2016-09-01から1ヶ月間の記事一覧
もちろん社会に参加する全員に知性を求めるのは酷というものだし、もしそれが叶ったとしても大して楽しい世の中にはならないだろう(過ごしやすくはなるだろうが)。ただ、知性がない向きはせめて自制の美徳ぐらいは習得してほしいものだ。ちゃんとした知性…
およそ新しい物の方がさまざまな意味で優れているのだが、趣味としてつきあうなら古い物の方がいい。古い物には新しい物にないさまざまなノイズがあって、そこに趣味としてつきあうに足る要素があるからだ――と思っていたが、あにはからんや趣味以外のもので…
とにかく無趣味を標榜する人間は信じられない。じゃあなんのために生きているんだ、と問いたくなる。一方おそらく向こうは、なにかが好きでないと生きてすらいられないこちらを、ひどく不完全なものと認識しているのだろうな。この辺の溝はたぶんずっと埋ま…
本日22時25分 十年以上に渡り愛用してきたアルミクイックバイスが本格的にぶっ壊れました 修復の可能性はありません 長年に渡る奉仕に感謝しつつ殿堂入りといたします 以上ご報告まで (誰にだ)
幸せは歩いてこない。だが、だからといってこちらが歩き続ければ辿り着ける場所というものでもない。必要なのは、それが幸せかどうかを見極める目だ。そしてその目は、ごく幼い頃にしか育まれない。その時期を失してしまうと、せっかくの幸せをそうと認識で…
文化により忌むべきことも歓迎すべきことも異なるが、それらには人間の存在に直接関係することが多い。その地で人間が生存するための条件が、忌むべき・あるいは奨められるべきものごととして扱われているのだ。だから存在に関する意識が希薄な場所では、忌…
そもそもに、無条件に他者より優先されるべきなにかを自分が備えているって思うこと自体が大間違いだって気づこうよ。もっとも例外は常にあって、たとえば息子への俺からの愛情は無条件に万物に優先するものなんだけどね。
やはり抽象化には相応の知力が必要らしい。たとえば信仰に偶像を求めるのは形而上的に信仰をおこなうことができない者の手段で、階梯の高い地位にある者ほど自身の内側のみで信仰をおこなえる。同様に目前の事態に対して具象の原因を設定しないと自身の感情…
知らない世界のことに自分の世界の尺度で口出しするのは思いあがりってんだよ、知ってるか? まあ知らねえからやらかすんだろうけどな。
バカの一番困るところは、自分がバカかもしれないという疑いすらもたない、いや、もつ能力が備わっていないところなんだ。
発見のなかった一日は生産しなかった一日よりも甲斐がない。
ようやく『シン・ゴジラ』を観た。 素晴らしい、というのは微妙に違う気がするが(なぜなら観たあとの気分が全然晴れやかではないからだ)、レベルをはるかに越えた傑作、名作だと思う。 原点回帰にして原点突破。 初代誕生から六十二年を経て、ようやくゴジ…
愛さず愛されずに過ごすのは三年が限界。
思ふに私が求めてきた安寧と云ふものは宗教関係者らが語るところの魂云々にかかわるやうなものではなく唯幼子が父母の腕に総てを預けてうとうととしてゐるやうな怠惰にして完璧なものなのです。若い頃にはそれは戦ふことで勝ち取らねばならぬもののやうに思…
誰と、いつ。重要なのはそれであって、どこ、ではない。
ウルトラマンといえば3分間、アンパンマンといえば顔を食わせる。それしか思いつかない奴らに見えている世界って、さぞかしちっちゃいんだろうなあ。
Win10使いにくいよぅ(落涙)
なにか勘違いしているかもしれないが、戦争を始めるのは国民じゃなくて為政者だよ。勝敗を決めるのは戦績ではなく為政者間の駆け引きだし、ひとつの戦績をあげるのに消費されるものは命であれ物資であれ取引材料にすぎない。当然ながらそこには正義も理念も…
生物は確かに他の生物と争いながら存続してきた。その争いは同じ環境を奪い合い他種を滅ぼすことで同種の確保をおこなうことだったり、日常の捕食というかたちである程度の均衡を保ちつつ逆説的な共存をおこなうことだったりした。その本能あるいは宿命とも…
誰のどんな作品でもプランニングの段階では常に完璧なんだよ。それを具体化する過程でどんどん劣化するのは、精度の問題なんだ。ただし、もやもやしたアイディアを言語化するとか数値化するといった段階から精度はブレ始めている。つまり完成像がイメージで…
そりゃあ君には新しい発見だったかもしれないが、何千年前の賢人もすでにその域には辿り着いているんだよ。いや、君の発見が無為だってことじゃあない。勉強が足りないってことだよ。足りないことをもっと認識したまえ。そして、自分が唯一無二の存在だとい…
あらゆることに深さや高さ、幅といった三次元的な広がりがある。たとえば知るということについても幅広く知るとか深く知るといった座標があり、あるひとのある時点での知識がどういったものかという位置決めがおこない得る。問題は知っている当人以外にはそ…
愛は幼時にしか学べない。学ばないまま長じた者にはなにが愛かがわからないから、愛を見出すことも与えることもできない。それはとても貧しいことだ。一方学んだ者はその価値を知っているから愛を探し続けることになるが、それは易々と見つかるものではない…
常に理由を探し続けるのはよいことだが、それは自身に生じた不具合の責を外部に求めるものであってはならない。結果的に外部に不具合の責があったとしても、少なくとも探索の開始時点においてそれを求めるような姿勢をとることは、探索自体を不毛にする。
無知自体は罪ではないが、無知によって起こされた行動が罪になることはある。そしてその時、知らなかったことは、法的にはどうあれ根源的な意味において罪を減ずる免罪符にはならない。結果的に無知が罪になる。学ぶことが大切だというのは、知らないことで…
愛情を伝えることに何十年かを費やしてきたが、未だ伝え尽くせた気がしない。
思うに私は、論理的な決着を求めてはいないのである。むしろ非論理的で圧倒的な力に押し潰されたいのだ。その時私は敗北の屈辱を味わうことなく、むしろ自身の信条を全うした安寧を得るだろう。一方論理の上で敗れれば私は単なる敗残の徒でしかなく、そこで…
願いが叶わなくて泣く。そんな単純で、けれども真っ直ぐな行為。それを忘れたりするから、人間はダメになっちゃうんだ。
あいにくだが手の内は見えている、というより頭の中身が見えている。頭の中身が見えるから、手がどう動くかもわかる。残念だったな。来世はもっとましな幼年時代を送れる親のもとに生まれてくるといい。
ひとに向き不向きがどうしてもある以上、なりたい自分となれる自分が違ってくるのは当然のことだ。それを知った上でなおなりたい自分を追求することを、“夢を追う”といい、これはやり方次第では自身も周囲も充実させ得る生き方となる。一方、なれない事情が…