かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

【#1 伯父さんのこと、お祖父さんのこと、そしてナカニシのこと。】-02

(承前)

「……っていう話、おまえ、信じてくれるかなあ」
 僕はナカニシに尋ねた。
 ナカニシは、ふーん、と言って、さっきから続けてることを相変わらず続けていた。
 といってもナカニシは、ものすごく特別なことをしているわけじゃない。
 ナカニシは、ルーズリーフの用紙に鉛筆でなにかを書いていた。でも、ナカニシがなにを書いているのかは、僕にはわからない。だって紙は、もうすっかり真っ黒になってしまっているんだから。
 放課後の教室。そこにいるのは、僕とナカニシだけ。
 僕たちは、よくそんな風にいっしょにいた。特になにをするでもなく、ただいっしょにいるだけだ。それでも僕たちは、いや、少なくとも僕は、そんな時間がけっこう気に入っていた。
「つまりさ、昌史。おまえは誰かが死ぬってことを、他のやつらとは違うかたちで感じることができるってことだろ」
 ナカニシは言いながら、真っ黒な紙にまだなにかを書きつけている。
 それは、ナカニシのちょっとしたクセのようなものだった。
 最初はそれは、普通の紙だ。そこにナカニシは、これといって意味もないことを書いていく。それは、その日に新しく習った英単語のこともあった。ナカニシが気に入ってるロックバンドの名前や歌詞だったりすることもあった。先生の似顔絵だったりもした(これがけっこう巧かったんだ)。
 そういうものをどんどん書いていく。最初のうちは白い場所に順々に書いていくんだけど、そのうち新しい場所がなくなる。それでも書く。当然、一度もう書いたところに重ね書きすることになる。どんどん書くから、しまいには紙は真っ黒になってしまって、そこになにが書かれていたのか、今ナカニシがなにを書いているのか、全然わからなくなる。
 それでもナカニシは書き続けるんだ。
 一度、聞いてみたことがある。黒いところに黒いものを書いても意味ないじゃないか、って。なんでそんな無駄なことするんだ、って。
 ナカニシは『ふふん』と笑って、答えてくれなかった。
 僕は、黒い紙の上に鉛筆を滑らせるナカニシの手元を見るともなく見ながら言った。
「んー……。ちょっと違うんだよな。誰かが死ぬことに深い関係があるのは確かだけど、誰かの死を感じるためにあるもの、って気はしないんだよなあ」
「じゃあなんだろうな。誰かが亡くなる、するとなにかが無くなる。でもなにが無くなったのかはわからない……」
 僕はナカニシに、アレのことを話したんだ。
 ナカニシとは、中学校に入ってから知り合った。アレの話をしたのはお祖父さんが亡くなった少し後のことだから、ナカニシとの仲も半年以上にはなっていた勘定だ。
 ナカニシは、ちょっとおとなびたところのあるやつで、一部の男子からは“気取ってやがる”って言われてた。でも僕は逆に、ナカニシのそんなところが好きだった。
 ナカニシは、頭がいい。本をいっぱい読んでるし、少なくとも僕よりはいろんなことを知っていて、いろんな考え方をもっている。
 だから僕は、ナカニシならなにかわかるんじゃないか、なにか知ってることがあるんじゃないかなあと思って、アレの話をしてみたんだ。
 でもナカニシは、僕の話にあんまり興味がある風じゃなかった。
「だいたいさぁ、昌史。おまえはなにかが無くなったって言うけど、それがなんだったか説明できないんじゃ、仕方ねえじゃん。そもそも無くなったものなんか無かった、っていうこともできるだろ」
「まあ、ね」
「それはだから、たとえば、おまえが亡くなったひとに感じていた愛情とか関心とか、そういうものなんじゃねえの?」
「んー……違うと思うんだよなあ。なんかこう、もっと普通のことっていうか」
「普通のこと、ねえ。でもそれ、おかしいぜ。普通のことだったら辞書に載ってるだろ」
「そうだよな。そのはずだと思う」
「でも、辞書を見てもわからないんだろ」
「うん……多分。調べてみたわけじゃないんだけど」
「ま、いきなり辞書見たって、これだ! なんてわかんねぇかもしれないけどな。それでも、いくらひとがひとり亡くなったからって、もう印刷されて在る辞書の中身が変わるなんてことはあり得ない」
「その通りだよな」
「てことは、その感じ……アレってのは、最初からなかったか、昌史の中にしかなかったもの、って考えた方がスジが通る」
「……まあね」
 僕は少しイラついた。ナカニシが僕の言うことを信じてないのかな、と思った。
 まあ、ナカニシってやつは、万事こんな調子だった。だからその時も、特別に強くイラつくってことはなかった。でも、通じないっていうのはなんだか悔しい。
「じゃあナカニシは、俺が言うことはウソか夢みたいなもんだ、って言うのか?」
 僕が言うと、ナカニシは手をとめて、僕を見た。
「……そういうわけじゃないんだけどな。別に、昌史を疑ってるわけじゃない」
 僕はその時、ああ、と思った。自分で妙に納得した。僕はナカニシの、こんなところも好きなんだ、と。
 ナカニシは、僕がわりと真面目な気分になった時には、すぐそれを悟ってくれて、ちゃんとこうして真っ直ぐに向き合ってくれる。僕をバカにしたり、適当に受け流したりはしない。ナカニシはそれだけ敏感で律儀なやつなんだ。僕や、ナカニシをやっかむガキじみた連中とは、ひと味もふた味も違う。
 ナカニシは、口の中で音をゆっくり練るような口調で、ことばを選びながら言った。
「俺にはさ、昌史の言うことがよくわかんないんだよ。無くなるってことが、さ。だってそうじゃん? そうしょっちゅうなにかが無くなってるんじゃ、世の中、不便すぎる」
「不便?」
「うん。たとえばさ、それが言葉で言えるものだったとしたら、その言葉がなくなっちゃうってことだろ? 困るじゃん。……あれ、見ろよ」
「あれって、どれだよ」
「あれだよ、あれ」
「だから、あれって……」
「こういうことだよ。言葉があれば言えるわけだろ“床に落ちてる黒板消しを見ろよ”って。もしも誰かが死ぬたびにことばが消えていくんだったら、終いにゃ何も話せなくなる……何も考えられなくなる」
「考えられなくなる?」
「そうだよ。考えるってのは、頭の中でことばを組み合わせるってことだからな」
 言ってナカニシは視線を落とし、また黒い紙に鉛筆を滑らせ始めた。
 僕は、なるほどな、と思いながらナカニシを見ていた。
 その時僕は、なんとなく思った。ナカニシが黒い紙に黒い鉛筆で書いてるのは、ナカニシのことばと、ナカニシがことばで組み立てた頭の中身そのものなんだ、と
 ナカニシはいつもそうやって、自分の頭の中にあるなにかを、どんどんかたちにしていっていたんだ。紙が真っ黒なのは、ナカニシの中にそれだけいろんなものが詰まっているからだし、真っ黒になっても続けるのは、ナカニシがそれでもことばを組み合わせることを――ものごとを考えるということを続けているってことなんだ。
 そして僕は、感じていた。
 ナカニシに、感じていた。
 確かに、感じていたんだ。
 でもそれも、感じられなくなった。
 ナカニシがいきなり死んだのは、そんな話をしてから一週間ぐらい経った頃だった。
 交通事故だった。ナカニシがひとりで下校する途中、免許取り立てのオバサンが運転する車が歩道に突っ込んできて、ナカニシを跳ねたという。即死だったらしい。
 イヤな予感はしていたんだ。ナカニシが亡くなった日、僕は、ひどい頭痛がしたんで学校を休んだ。でも、なんだか学校に行かなきゃならない気がしていた。普段だったら、あんな頭痛の時には学校なんか絶対に行きたくならないのに、その日はとにかく行かなきゃと感じていた。
 でも起き上がると吐き気までしてきたし、一応は制服を着て途中まで歩いてはみたんだけれど、半分も行かないうちに立っていることもつらくなってきて、家に戻った。
 なにかありそうなんだ、なにか起きそうなんだ……だから学校へ行かなきゃ。そんな気がしていた。でも行くことができなかった。できずにベッドで横になっていた。
 そしてナカニシが、死んだ。
 そのことを知ったのは、その日の夜だった。緊急連絡網で、ナカニシの通夜の話がまわってきた。
 でも僕は、驚かなかった。
 ああ、これだったのか。
 そんな気がして、むしろ納得していた。
 だって僕は、感じていたんだから。
 またなにかが、無くなった。誰か僕の身近なひとが亡くなったんだ。それを僕は、前の二回よりも、よほどはっきり感じていた。
 それがナカニシだったと知った時は、そりゃ、全然なにも感じないなんてことはなかったけれど、でも僕は納得してしまったんだ。
 学校へ行かなきゃ、っていう気持ちになっていたのは、行けばナカニシの下校のタイミングがずれるかもしれなかったから……かもしれない、とも思った。
 そして僕は、はっきりと知った。
 確かに、無くなってる。
 あの日僕がナカニシに“アレ”のことを話した日、僕がナカニシに感じたこと。
 いや、その時だけじゃない。僕はナカニシといっしょにいたり、ナカニシのことをなんとなく考えたりする時、たいていその感じを覚えていた。
 でも、ナカニシが亡くなった時からは、それが無くなった。ナカニシのことを思い出しても、あの感じは思い出せなくなった。
 ナカニシとともに、あの感じは、やっぱり消えてしまったんだ。
 僕はすごく寂しかった。

(続く)