「期待しているぞ」と言われるのは、「オレに都合よく動け」と言われたのとほぼ同義だ。もちろんそれは、自分が期待する時も同じこと。なのに期待する当てもされる当てもない日々が虚ろに感じられるのは、そもそも人間が面倒好きにできている、ということな…
羨望を感じる相手は多々あるが、どこまでも自身を被害者に規定できる人間ほど羨ましいものはない。すべての問題について自身は完全に無辜であり、原因は必ず他者にあると考えて省みない者だ。自由とは、まさにこういう者のみが享受し得るものなのである。
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