かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

音楽という趣味(ギター蒐集篇)※本編!

※この文章は2019年5月22日に投稿した『音楽という趣味(ギター蒐集篇)』(https://st79.hatenablog.com/entry/2019/05/22/190656)という文章の続編であり本編です……が、別に前編を読む必要はありません為念

 音楽というものはやはり懐が深いものであるわけで、根本は音にあるわけだが、音を聴かなくてもたのしめる音楽絡みの趣味、というものがある。
 俺の場合、たとえば楽器の蒐集や手入れというのが、その分野になる。

 蒐集といっても、別に意識してやっていることではない。
 楽器屋などで気になる楽器を見つけたのでなんとなく買った、後悔はしていない……みたいなものが半分以上を占める。
 種類はほとんどがギターで、これはおそらく今40本近くある。時おりひとにあげちゃったりするから、正確な在庫(w)は把握していない。ただ、買った時には買ったという記録だけはつけていて、そのリストを見る限りはだいたいそんな感じ、といったところ。
 衝動買いが半分以上を占めるぐらいだから、高価なものはほとんどない。せいぜい定価で35万円というのが高額品の上限だ。
 多いのは販売価格が数万円程度のもので、だいたい中古。もし明日俺が突然死し、遺品整理でわずかでも換金したいとなっても、まあ値がつかないレベルの品々だ。
 コレクターズアイテムと呼べるものもあるにはあって、たとえばEシリアル期のフェンダージャパン製ストラトキャスターは当時のトップオブザライン、そもそもはハードケースつきだったがひとに貸したらケースだけなくなってしまって価値半減というところなのだが、それでも数年前ふと思いついて検索してみたら、本体のみでキズだらけの同型が16万円ばかりで取引されていた。
 新品当時定価が10万円ちょい、中古での購入価格は8万円程度だったと記憶する。それを考えると、なかなか立派な価格といえる。まあ売る気はないけどね。

 で、蒐集品の中心を占める数万円程度のものの場合、ほとんどがイイ加減な状態で店頭に並べられているのを引き取ってきている。
 イイ加減な状態というのはどういうことかというと、ギターはさまざまな部分が調整可能で、たとえばネック(棹、弦が張られた細長い棒状の部分)はたいがい内部に仕込まれたトラスロッドという仕掛けで反り具合を調整できる。だが店頭にあるうちはたいがい弦の張力に負けた順反りという状態になっていて(実は新品ギターもほとんどはその状態で売られている)、これはトラスロッドをちょちょいといじってやれば、ビシッと真っ直ぐになる。もちろん音は真っ直ぐの時がいちばん良い。
 これがエレキギターともなると、ブリッジサドルやピックアップの高さとかオクターブチューニングとか、ストラトキャスターならビブラートユニットのセッティングとか、とにかく調整できる要素がたくさんある。そしておよそ全部が手つかずのまま売られているといってよい。
 ここで第二の趣味、いや実質としてはメインの趣味ともいえる手入れと調整というたのしみが出てくる。

 調整には、大雑把にふたつの方向性がある。
 ひとつは、その楽器が最もよい音を出す状態を探す、というもの。
 もうひとつは、弾き手のクセや趣味に合わせた状態をつくる、というもの。
 どちらかへ全面的に振ることはほとんどなく、弾きやすくよい音になる、という、ある意味妥協点のようなものを探り出すのが調整のキモといってよい。

 これがねえ、すごくたのしいワケですよ。
 まずは弾き手である俺自身の手に合わせてみる。この時点でもう音が変わる。店頭で弾いた時よりよい音になれば問題ないが、なかなかそうはゆかない。店頭での試奏時には、もっと張りのある音だったのになあ……などと思い、じゃあ、と張りのよくなる方向へいじってみる。もちろんこれまでの蓄積で、どこをどういじればどんな音になるかのおよその見当はついている。すると、音に張りは出たがやはり弾きにくいとなり、ならどの辺りが弾きやすさと音のバランスが取れる点になるのかと、ツールをずらりと並べてちまちまといじり続けることになる。
 品の状態によっては、パーツ交換もやる。この個体はボディの響きがよいから、ピックアップ(弦振動を電気信号に変える部品)の選択次第でもっとよい音になるはずだと考えて、手持ちのピックアップと載せ換えてみたりする。もちろん新たにピックアップだけを買い込むこともある。
 この辺になるとハンダ付けの作業が出てくる。ハンダはやはり導電性がよくノリが素直なものがよいよね、なんてことになって、そっち方面でもまた新たな趣味が発生する。気がついたらハンダごてが何本にもなっていたりして、なんというか果てが見えない。
 それで一旦は納得するレベルにできても、今度はそれを弾くというたのしみが出てくるわけで、終わりというものがない。
 そうこうしているうちにまた楽器屋などで「お?」と思う個体と遭遇し、ああまた買ってきちゃった……なんてことになってしまうわけで、まったく趣味というものは困ったものなのである。

 ところが。
 やはり安いもの、安すぎるものは、どうしても限界が低い。
 楽器の鳴りというものは不思議なもので、高い金を出せば必ず素ン晴らしい音がする、というものでもない。もっともよい音というのは主観的なものではあって、ぶっちゃけ弾いている当人にもよくわかっていなかったりはするのだが。
 しかし安い楽器の音は、ある程度の耳をもっているひとが聴けば、どうがんばっても安い音でしかないのだ。
 どこがどういう具合だと安いのかというと、これをことばで説明するのは難しい。
 要するに深みがなくて薄っぺらく、またタッチノイズ(弦や楽器本体に触れる手や指から発生する雑音)が妙に大きかったり、エフェクターというギターの音をいろいろに加工できる機械を使っても、「あーなんか大雑把な音しかしねえなー」となったりする。
 これは本当に不思議で、高価な楽器はやはり高価なりに整った音がする。
 ただし必ずしも整った音が弾き手の望む素晴らしい音とは限らないんだけどね。

 さて、ではなにが楽器の価格を左右しているかというと、今どきはやはりまず材だ。
 かつては楽器を制作するということ自体が大変な技能であり、その技能に対して払うコストもなかなかのものだった。単純な話、ギター制作をするようになって三年ですという職人さんと、十年経ちましたというひとでは、やはり仕上がりに差が出る。
 ところが近年は、少なくとも木材(然り、21世紀に入って20年以上も経った今ですら楽器の主材料は木材である)の加工だけに関していうなら、ヌメリカルコントロールマシンのおかげでキャリア数十年レベルの職人さんに匹敵する作業が、昨日入社しましたという者にもできるようになっちゃっている。
 もちろん、じゃあ職人さんの価値がなくなったのかというと、そんなことはない。木材はひとつずつが違うから、どの材も同じ加工でよいかといえばそうではない。ではどの材にどんな加工を加えればよいのかとなると、これは職人さんの経験と才能が頼りだ。
 だがせいぜい定価五万円程度までの入門器の場合は、そこまで厳密なものをつくる必要はない。一応のシーズニングを経て楽器用の材として適当になった木材を機械にかけてだだーっと削りだせばおっけーだ。というより現在では、そういう方法を採らないことには入門器レベルを量産することはできない。市場のニーズと職人さんの人数のバランスというものが、ぜんぜんマッチしていない。
 一方、材には当たり外れというものがある。
 同じ加工工程を経てカタチになった、その時点でなぜかほかの材より響きがよいなんていうものがあるし、逆になにこれぜんぜん響かねえなんてものもある。その辺の吟味を、メーカーも事実上できないのが、数万円レベルの楽器なのだ。
 もちろん最初から「これはいい音になるに違いない」と判断される材もあるわけで、そういう材を使った楽器は当然ながら高価になる。選別という手間もあれば、場合によっては手工の工程を増やしたりもするわけで、その分コストがかかる。そういう過程を経た楽器がつまり、高価な楽器になるのだ。
 そして当然、安価な楽器には、安価が音として反映しているというわけだ。

 これがねえ、でもねえ、やっぱり不思議でならんのですよ。
 もちろん安価な楽器の中にも、当たり個体はある。偶さか、本当に偶さか、その材がその材に適した加工を受け仕上げられた偶然の産物。こういうのは、たとえば電装系に手を加えたり、場合によってはネックのみを別個体に移植なんてことをすると、化ける。
 だがそんなのは本当にレアケースであって、安い品は安い音、これが基本だ。
 その基本が成立しちゃうことが不思議でならない。
 逆に、稀少材だからといって必ず素晴らしい音かといえばそうでもない、ないのにだ。
 安い材の安い楽器は必ず安い音がするわけでね。
 そもそもに木材を、見た感じ・触れた感じである程度選別した結果がそうなのだが、それにしたって逆の意味でのハズレがなさすぎる。安いイコール安い音というルールからのハズレだからつまり安かったのにえらくイイ音、という意味だ。まず皆無。
 同時に、材が不憫にも思えてくる。
 木だって、「あぁやっぱコイツは音がダメな材だったな」とか言われるために生えたわけじゃねえですからな。不本意にも伐られて製材され乾燥させられ加工され塗装されたあげくに「ダメじゃん」と言われたんじゃ、伐られ損ってものだろう。
 と思うのに、やはり安い楽器を弾くと、やっぱり「ああ安いなあ」となる。
 こうなってしまうことが、なんかこう、不思議なんだよねえ。

 それでも安物買いがやめられないのは、時として色が鮮やかだったり(といっても塗装の、ということだが)、デザインが奇抜だったり、その他なんともいえないナニカをその楽器が放っているゆえではある。
 もしかすると、その楽器・その材には、そのナニカという“才”があったのかもなあ。
 音は安いがアピールするものがある楽器。
 そういう連中を嗅ぎつけ探し出してくるのが、あるいは俺の楽器蒐集趣味というものなのかもしれない。
 そして、そんなアプローチもふつうに成立させてしまう、音楽というもの。
 懐が深いもんだよねえ。

 え。
 なにかサゲとかそういうものはないのか、って。
 いやいやいや、ありませんって。
 なんとなくそういう話を、俺がしたかっただけだ。
 長いのを読んでくださって、ありがとうね。