人間が活用できる自由なんてのは、どう頑張ってみたところで、自分を束縛する存在を自ら選択することぐらいであって、しかもその選択規準が本当に自由に設定されたものなのかどうかを考えると、これがまた甚だ怪しいのである。要するに、どんなに自由になったつもりでも、人間は必ず何らかの束縛を受けているということだ。だがそもそもに自由なんて概念自体が、不自由あるいは束縛の対立概念としてしか存在し得ないのだから、自由は最初から不自由の束縛を受けているということにもなる。といったことを考えた上で自由を叫ぶ声を聞いていると、ため息の十や二十、自然に漏れてくる。