実用性を突き詰めた先にある機能美の対極に、無駄の美がある。たとえばティーカップの鮮やかな装飾紋様などは、茶を飲むという行為自体にまったく関係がなく、けれど美しい。こういうのが無駄の美だ。だが無駄の美は無用の美ではない。茶を飲むという行為に、より深い愉しみを加えている。有用なのだ。ではその有用がどこから生じるかといえば、能力の余剰からである。そもそも美という概念のほとんどは能力の余剰から発生しているのだから、その意味では無駄の美こそ美の正道といってもいい。実用性のみで物品の価値を測ろうという考えは、余剰の能力が薄弱な人の行なのであろう。