かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

【#1 伯父さんのこと、お祖父さんのこと、そしてナカニシのこと。】-01

 最初に“あれ、おかしいな?”と思ったのは、伯父さんが死んだ時だった。
 一年半ぐらい前のことだ。伯父さん――母さんの兄さんは、その数日前、僕への中学入学祝いだと言って、例によって妙なものを持ってきてくれたばかりだった。
「こいつはなぁ昌史。アイスクリームが作れちゃう機械なんだぞ。アイスキャンディじゃないんだ、クリームなんだ。ちょいとしたもんだぜ!」
 伯父さんはいつも通り、僕を喜ばすためよりは自分が喜ぶために買ったとした思えないものを、高々と掲げたり、光に透かすように眺めてみたり、右から左から覗き込むようにしたりしながら、嬉しそうな早口であれこれと説明してくれた。
 母さんは、そんな伯父さんを“またやってるわ”と言いたげな目で見ながら、お茶を置いていった。
 あんまり広いとはいえない僕の家の、リビング−ダイニング。もうずいぶん暖かい季節になっていて、窓から入ってくる日差しは、しゃべり続ける伯父さんの横顔に当たり、その顔を本当に輝かせていた。
 まったく、変な伯父さんだった。四十歳を過ぎてるのに落ち着きがなく、年中あっちこっちへ出かけていて、たまにフラリと遊びに来る。旅先で見つけた妙なものを、甥の僕に自慢するために。
 仕事はルポライターだと言っていたけど、僕は伯父さんの書いた記事なんか読んだことがなかった。
 父さんは、この義兄が好きじゃなかったらしい。伯父さんが来ると、露骨にイヤな顔をしていた。時々は、『義兄さんもそろそろまともな仕事をしたらどうです』とか、説教じみたことも言っていた。僕に『あんなおとなになるんじゃないぞ』と言うこともあった。
 でも僕は、伯父さんが好きだった。
 僕には伯父さんの生き方を真似する気はなかったけど、伯父さんみたいなひとがいるってことが、なんだか嬉しかった。金銭的にはともかくとして、生きるっていうことそのものについては、成功者のうちに入るひとだと思っていた。
 そんな伯父さんが、死んだ。
 僕にはそれが、かなりショックだった。
 伯父さんが死んだ理由は、今でもよくわからない。急死だった。自宅――といっても2Kのアパートだったけれど――で死んでいるのを、原稿を取りに来た担当の編集者さんが見つけたんだそうだ。医者は心臓発作じゃないかと言っていたらしい。
 僕はもちろん、葬式に出た。
 伯父さんの死に顔は普段と全然変わらない感じがして、それがなおさらショックだった。
 そのショックが少し落ち着いてきた頃に、僕は“あれ?”と思ったんだ。
 アレが、無い。
 アレが、無くなってしまった。
 おかしいな。アレはどこにいっちゃったんだろう。アレがないと、僕は……。
 そう思ってから僕は、また“あれ?”と思った。
 ……アレ、って、なんだ?
 無いと僕が困ってしまうアレって、なんだったっけ。いや、そもそも、アレってあったのか? アレって……なんだ?
 それは、物じゃない。
 感じ、だったと思う。
 あんな感じ。伯父さんがいた頃には、けっこう感じていたこと。
 といっても、楽しい感じとか、嬉しい感じとかの類じゃない。伯父さんといる時に感じる気分――おもしろいとか、わくわくするとか、時にはウザッたいとか――とも違う。
 なにか、もっとスパッと一言で言えるような感じ。伯父さんとは関係なく、なにを、誰を見ても起きることのある感じ。その感じを表す言葉だって、あったはずだ。どう説明したらいいのかわからないけど、伯父さんがいた頃には、確かにその感じがあったんだ。
 それが、無くなってしまった。
 無くなってしまったら、アレがどんな感じだったのか、わからない。
 おかしい。おかし過ぎると思った。だって前は、伯父さんが生きていた頃は、毎日とはいわないけれど、数日に一度ぐらいは感じていたはずなんだから。
 それを感じる時、僕はけっこういい気分になっていたはずだ。いや、いい気分だったからそれを感じるんだったかな。どっちだったんだろう。それさえも、わからない。
 アレは、無くなってしまったんだ。伯父さんとともに。完全に。
 なのに僕は、なんとなくそれがあったことだけを、憶えている。その中途半端さが、落ち着かなかった。
 しばらくの間――夏が終わって秋になるぐらいの間まで――、僕は、アレがなんだったのか、かなり深刻に考え込んでいたと思う。僕の両親は、そんな僕を見て、伯父さんの死で落ち込んでいるんだと思ったらしい。
 母さんはいろいろと僕を慰めてくれたし、伯父さんのことが好きじゃなかったはずの父さんも、バリバリに新しいすごいゲームマシンを買ってくれたりした。
 でも、そうじゃない。僕は、ただ伯父さんの死に落ち込んでたわけじゃなかったんだ。
 確かに、伯父さんが亡くなってしまったということは、僕にとって大事件だった。でも実際は、伯父さんとともにアレが無くなってしまったことの方が、大事件だったんだ。
 だけど僕は、それを両親に説明することはなかった。そんなことを言っても、両親にはわからないだろう……なぜかそんな確信があったからだ。
 これは僕だけのことだ、僕以外にはきっとわからない。僕は最初からそう思っていた。説明しようとしてもうまくできないだろうし、したところでわかってもらえるはずもない、と。ま、ゲームマシンは思いがけない余祿だったけどね。
 次に“おかしいな”と思ったのは、それから半年ちょっとが経った頃だった。
 続く時には続くもので、今度はお祖父さんが亡くなった。父さんの父さんだ。
 今度は急死じゃなかった。お祖父さんは、その半年ぐらい前から入院していた。癌だった。だから僕も、ある程度の覚悟みたいなものはもっていた。
 夜中に病院から、長男である父さんにまず連絡が入った。それを引き金に、親戚一同がばたばたと病院に集まることになった。
 夜風がだいぶ冷たくなってきた季節の、新月の晩だった。外に出ると、キリッとした感触のある空気に全身を包まれた。空は少し濁った感じだったけど、星はけっこう見えた。
 それなのに月が見当たらなくて、僕は“おや?”と思った。その時、母さんがぼそっと言った。
「やっぱり新月の晩には、ひとが亡くなるものなのね」
 へえ、そういうものなのか、と僕は妙に感心した。これだけ科学だなんだといっている世の中でも、そんなことにひとの生き死には左右されちゃうのか、と思ったんだ。
 結局お祖父さんは、夜明け前には亡くなった。息子たちをはじめとして、多くのひとに見守られながらの死だったから、それはそれで幸福な最期だったんだろうと思う。
 そこから先の騒ぎは、今でもけっこう鮮やかに憶えている。葬儀屋さんとのやりとりとか、お祖父さんと縁のあったひとたちへの連絡とか。
 それから、父さんと叔父さん(父さんの弟だ)のケンカが、かなりすごかったのを憶えている。どこで通夜をするんだとか、告別式の規模がどうだとか。お祖父さんが独りでアパート暮らしをしていたことが、そのケンカの種になっていた。父さんは僕たちの家でやるべきだと言ったし、叔父さんはお祖父さんが住んでいた場所でするべきだと言った。
 結局は、全部を葬儀屋のセレモニーホールとかいう場所ですることになったんだけど、あれは子供の僕から見てもかなりみっともないケンカだった。
 でも僕には、それよりもずっと気になっていたことがあった。今度はもっとはっきりと、“アレ”が無くなる感覚があったんだ。
 お祖父さんが亡くなる時、僕も病室にいた。お医者さんは機械を見たり脈を取ったりしながら、目配せをした。『ご臨終です』……そう言って僕たちに深々と礼をした。そういうのを見ながら僕は、ああ、テレビのドラマとかでやってるのと同じだ、と思っていた。ドラマの方が真似してるんだろうけど、逆にお医者さんがドラマを真似してるところもあるんだろうな、とも思った。
 そして僕は、今のはウソだな――今“ご臨終”だって言ったのはウソだなと、かなり確信をもって思っていた。
 お祖父さんは、もっと前に死んでる。もっと前に、この世からいなくなった。
 なぜって僕は、お医者さんがご臨終を言うより前に、アレが無くなった感じを覚えていたからだ。
 もちろんそれは、伯父さんが亡くなった時に無くなってしまったアレとは違う。また別のものだ。とはいえ、その性質というか、属性というか――物ではなく、感じのものというところは同じだった。
 そして、それが無くなってしまったら、後からそれを思い出すこともできなくなるというところもいっしょだった。
 それは本当に、奇妙な感覚だった。
 別に、その感じ――アレは、いつも意識しているというものじゃない。なにかがあった時に、ああ、と感じるぐらいのものだ。
 もしもそれが、お祖父さんを亡くして悲しい、という“感じ”であったなら、その時の気分がガラッと変わるわけだから、それはもう劇的に訪れるものになっただろう。
 けれどそれは、そういうものじゃなかった。だから本当なら、なにもお祖父さんが亡くなった瞬間にそれが無くなったと気づかなくてもいい。
 でも僕は、感じたんだ。
 ああ、無くなった。お祖父さんとともに、アレが今、僕の中から無くなったな。
 そんな感じが、確かにあった。
 ただ問題は、やっぱりそれがなんだかわからないということだ。
 無くなったことは、わかった。けれどなにが無くなったのかが、わからない。
 お祖父さんが生きてる時には、たとえ当のお祖父さんが死ぬ寸前でも、それはあった。それは決して頻繁に感じることじゃなかったけど、それでも確かに暮らしの中のある瞬間を飾ってくれる感じのひとつだった。
 ところが、お祖父さんが亡くなるとともに、それはぱたっと無くなってしまった。きっとその感じは、以前にそれを感じたのとまったく同じ状況が僕に訪れたとしても、二度と感じられない。お祖父さんが亡くなった今となっては、それを表すことばもない。無くなってしまったんだ。
 そして、無くなったことがわかったその後には、それがどんな感じだったのか、もうわからない。自分がなにを無くしたのかが、わからない。いや、正確にいえば、以前に自分がなにをもっていたのかが、わからないんだ。ただ無くなったたことだけが実感できた。
 それは、わりと肉体的な感覚だった。胃袋の中身は洗いざらい出しちゃったのに、まだ吐き気が残っているような感覚……いや違うな。髪の毛の先が痒いような感覚とでもいったらいいのか。それもちょっと違う。
 そういえば前に、マンガかなにかで、事故とかで腕や脚を失くしてしまったひとが、とっくに失い腕や脚に痛みや痒みを覚えることがある、って話を見たことがある。それがもしかしたら、近いのかもしれない。
 いや、でも……その場合でも、自分はそこにかつて腕が、脚があった、ってことはわかっているわけだから、違うかな。
 とにかく、無くなったことだけが実感できて、なにが無くなったかはわからない。その実感だけが、肉体的な感覚みたいにはっきりと僕にはわかったんだ。
 そして僕には、それを感じた瞬間がお祖父さんの亡くなった瞬間なんだ、とわかった。お祖父さんが亡くなった途端に、この世界からなにかがひとつ、スパッと切り取られたように無くなってしまったと感じたんだ。
 そう、この世界から、無くなった。
 永遠に、失われた。
 僕はそれを、感じたんだ。

(続く)