#681
ひとの幸せを願い、そのために行動することは、行動する当人にとっては崇高でもなんでもない。それが当人の幸せのためだからだ。だが行動される側になってみると、その気持ちを寄せてもらえるだけでもありがたいし、寄せてくれるひとが崇高な存在だと思える。願ってもらえるだけで充分すぎるのだ。だから誰もが誰かの幸せを願えばいい。そうすればみんなが幸せになれる。
誰にも幸せを願ってもらえないひとがいたらどうするのか、って? 願ってもらえるありがたみがわかるひとなら、誰だってひとりは願ってくれる相手がいるもんだよ。ひとりもいないなら、それはその人が願ってもらえるありがたみをちゃんと理解できていない人だからじゃないかね。たとえば、願ってもらうだけじゃ足りないという考えのもち主であるとか、ね。