かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

2012-07-01から1ヶ月間の記事一覧

#324

頭の悪い人間の頭の悪い所以は自分の頭の悪さに気づくことができない部分にあり、頭の良い人間の頭の良い所以は自分の頭の良さの限界を比較的正確に把握している部分にあるのだが、どちらもそれゆえに行動が制限される点においては大差ない。

#323

「そんな話わけがわからん」という発言は、理解が及ばないという意味ではなく、理解したが許容し難い、あるいは許容不可能であるという意味だ。少なくとも、理解を及ばせたくないという意思は含まれている。そういう相手に諄々と意を説いても賛同を得ること…

#322

夢のない眠りは安らかだが、面白みがない。 夢の途切れない眠りは楽しいが、せっかくの眠りが休息になってくれない。 まあ目覚めている間も同じようなものなんだがね。

#321

あらゆる作品はすべて再現芸術の要素を備えている。つまり、受け手が作品と関わりをもつ時、必ず何らかの加工・創作をしているということだ。たとえば小説の場合、すべての視覚的情報は、どんなに細かな描写があったとしても、読者の想像力に委ねられる。そ…

#320

技術は最大値において才能を越え得ないが、最終的な総和において才能を凌駕することはあり得る。とはいえそれは、ひたすら継続ばかりを念頭におけばいいという話ではなく、常に限界値に達するほどの緊張を維持することが大前提だ。

#319

「理屈をいうな理屈を、感性をもっと重んじろ」と言う人の感性が素晴らしいと思ったことは一度もない。もちろんそういう人の論理性が秀でていた例しもない。

#318

ひとは成長の過程で、主に親との関係性の中から“疑う心”を学ぶというが、もしそれが真実であるなら、それは好もしいことといえるのではないか。それが学ばなければ身につかないものであるなら、ひとは本質的に信じる存在だと見做し得るからだ。

#317

幸運なんてものは存在しない。それは、成功者が妬みや嫉みを逸らすために未成功者たちに提示する免罪符のようなものだ。世の中には、すべてが実力の成果だとは認めたがらない者でいっぱいなのだ。

#316

イタいヤツをイタいと思う理由は自分の中にある。然り、イタいとはごく主観的な判断なのだ。本当にイタさと無縁な者は、痛車を見てもイタいと感じない。「あははー、おもしろい。あいつバカじゃねーの?」とか「新車にあれかよ、もったいねぇー」とか言うだ…

#315

あんまり生真面目になるな。大概のことは、少しルーズにやった方がいい。ガチガチの生真面目になるべき時は、趣味に没頭する時ぐらいだ。

#314

システムを滅ぼすのは、反システムのcellではない。システム内にあってシステムに無関心なcellである。

#313

その一歩を踏み出せる者は身の程知らず、躊躇うのは臆病者、踏み出すことを知らないのは若輩者、そこに踏み出せる場があることに気づかないのは愚者である。そしてこんなことをしたり顔で述べるのは、ただのひねくれ者だ。

#312

欲望に抗い馴致しようとすることは、まるで崇高なことではない。禁欲など、与えたくない誰かが言い出した妄言に過ぎない。けれど、欲望に従いそれを満たすたびに、憧憬とか目的といった財産が失われてゆくのは事実だ。欲望との拮抗とは、得る満足と失う寂寞…

#311

それが健全なものなのかどうかはなんとも言い難いが、健全な肉体に宿る精神は不健全な肉体に宿る精神ととりあえず異なることは確かだ。そして凡そ不健全な肉体に宿る精神の方が、その質はどうあれ、労働量が増える傾向にあるようだ。

#310

ひとが自ら死ぬのには理由が要る。それは、生きるのに理由が要らないことの逆説的な証明といえる。

#309

一所懸命とか努力とかいったものは、他者に対しては基本的に無価値だ。もしそれを他者に対してアピールし始める者がいたら、その者には他にアピールすべきものがないということになる。取引の相手としては、おそらく望ましくない相手だ。

#308

動物の調教は、基本的に恐怖に基づいておこなわれる。自分が到底敵わない存在=主人に攻撃されないため、その指示に従うという原理だ。犬のように賢い動物なら、その一段上、つまり主人の称賛を得るため、あるいは主人の歓心を誘うために指示に従うこともあ…

#306

「期待しているぞ」と言われるのは、「オレに都合よく動け」と言われたのとほぼ同義だ。もちろんそれは、自分が期待する時も同じこと。なのに期待する当てもされる当てもない日々が虚ろに感じられるのは、そもそも人間が面倒好きにできている、ということな…

#307

羨望を感じる相手は多々あるが、どこまでも自身を被害者に規定できる人間ほど羨ましいものはない。すべての問題について自身は完全に無辜であり、原因は必ず他者にあると考えて省みない者だ。自由とは、まさにこういう者のみが享受し得るものなのである。

#305

広義に解釈すれば、他者の行動に干渉するあらゆる力が暴力となる。そしてそれは、いうまでもなく物理的な干渉に限らない。視線ひとつも暴力になり得るのだ。当然、暴力を否定する言説もまた暴力に他ならない。当然のことなのだが、なぜかそれが話題にのぼる…

#304

必要なものがある、と思えるうちはまだ大丈夫だ。そのうち、それを必要としている自分自身が実はそんなに必要なものでもないことに気づく。必要でないものが必要とするものが必要であるはずもないと気づけば、必要なものなどひとつもなくなる。

#303

教条主義は決して悪いばかりのものでもないと思うんだ。それは、考え発展させる力を備えない者にとって唯一の救済になり得るのだし、そしてむしろそういう者の方が救済を必要としているんだからね。

#302

知識はレゴブロック、考えるということはそれを組み立てることとよく似ている。少ないブロックでは組み上げられるものの規模も知れているし、もし組み立てのテクニックを駆使して大きなものを組み上げても、脆弱なものにしかならない。たとえ珍しいブロック…

#301

バカの考え休むに似たり、だって? とんでもない。いいかい、バカの考えってのは害毒だ。足りない情報といい加減な論理で組み立てられた考えは、当人の行動をおかしくするし、それは当然周囲にもさまざまな害を及ぼすんだ。むしろ賢者の考えの方が、よほど休…

#300

ものすごいことをものすごくやって見せてくれるのもプロの業だが、当たり前のことを当たり前に完遂するのもまたプロならではの業だ。

#299

青は藍より出て藍より青く、朱に交われば赤くなり、黄は優しくて力持ち。

#298

愚者の最大の弱点は自身の死角にまったく意識が向かないことであり、賢者の最大の弱点は自身の死角に対する意識が強過ぎることである。

#297

自身の弱さを神に預けた時から、人間の暴走は始まっている。

#296

自身の老いを感じることは実に複雑な感情をもたらすものだが、自身の親の老いを観ることはさらに複雑な感情をかきたてるものだ。

#295

喫煙はまぎれもなく悪習のひとつだ。なぜならそれは、無数のひとびとに寛ぎの時間を与え、救済をもたらしてきたからだ。嫌煙運動はゆえに、敬するに値するものである。人間は自ら築いた文明の恩恵と引き換えに、相応の苦しみを甘受しなければならない存在だ…