2023-02-01から1ヶ月間の記事一覧
幸福かどうかは個々が決めればよい。ただし決める時に目を瞑らなければならないものごとが多ければ、その幸福はその人を追い詰めるだろう。
ぶっちゃけコーヒーの味がわからない。 と書くとさすがに語弊がありまくるなあ。 や、おいしいコーヒー知ってます。少なくとも飲めば「これうまい!」とか「泥水の方がマシなんじゃね?」とかね、そういう感想はちゃんと出るよ。 あまつさえ「これ酸味が足り…
そりゃ八方丸く納まる方法なんて、そうそうあるもんじゃないさ。でもそれは、だから角(かど)を立てていいってことじゃないし、もし角を立てちゃったのなら相応の始末はつけなきゃいけない。いいかい? 角を立てたのが自分なら、始末は自分でつけるんだ。
カフェの使い捨てマドラー。 基本、砂糖ひとつミルクふたつを使う派なんだが、混ぜない。 すると最後に沈殿した甘みを飲み干すことになり、満足感が高まる。 でもブラックでない限りマドラーをつけるのが多くの店の流儀であるらしく、これがふつうのスプーン…
過去の否定は現在もいずれ否定され得るということであるから総ての否定に等しい。
生者のために生きろ。死者のためなら死ね。
罰には罪人が最も嫌うものを与えるか、最も愛するものを剥奪するのがよい。
ものごとの一面しか見られないのは知性の欠落。見ないのは理性の欠落。
防げない事故なんかない。防ぐ手だてがあるから起きたそれを事故というんだ、防ぎようがなければ天災なんだよ。でも起きてしまうから事故なんだし、そしていざ起きた時にどう対応するかがつまり力量の見せどころ、経験と知識の活かしようになるんだね。まあ…
世界には二種類の人間がいる。遊ばなくなったおもちゃを棄てる人間と、遊ばなくとも愛でる人間だ。
自分とうまくやっていけない人間が他人とうまくやっていけるとでも思っているのかね。自分を信じられない人間に他人を信じることができるとでも思っているのかね。自分を重んじられない人間に他人が重んじられるとでも思っているのかね。
カフェの照明の位置。 いつもお気に入りの席に座れれば問題ないんだが混んでいる時などに偶さか微妙な席につくことになると、照明の違いに困ることがある。 角度がやけにばっちり決まって、手元の本なりPCのディスプレイなりを直撃。 ふつうに座って文字や画…
古い使い捨てライターの処遇。 炎が小さくなり、やがて点かなくなり、ああもうこれはダメだな棄てねばなと思えるのに、見るとタンク部に微妙に液体が残っている。 でも点かない。 これノズルの詰まりとかで点かないのかなあこのまま棄てたら爆発案件になるん…
タバスコの瓶の口がキレイで、ひと振りで思わぬ量の液が散る。 アレは適度に詰まっていて、塗り面積1平方センチぐらいのしずくが飛ぶからよいのであって、これがひと振り3平方センチともなると微妙に扱いに困る。 でも結局はそのまま使う。 地味に困ること…
紳士とは自らの蛮性を知りそれを馴致した者が得る称号であって、自身の蛮性を知らぬ者や元から蛮性のない者には縁のないものである。
思い通りにならないことがあると「男だから」「女だから」とか「人間だから」「いきものだから」とか、さも自分自身ではどうしようもない事情に翻弄されているような体で自身を納得させるのって、最後の手段だよねえ。もうこれ以上どうしようもない時に使う…
どんなことを笑えることとするかには笑う当人の知性や品格が鮮やかに現れ、どんなことに怒りを覚えるかには怒る当人の誇りが現れる。だがどんなことに泣けるかには直接に関わる要素がない。強いていうならそれは当人の来歴に由来するが当人自身もそれが具体…
結局コダワリのないやつが一番強いのよ。しかもコダワリのないやつには強いとか弱いって尺度すら通じないわけで(つまりそんなことにコダワっていないからね)、いったい何の話をしてるのかって感じになる。
自分を知る一番の早道は自分をやめることだ。
相手を獲れる時には周囲のすべてが見えているものだし、逆に狩られた時には必ず何か見落としがある。その見落としは確実に自身の視界の中にあって、あとから省みることができるならはっきりそれと自身で理解できる類のものだ。
ネコは愛でるもの、イヌは親しむもの、オンナは敬して之を遠ざくるもの。
償いは常に償う者のためにある。
それが我慢と思えるうちはまだそれへの欲望が猛っているのだ。
こんなことをしている場合じゃないってのは百も承知さ。キミにはわからんのかね、そういう場合だからこそこんなことをしたくなるって気持ちが。
仕事は人を鍛えてくれる。習熟するごとにスキルが身につき考え方も変わる。けれども残念なことに人の素地までは変えてくれない。下種(げす)がどれだけ仕事に熟達しても下種の根性は下種のままだし、上種(じょうず)の魂は上種の品を棄てられない。
ひとごろしにだって理屈はあるもんだよ。あるからどうってもんでもないがね。同様にセイギノミカタにだって理屈はあるが、あるからどうってもんでもないってのも同じさ。
肉に基づかない愛は在り得ないし愛を含まない肉もまた在り得ない。それらのいずれかもしくは双方が失われた時が滅びの時であり、世にはすでに滅びていながらそれに気づいていない者が極めて多数存在する。
人間という動物の生が形而下に営まれ、ひとという存在の生が形而上に営まれるものであるなら、生きているが生きていないという状況は容易に現れ得る。