突然思い出したこと
その昔、コンシューマーコンピューターゲームが基本的にスタンドアローンだった頃の話。具体的には20世紀中だね。
んーもうどこからなにをどう話したらいいのかわからないけど、とにかくロムカセット(といいつつ後半はバッテリーバックアップでカセット内にデータがセーブできたから、厳密には read only memory じゃないんだが)(でもゲーム本体の書き換え・更新ができるわけじゃないからロムといえばロムだが)(まあそんな時代があったんだよ)は“閉じられた世界”であって、店頭に並んだ時点でカセット内時間は止まっている。
ゲームをプレイするということは、そのデータを堀じくり返すことで、いったいなにがどれだけ埋め込まれているかを探すことがひとつのゲームでもあった。
だから送り手側もよほどシビアにゲームを設計していた。
なにしろ後づけができないんだからね。発売日までが勝負。
そういう背水の陣ともいえる環境は、ゲームをおもしろくしていた気がするなあ。
……とかゲーム批評みたいなことをいいだしておきながら、今日の話はそういうもんじゃないの。
セリスの切なさを思い出したんだよね。唐突に。
セリスというのは、ファイナルファンタジーVIに登場したプレイヤーキャラクターのひとり。VIは“次世代機”より前のFFの集大成というか到達点というか、とにかく俺にとってはトップレベルの傑作のひとつだ。
VIIをプレイして「ああもうFFやんなくていいや」と思ったのは、フィーチャーが多かろうとグラフィックが華麗だろうとティファのおっぱいが揺れようと、VIの時に感じた世界への畏敬と愛情をVIIに感じられなかったゆえだ。
さらに個人的にいえばFFの意義を決定づけたのはFC版II。ロムカセットの中に俺が世界の存在を実感したのはFF-IIが最初だった。今なおヨーゼフショックは忘れられない。
えーとそうじゃねえやセリスの切なさな。
セリスはこのゲームに、敵方の軍人として登場する。
幼い頃から英才教育(と実験的な存在改造)を施され、軍人以外の存在意義を与えられなかった女性。設定では18歳ということになっているようだが、立ち居振る舞いは二十代半ばといった方がしっくりくる。
ストーリーには当然ながらまず敵として現れ、イベントを重ねてプレイヤーキャラに移る。どころか後半、プレイヤーパーティが一旦解散してしまう巨大イベントの直後には、プレイヤーが操れる最初のキャラという役割を担う。ゲーム序盤からなれ親しんできた彼とか彼女とかをさしおいての大活躍だ。
で、切ない場面っていうのは。
えらい事件に遭遇して仲間が散り散りになり、ハッと気づくと海岸に漂着し独りきりになっているセリス。意識を取り戻してすぐ“仲間”を呼び探すが返事はない。
そこで呟くのが、
「ひとり、か……」
という独白。
この切なさをね、突然思い出したの。
あ、念のためだけど、現物に当たって書いているわけじゃないんで、独白がそのまんまかどうかは保証しないよ。「ひとり……か……」かもしれないし「ひとり か」かもしれん。ご了承を。
ただ俺の記憶の中には、最初の表記のように残っている。
セリスはねえ、紹介した通り個性というか人格を封じられて、ただひたすらバトルマシンとしての性能のみを重んじられて育てられてきたわけよ。感情は要らなかったし邪魔になるだけだった。そういう期待に応えることだけで自身を肯定されてきたし、そういう自分を疑うことの危険さは誰よりもセリス自身が知っていた。
だがゆえあって敢えて母国への叛意を表し、その結果重罪人として裁かれるところだったのを救出されてプレイヤー側へ至った。
いわば気丈のひとなのさ。
ところが、ほんのわずかな時間だったはずなのに、“仲間”と過ごした日々がセリスを弱くした。
独りであることを呟かずにはいられないほどに。
これねえ、切ないんだよね。
なぜってね、気丈のひとがなぜそこまで折れてしまったのかってことなんだけどさ。
そう、折れてしまった。折れることができるようになってしまった。
気丈の時代は、実は折れるものすらなかった。だがセリスは、ロックたちと出会って初めて芽吹き茎を伸ばし幹を構え、折れることができるようになってしまった。
そこへ孤独の襲来ですよ。
残酷だよね。
知らずにスルーすることは簡単だ。知った上で敢えてスルーしなければならないのは、厳しい。虐待が悪事だと知らなければ虐待を見てもせいぜい“わあ痛そうだなあ”と思うぐらいだが、それが防がれるべき悪事と知ったら、スルーは悪事に加担することだと理解できてしまう。そうなるとスルーすることには強烈な罪悪感や自己の不全を感じるようになる、それと同じだ。
それまで軍人であればよかったセリスが人間になってしまった、その上で孤独を知らなければならなくなったなんてさ。過酷じゃないか。
しかもセリスは、ほんの最近にそこへ至ったんだ。だから心はこどもより幼い。その幼い心がいきなりトップレベルの喪失感を押しつけられちゃったんだからね。
その上困ったことに、セリスはバカじゃない。知恵がある。
その知恵で孤独の現実を受け止めなきゃならない。
これは切ないなあ。
当時はね、ゲーム内イベントのために3DCGをわざわざ起こす手間なんかかけられなかったし、それ以前にそれを収録する容量の余裕だってなかった。だから海岸からとぼとぼと去るセリスの姿は、フィールド用スプライトの演出で見るだけだ。
でも、がっくり落ちた肩や、傷んでボロボロになった鎧、それさえぐったりするほどの重荷に感じられる疲弊した肉体のずるずるとした仕種、全部が見えたね。
もつれて汚れた髪の無惨も、美貌に宿る無力の諦念も、そして彼女の心の中に在る荒野も、本当に全部が見えたよ。
その切なさがねえ、急に思い出されたの。
そのプロセスがあってこそ、後半の物語にいのちが吹き込まれることになるんだが。(そしてその喪失を克服する意志をもてなかったシャドウとそれを察したインターセプターの忠実に泣くんだよ)
それにしても厳しいシチュエーションだねえ。
ああいうものが登場する時代に居合わせることができたのは僥倖と思うが、でも時々こうして切なさが戻ってくるのは俺自身に厳しい時があるなあ。
まあでも、そういうものを得ることが、蓄積することが、俺という個を維持することそのものではあるんだが。
まあそういうことがありましたよ、という程度の話。
うん、本当にいきなりなんの脈絡もなく思い出したんだ。
セリス。
あれからもう二十年経つ。
さぞかしいい女になったんだろうなあ。
なお俺FFVIではこのあと、ぐだぐだに腐ったセッツァーとその復活、そしてそのセッツァー操る型式は古いが優れた飛空艇ファルコンが重い海の天井を突き破って飛翔する姿を見て、声が出るほど泣かされることになる。
今ちらっと YOU TUBE 検索して i-Phone 版を見たが、いやいやいやSFC版はあんなもんじゃない。海猫の声が聞こえるようなものすごい場面だったよ。
ああ、あれは素晴らしい作品だったなあ。