ、両方とも入っているか? 肉じゃがの味を整えたいなら、ネギは必ず二種類を入れるべきだ。そして、玉ネギは必ず空炒りしてから、長ネギは焦げ目がつくまで焼いてか…

#342

失敗した時、まず自分の保身から始める者には大きな仕事を任せることは到底できない。だが、自分の保身を最後に回す者には大きな仕事を遂行する能力はない。いずれにせよ失敗した時にその者の正体は割れるが、一番望ましいのは、失敗しない者を探し出して任…

#341

別に死を恐れているわけじゃない。ただ面倒なだけなんだ。

#340

ひとに喜ばれるプレゼントを送るコツは、なにを送るかとか、いつ、どのように送るかといった点に工夫を凝らすことではない。自分を、喜ばせたいひとにとって歓迎したい人物にすることだ。だから、プレゼントでひとの気を惹こうという策は、まず成就しない。…

#339

「はっとした」という表現の多用はいかにもバカっぽい。それは、 1)常套句に頼りすぎていて、表現に対する積極性が感じられない。 2)「はっとする」=発見であり、発見が多いということは基本的に無知。 3)ほとんどの場合において、「はっとした」理由…