かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

嫌煙権を主張するモノは相手にしない

 嫌煙権ということばが登場当時から嫌いで、なぜこんなにいやらしい印象を備えたことばを臆面もなく使える人間が存在するんだろうと感じていた。
 ある時いろいろ考えて、そのいやらしさの理由を把握した。
 つまり「嫌」と「権」の同居がいけないのだ。
 どういうことかというと、「嫌」は個人の感情であり、一方「権」は一般に社会が備える、もしくは与える力なのだ。感情という不確定要素の大きなものに社会が裏づけをするという構造が「嫌煙権」ということばにはある。これはいやらしい。個人のことは個人でやれ、社会の力なんか借りてくるな。そこんとこ省みる知性とか羞恥心のない連中が振りかざすのが嫌煙権ということばと概念なわけで、これはもうバカが使うことばでしかない。

 じゃあ俺がたばこをやめる話にまったく無関心ないし敵対的なのかというと、そんなことはない。
 俺の友人たちの中には、煙草をやめた者も多くいる。(もっとも、そのうちのひとりだって嫌煙権なんてことばは使わない)
 そういう友人たちの中には、喫煙を続ける俺に、たばこをやめるように進言してくれる者もいる。そのうちのひとりは、こんなことを言った。
「俺のためにたばこをやめてくれないか」
 なんだ副流煙の問題かと尋ねると、違うと言う。
「俺がたばこをやめた理由は、母親を早くに亡くしたことにある」
 なんだなんだ、と思って先を促す。
「母の死はたばことは無関係だったが、母を亡くした時、俺はとても悲しかった。つらかった。身内の、特に近親の死はいつだって悲しいしつらいものだが、早ければなお厳しい。
 俺は娘たちに恵まれた。彼女たちが育つのを見るにつけ俺は、娘たちには近親の早逝の悲しみを味わわせたくないと思った。ところで、たばこが命を縮めるのはどうやら確かなことのようだ。つまり喫煙者には早逝の可能性がある。だから俺は娘たちを徒に悲しませないためにたばこをやめることにした」
 ふむふむ。
「で君だが、君は俺にとって大切な友人だ。だから早くに失うことは避けたい、できるなら俺より長生きしてほしい。とりあえず俺に君を失う悲しみを経験させないために、早逝の可能性を高める喫煙をやめてくれたら嬉しいのだが」
 こういうのを説得という。これをいわれた時には、さすがの俺もたばこをやめようかと思った。この際“じゃあおまえが先に逝って俺が悲しむのはどーでもよいのか”というツッコミはナシだ。まずは彼が俺を惜しんでくれる気持ちを優先する。それが友人というものだ。

 一方で嫌煙権を振りかざすバカたちの多くは、自身がたばこを嫌いで長生きをしたいからという理由で周囲の喫煙を排除しようとする。そんなのまともな知性をもった者に相手にされるわけねえだろという当たり前のこと(なぜ当たり前なのかはいうまでもないからいわない)に考えが及ばない。まあそもそも嫌煙権なんて下品で筋の通らないことばを安易に用いるだけでも知性のほどは知れるんだが。
 ついでにいえば嫌煙権を振りかざすバカたちは、ほとんどの場合まず長生きをしたいモノであるようだ。本当に長生きしたいのなら、原発にも環境ホルモンにも食品の遺伝子操作にも国家間の無益な緊張やそのための軍事力増強なんかにも持論を準備しておくべきだと思うが、そういうことにはたいがい興味がない。それだけでもバカだと思うが、じゃあ長生きしてどうするのかと尋ねると、ほとんどが有効な回答を返してこないのがまたバカだ。
 多くは「長生きは誰だってしたいに決まってるだろ」的なレベルで止まっている。せいぜい「長生きすればいいことに出会える機会が増える」ぐらいで、じゃあそのいいことってのは具体的になんなんだと尋ねると、はっきりした答えが返ってこなかったりする。
 つまり、生きることだけが目的なのな。
 そういう連中がいうどんな話にも俺は聞く耳なんぞもたない。

 生物ってなんだか考えたことはあるかい。
 それは有機物の効率的な収集装置に過ぎないんだよ。その制御は核酸がおこなっている。細菌から鯨に至るまで、全部そうだ。敢えて核酸という書きようをしたのは、あるいはウイルスもそこに加えていいかもしれないと考えるからだ。
 人間もまたそういう装置の一種だ。
 ただ、人間にはほかの生物とどうにも異なる点がある。
 それは、人間は有機物の収集以外に“価値”を設定しそれを求める習性があるということだ。有機物の収集となんの関係もない“価値”を生み出し、愛で、富ませ、次代へ送る。そんな習性をもっているのは、地球上で人間だけだ。
 つまり人間というのは、ただ“生きる”(=有機物を収集し、有機物を収集する装置を再生産する)ものではなく、“いかに生きるか”を求めるからこそ人間となる。
 ただ長生きを求め実現するだけでは、人間に至っていないわけさ。わかる?

 でも嫌煙権論者たちはそういう話には耳を貸さない、というより理解できないらしい。
 そういう連中とはまともな会話が成立しない。
 まともな会話が成立しない相手の話を聞く必要があるかね?

 せめて彼らに理解してほしいのは、喫煙が文化だってことだ。つまり有機物の収集とはなんの関係もない価値の、ひとつの典型だってことだ。
 もとはといえばアメリカ大陸(って呼称は好きじゃないんだが他にいいようがない)のもとからの住民たちが見出したものだった。それが欧州へ渡り、さらに世界各地に広められ、その地の文化と結びついてそれぞれに独自の発展をみた。
 百歩いや千歩いやいや万歩億歩譲って、喫煙が単に不健康な悪習だとしてもだ。
 喫煙は同時に営々と育まれてきた文化であり、それゆえにこそ生まれたさまざまな結実とともにある。それらまるごとをもし否定する気なのだったら、それは「嫌」という個の感情で歴史を封殺しようとすることで、アドルフさえ成し遂げ得なかった圧倒的な乱暴だ。焚書抗儒より恐ろしい弾圧だ。
 ……って、そんなの理解しろったって無理か。
 相手はなにしろバカだからなあ。