かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

【Ringo the Wight/#3-05】

(承前)

 先を行くのはケイとユーリー、それから半歩あとにリンゴー。他の四人は、さらに数歩あとに続く。ビルの隙間の路地をくねくねと進みながら、前のふたりとリンゴーの間には小声での会話が続いている。
(……俺たちには、聞かせてくれねえのかよ)
 追いかけながら、リクは不満に思っていた。
 多分、目指すビルのセキュリティや、さっき言った“重要な役目”のことを打ち合わせているのだろう。リンゴーの得体の知れなさ――というより、握り込んでいる隠し球の多さには、驚くことが馬鹿馬鹿しくなるほどのものがある。だからきっと、この打ち合わせから出てくる作戦も、信頼できるものに違いない。
 けれど……。
(俺たちにも……俺にも、それを聞かせてくれたっていいじゃんかよ)
 リクには、それが不満だった。
 自分だって知っていたい。いや、誰よりも先に知る者でありたい。
 だいたい、これまでにしたって知らないことが多すぎた。
 たとえばヴィレンの過去のこと。エイミのこと。ヤクザたちのこと。……それが最初からわかっていたとしたら、自分だってもっと役に立つことができていたはずなのだ。
 いや、未だにわかっていないこともある。なぜリンゴーが、この街の者でも知らないような過去のことを、たった一日で調べあげられたのか。エイミのことにしてもそうだ。どうすればヴィレンさえなかなか気づかなかった薬漬けのことを、あっさり知ることができたのか。
 秘密が、多すぎる。知らされていないことが、多すぎる。
 そうして三十分ほどが過ぎた頃、ケイとユーリーが足を止めた。ケイが言う。
「……この角を曲がって十分ちょっと歩けば、目指すビル、TTA08なんだ」
 ユーリーが、角の向こうに顔を出さないようにして後を続ける。
「部屋は二十六階のセクションC、01から76までを全部ヤクザたちが独占してる。使われてるのは01から27までだ。ボスを含めた幹部連中は、01から10までの部屋にいるはずだ」
「セキュリティはさっき説明した通りになってる。かなりしつこい設計になってるから、エイミを捜し出すのはちょっとやそっとの手間じゃないかもしれない」
 ふたりが交互にしゃべる、その口調には余裕と昂揚が感じとれた。どうやらリンゴーが道々与えた作戦に、早くも興奮しているらしい。
 リンゴーは、様子を窺おうと角の向こうにひょいと首を出した。途端に全身が、いかにも驚きましたという風に、わずかだが、跳ねた。
 首を引っ込めた後、その首を小さく左右に振りながら、リンゴーはしみじみと呟いた。
「いやはや、こいつは驚いた。このブロックにも、こんな場所があったとは」
 ケイとユーリーは、リンゴーがなにに驚いたのかがわかったらしい。目を見合わせて、にやにや笑っている。
 ケイが言う。
「リンゴーさん、ここはAブロックなんだ。まがりなりにもね」
 リンゴーは目を丸くして頷き、「確かに」とだけ答えた。答えてから、小さな咳払いをひとつした。自分自身の驚き方への照れ隠し、のような仕種だった。それで落ちついたのか、リンゴーは、ケイとユーリーを振り返ると両手を伸ばし、ふたりの肩を同時に掴んだ。
「じゃ、言った通りに頼むよ。これは、キミたちにしかできないことだ。でも、くれぐれも熱くならないようにね。このプレイには、クールさが必要なんだから」
 ケイとユーリーは、それぞれに力強い笑顔で「ああ」「わかってる」と答えた。その表情には、自信と誇りが滲み出ている。ほんの一時間少々前とは、まるで別人のようだ。
「じゃ、俺たちはここから引き返す」
「まさかあんたにミスはないと思うが、それでも幸運を祈るぜ」
 それぞれに言うと、ふたりはさっと身を翻し、今来た道を走って戻っていった。

「さて……」
 リンゴーは、残った四人を見た。
「もう目の前が敵陣だし、多分そこいらには下っぱもうじゃうじゃいることだろうけど、ちょいとここで時間を潰しますかね」
「なんだってぇ!?」
 リクは目を丸くした。
「ここまで来といて、いったいなんで!?」
 リンゴーがウィンクをして答える。
「焦りなさんな大将。作戦だよ。すぐに行動を興しちゃ、いけないんだ。四十分……いや、三十分。少なくとも、ケイとユーリーが、TTAブロックの外れでチームの仲間と合流するのを待たなくちゃいけない」
 リクははっきりとした苛立ちを顔に浮かべた。唇を少し歪め、リンゴーを睨みあげて言う。
「……それ、気に入らないんだよな。その作戦とやらを、これから突入する俺たちが知らないってのは、ヤバいんじゃないの?」
「知れば落ちつくってもんでもないでしょ。知らないでいた方がいい、ってこともあるよ」
「俺は知りたいんだよ!」
 思わず声を荒らげたリクに、リンゴーは、しーっと言いながら指先を唇に当ててみせた。
「もう敵陣なんだからね。大騒ぎはなし」
「でもよ!」
 勢い込むリクの肩を、ヴィレンが後ろから叩く。振り返ったリクに、ヴィレンは言った。
「リンゴーさんを信じろ。今のリーダーはリンゴーさんだ。リーダーの言うことに従えないやつに、行動を共にする資格はない」
「……そりゃ……そうだけどさ……」
 リクは大きく息を吸い込んだ。そして、吸い込んだ息をゆっくり吐きだしながら、リクは再びリンゴーを見た。
「……じゃあ、違うことを訊く。どうせ時間待ちなんだろ? その暇潰しに、俺の問いに答えるぐらいは、いいはずだ」
 リンゴーは、仕方ない、という顔になって言った。
「今は言えないこともあるんだ。質問次第というところで勘弁してもらいたいところなんだが、いいかな?」
 リクはいいとも悪いとも言わず、問い掛ける。
「まずリンゴー、あんたどうして、俺も知らなかったような街の過去のこと、たった一日で調べられたんだい? それに、旧い十七チームのリーダーたちを、どうやって脅しつけたんだ? あと……」
 まだしゃべり続けようとするリクから顔を背けるようにし、両手を前に突き出して制しながら、リンゴーは言った。
「わかったわかった、とにかく……ひとつだけ、答えよう。旧いチームのことだが、とりあえずはそれでいいかな?」
 リクは黙っている。
「まあつまり、情報のやりとり、なんだ」
「情報?」
「旧十七チームが、ヤクザの侵攻をまったく知らなかったと思うかい?」
 リンゴーの言葉に、リクより先にヴィレンが反応した。
「まさか……やつらは知ってた、っていうんですか!?」
 リンゴーはまた唇に指先を当ててから、先を続ける。
「知っていた、とまでは言えないけれど、知らなかったとも言えないってところだね。少なくとも、ヴィレンが薄々勘づいていた程度には勘づいていた。そして中には、もっとしっかりとヤクザに接触していた者も、いる」
「じゃあ、なんで俺に報せてくれなかったんですか!」
 声がどうしても大きくなる。クラークがヴィレンの肩に手を乗せ、宥める。
「四人、だね。四人が、クスリとオンナに手を出していたんだ。当然、ヤクザが準備し、あてがったものさ。ああ、でも、それが誰とは言わないよ――これは、彼ら四人との約束なんでね。
 もっともヤクザたちは、クスリについちゃ、二発めからはかなりの高値をふっかけていたらしい。それで中毒には至らなかったんだが、とりあえずヴィレンに対しての距離ってものは、できてしまったわけだ」
 ヴィレンが、恐ろしいほど険しい目で、ヤクザのボスがいるだろう方向……少し先の高いところを睨んだ。そのヴィレンをなだめるように、リンゴーは言った。
「とにかく、これについては、彼ら四人を追求しないでやってほしい。誰であるかを探ることも含めて、ね。彼らにも隙はあったが、けれど彼らばかりが悪いわけじゃないんだ。ヤクザがそれだけ狡猾だったってことだよ。
 ……で、俺は、その“事実”を知った。そして彼らに、知ったということを知らせた」
 クラークが、うんうん、と頷く。
「子細はわからんが、その手の弱みを握られたら、逆らうわけにもゆくまいな」
「そういうわけです。あとは簡単、『これが最後のチャンスだぜ』って言ってやるだけ。種を明かせばごく単純なことだよ。ただし……」
 リンゴーはリクを見た。
「くれぐれも、四人のリーダーたちを責めちゃいけない。彼らもまた、被害者なんだからね。そして彼らはもう充分に後悔している。これ以上、追求する必要はない」
 リクには、リンゴーが目で再び“許せ、信じろ”といっているのがわかった。
(リンゴーがそういうのなら、きっと間違いのないことなんだろう。みんな、ちゃんと自分の罪がわかっている、ってことなんだろう……)
 でも。
 ひとつ謎が消えたかわりに、また新しい謎が生まれてしまった。
 リンゴーはなぜ、そんなことまでを知ることができたというのだ。
 四人のリーダーたちにしても、決して迂闊に過ごしていたわけではあるまい。誰にも秘密が漏れないよう、充分以上の注意を払っていたはずだ。それなのにリンゴーは、あっさりとそれを探り当ててしまった。
 いったい、なぜ、そんなことができるのか。
 たとえばリンゴーが、以前からヤクザの暗躍を追っていた司法局員だとでもいうのなら、納得できなくもない。けれど、それだけの調べがついているのなら、とっくに合法的な手段でヤクザを排除しているはずだ。わざわざリクやヴィレンとともに殴り込みをかける必要など、ない。いや、麻薬を使った咎でチームもついでに挙げてしまえば、“まともな世間の人々”をいっそう喜ばせることができるだろう。
 それとも、司法局とは無関係で、ヤクザ組織――フジマ連合と対立するどこかの組織との結びつきがあるのだろうか。いや、それでもリクたちと関係を結ぶ必要はないはずだ。もしリクたちを、単なる現地採用の兵隊として使うつもりなのであれば、信じるだのなんだのという回りくどいやり方を採る必要は、ないだろう。
(……まさか!?)
 リクの頭に、とんでもない可能性が閃いた。

(続く)