2023-06-01から1ヶ月間の記事一覧
適材は適所へ配置すればよいが、それ以外はどうすればよい?
仕上がりを気にするようになれればどうにか半人前だな。
学べば変わる。変わらないのは学んでいない証。
癒えない疲れは負債でありどこかで精算しなければいずれ命を奪う。
抱きしめられるのはかたちを備えたものだけだ。
走っている時には走っているということにも気づいていない。躓き倒れて寝転がって、初めて「ああ走っていたのか」って気づくんだ。青い空を見上げながらね。
選べると思っているうちは幸せなもんだよ。もはや選べなくなったことに気づいた時、初めて選べた頃の贅沢がわかるんだ。だから選べ、選べるうちに。
明日の星占いが気になるのは明日がたのしみだからだよ。
できないことは詫びなくていい、やらないことを詫びておけ。
できることには理由があるができないことに理由はないもんだよ。
誰かや何かに大切にされたい時に必要なのは、まず自分が誰かや何かを大切にすることではなく、自分の中に大切にされるべきものを育み顕示することだよ。大切にされるべき価値を備えないものが他を大切にしたからといって、大切にされるわけもないだろう?
誰かや何かの役に立っていなければ生きていてはいけないなんて決まりはない。自分が自分の生に納得していればそれで充分だ……が、さてキミは納得できているのかね?
そのバスへ乗るために押し退けた相手は自分だったかもしれないなんていうのは相当に幸せなクチさ。実際にはほかの誰かを押し退けている。ほかの誰かを押し退けたことで、今のキミがある。そうやって追い落としたひとびとの屍の上にキミは立っているんだよ。
行き先を指定するのは自分でも、そこへ向かう乗り物を運転するのは自分じゃない。生きるっていうことは、そういうものだよ。
腹が減っては薬も飲めぬ。
忘れたって? もともと知らなかっただけじゃあないのかい?
くだらないことにこだわらないで何の人生か。
ケンカの必勝法? 知ってるぜ。負けを認めないことだよ。たとえ殺されても『オレは負けていない』と思い続けたやつがケンカの勝者なのさ。え? うん、その通りだよ。それは無意味なことだ。
孤塁を守るヒロイズムは守ること自体によってのみ成立し、孤塁の意義や価値とは無関係であって、それゆえに誰にも、守る者自身にも理解することは不可能だ。
悍ましいのはそれでも自身を護ろうとする無意識。
強さは自分で測れるものではないし自分で操れるものでもない。
復することが赦されるのは復する価値を認められた者だけだ。
死にたくないと思う理由を考えてもわからなかったのなら、それはすでに形而上的には死んでいるってことだよ。
なかったことにしようと思ってなかったことにできるなら、それはそもそも大したことではないのさ。
誰に裏切られたら堪えるといって、自分自身に裏切られるより酷いものはないのではなかろうかな。私にはわからないが、キミならよくわかるだろう?
欲しいのはクライマックスではなくそこへ向かい続けているという感覚。
今日が昨日の延長に過ぎず明日が今日の繰り返しに過ぎないのなら敢えて永らえる必要はない、違うかね?
自身へ対する誰かからの負の念は概して過小評価しがちであり、正の念は逆に過大評価しがちだ。
自身の正当化を常時必要とするような生き方はまず成功とはいえないが、まったく必要としない生き方は間違いなく失敗といえる。
ひとつのものごとにひとつの目的しか見出せないのは感性の貧しさゆえのこと。