2018-08-01から1ヶ月間の記事一覧
ひとつずつの記憶がすべて宝物になる相手がひとりでもいる人生は、とんでもなく贅沢でとんでもなく幸福だ。
新しい刺激を求め続けるのも悪くはないが、暗誦できるほどに馴染んだものを一字一句から解釈し直すのも悪くない。だがそれで新しい発見があったら、これはやはり新しい刺激を求めたことになってしまうのだろうなあ。するとやはり新しい刺激に勝るものはない…
数字は嘘をつかないが、数字を扱う人間はしばしば嘘をつく。
まあモラルなんてものは根本的に社会契約に由来する行動規制なので、個々の内部での自然発生に期待するのはそもそもにお門違いではある。しかし社会契約の概念をもたない、もしくは軽んじる(その価値に気づいていない)者においては、どうも自己の内部にそ…
得るという気構えもなく得たはずの得ざりきものを追う 晩夏なるか
息子にどうしても詫びておかなければならないことがある。それは彼に、理解し得る能力を分けてしまったことだ。それは確かに生を豊かにしてくれるが、同時に担わずにすんだはずの面倒を担わせることにもなる。それがもたらす負の大きさを考えると、得られる…
わからない人間の分も背負ってわかる人間がなおさらつらく生きている。
must be な毎日よりも maybe な毎日の方が多分たのしい。
別にそんなのどーだってイイじゃんといわれるようなところにこだわるから、ものごとはおもしろくなるもんなんだ。
価値観が違うわけじゃない。世界そのものが違うんだ。同一の世界のなにに重きをおくかの話じゃなく、異なる世界にはなにがあるかという話なんだよ。
酒の飲み方が汚い人間はその他のたいがいのことも無様だ。
愛することに資格は要らないが愛されることには資格が要る。
あぁ何でも訊いてくれ、知っていることなら全部知っているからな。
クソミソに貶すシロウトとベタ褒めする専門家は同じくらい当てにならない。
だいたいにおいて人生は突然と偶然の積み重なりで、どんな準備も計画もいきなりの現実にはかなわない。そういう場面に遭遇した時どれだけ無理なくやり過ごせるかが、積み重ねた経験の見せ場になるというわけだ。
「なにをやるか」を重視するひとと「どうやるか」を重視するひとは、しばしば互いを理解できない。
理想は知性の産物。従って知性のない者には理想はいだけない。
おおいに残念なことだが、金品で人品は補えない。
信じ難いひともあるかもしれないが、すべてのいのちには必ずそのいのちを慈しみ愛でる別のいのちが準備されている。それはそのいのちの父母であったり近縁のものであったり、単にそばに暮らすだけのものであったり、いずれの未来に知り合うものであったり、…
自己嫌悪に陥るのは、自分に対してある程度以上のレベルを要求し、その達成度に厳しい基準をもつひとだけだ。だから自己嫌悪に陥らない者は、自身に期待をしていないか、達成度の判断に甘さがある者という可能性はある。
外敵からの自衛を主張しながら、自分個人は護られるべき存在で実行はしなくていいと思っているらしい人間、自衛はおまえの仕事だと思っているらしい人間の発言はすべて信じない。なにをどう語ろうと信じない。というより外敵を簡単に設定する人間をまず信じ…
まず退路を確保すること。それができないのだったら、どんな“こと”も構えちゃいけない。もっとも、退路を確保することと逃げる先を確保することは違う。逃げる先をまず見繕わなければ行動できないのなら、最初から手を出すな。
文化的な最低限度の生活というのは「私(わたくし)」が保証され認められる生活をいうのであって、どんな豪邸に住みどんな豪奢な食事を摂っていても、そこに「私」が反映されていなければ、それは文化的とはいえない。
愛しあうとは、ふたりが同じことをする状態のことではなく、それぞれのバラバラな行動がたまさか互いの求めと一致したように感じられる状態のことだ。そしてそれはとても貴重なことであり、その状態のために生きている時間のすべてを費やすに相応しいことだ。
空腹を感じるまで食わずにいられるのは豊かな証拠。豊かでなければ食える時に食う、そうしなければ生き残れない。
恥知らずほどケンカには強いもんさ。殴り合いだろうが罵り合いだろうが、途中でふと我に返ったらいたたまれない気分になる。そうならない奴だけが最後までケンカを遂行できるんだよ。
感謝という感情をやりとりできる動物は人間だけかもしれない。
あと出しじゃんけんで負ける快感がわかるようになったら、もうおとなだ。
人生が誰かと出会うために設けられるものなのだとしたら、自分はすでにそれを達成した感がある。 だから、今はもう消化試合状態。 あとは余祿。
余裕というものは確認できる事情自体には左右されない。事情を測る基準に因る。どんなに差し迫った問題でも、それを受けとめる側が「まーいんじゃね?」という境地に至っていれば、まったく差し迫った問題にならない。だがその判断者の周囲にとってはどうか…