かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

【Ringo the Wight/#3-06】

(承前)

 まさかリンゴーは、実はフジマ連合そのものと繋がっているんじゃないのか。
 味方のふりをしているだけで、ヴィレンやリクを罠に嵌めようとしているんじゃないのか。
(いや……いや、そんなことは……)
 ない、はずだ。それはない……でも。
(なぜ)
 リンゴーはなぜ、俺たちにこんなに肩入れしてくれるんだろう。
 必然性ってものが、希薄すぎないか。
 確かに飯は食わせた。寝床も提供した。けれど、その代償としては大きすぎるものを、すでにリンゴーは支払っている。撃たれた激痛などは、その代表格だ。
 そういえば、その後の行動にも不審な部分が多い。
 だいたい、飯を食う金もなかった男が、どうして今時は滅多に見つからないという旧式のコンピュータを、あれだけまとめて手に入れられたのだ? もし普通に買ったのだとしたら、その代金は少なく見積もっても数か月分の生活費になるはず……。
(いや、でも)
 信じるんだ。信じるしかない。エイミが囚われてるんだ。彼女を救い出す方法は、リンゴーしか知らない……リンゴーなしじゃ、エイミは助け出せない。今は、信じるしか……信じるしか、ないじゃないか。
 けれど……。
 このままずっといたら、なにもわからなくなりそうだ。早く行動を興したい。体を動かしていれば、考えずに済むはずだ。早く行動を興したい。
 苛立つ。落ちつかない。不安だ。気分が悪い。足が地についていないみたいだ。
 時間、早く過ぎてくれ……。
 ――リンゴーは、旧チームとのやりとりのことだけを話した後、黙り込んでしまった。
 ヴィレンもまた、静かだ。
 クラークもセトも、無言でいる。
 長い、長い、長い待ち時間。リンゴーが手術されていた時よりも長いような時間。
 何時間もが経ったような気がする頃に、やっと声が聞こえた。
「さて」
 リンゴーが腕時計を見ている。
「いい頃合いだ。行きますかね」
 待ちに待ったゴーサインのはずだった。けれどリクは、その声が頭の上を通り過ぎてゆくような、奇妙な感覚にとらわれていた。
 声は、聞こえているのだ。それなのに、言葉が耳に入ってきている気がしない。
 信じる。その覚悟は、あるはずだ。けれど、体がそうはいっていない。反応してくれない。
 どうすればいいのか、わからない。……信じさせてくれ、俺に、あんたを。どうか、信じることのできるなにかを、見せてくれ……。
「ああ、ちょっと待ってくれんか」
 言ったのはクラークだった。リンゴーが顔を向け、応じる。
「なんですか、先生」
「うむ、突入を前に、ひとつだけ確かめておきたいことがあってな」
 クラークが咳払いをひとつ、する。もったいぶっているというより、言い出しあぐねているようだ。「うむ」とか「あー」と、幾度か言葉を選んで逡巡した後、クラークはゆっくりと、言った。
「おまえさん、なんだってこんなに、こいつらガキどもに贔屓してくれとるんだね」
 リンゴーが、ん? という表情になる。クラークは額に大仰な皺を集めて、言った。
「ああ、いや。俺はな、このガキどもが気に入っとる。こいつらは、生きとる……生きようとしとる。それで俺は、こいつらのいるこの街も気に入っとるんだし、逆にヤクザどもが気に入らん。医者として、奴らのような病巣は摘出するに限ると思っとるわけだ。
 だが、ふと不思議になってな。この街に居着いとる俺はともかく、通りすがりのおまえさんが、どうしてここまでこいつらに贔屓してくれとるのかがな」
 リクは心の中で叫んだ。
(そうだ先生! 俺もそれが訊きたいんだ!)
 リンゴーは、うーん、と唸った。
「なんででしょうねえ。俺にもよくわかりません」
(誤魔化す気か!?)
「ただね……ひとつ、はっきりしてることは、ありましてね」
「ほほう」
「俺も、彼らは生きていると思います。そして俺は、死なないが生きてもいない」
「なんだね、そりゃあ」
 リンゴーは一瞬、目を伏せた。伏せた目元に、寂しさめいたものが、微かに浮かぶ。
「生きている者に、出会ったこと……生きているということの実際を、はっきり感じさせてくれる者に、出会ったこと。それに対して、今なにかをしないで、いったい俺はいつ、なにをやりゃいいってんでしょうかね」
「ふむ……」
 クラークは腕を組み、ため息をついた。
 そのまま、わずかに時が流れてゆく。
「……まあ、いいだろう」
 クラークは腕組みをしたまま、首をぐるりと回した。コキコキと硬い音が鳴る。
「何世紀も生きてきたようなやつの頭の中には、俺には到底想像もつかんことが、いろいろとあるらしい。だが、ただひとつだけ、とてもよくわかったことがある」
 リンゴーが、「は?」と間抜けに訊き返した。途端にクラークが、にーっと笑った。
「おまえさんが、こいつらを好いとるってことだよ。それがわかれば、充分だ」
 クラークの笑顔に引きずられるように、リンゴーも笑い、そして、言った。
「……ま、そういうことです。じゃ、行こうかね、みんな」
 リンゴーが歩き始めた。クラークが、ヴィレンが、セトが従う。
 そして、リクは――
(……それがわかれば、充分……か)
 不思議なほど、頭の中がすっきりしていた。
 多分、大丈夫だ。今なら、信じられる。いや、もう信じている。
 どうやら理屈じゃないらしい。リンゴーは隠しごとはしていても、嘘はついていない。それがはっきりとわかったから、もう、大丈夫だ。
 今の目的はひとつだけ、エイミを助け出すこと。そしてその指揮は、リンゴーに任せておけばいい。自分はそれに従えばいい。
 信じて、従えばいいんだ。
(それに……)
 その先を頭の中で言葉にまとめかけて、けれどリクは、やめた。

 リンゴーたち五人は、ケイたちが教えてくれたビルを目指して、TTAブロックの大通りを歩き始めていた。
 先頭を行くのはリンゴー。数歩遅れてヴィレンとセト、その一歩後にクラーク。リクは、そのさらに後を歩いている。
 かなり広い道だ。幅は二十m以上もあるだろうか。車道とはっきり区切られた歩道には、人の往来が絶えない。肩が触れ合うような密度でこそないものの、それでも視界には常に数十の人影が入り込んでくる。
 リクは周囲をきょろきょろと見回しながら、かなりの戸惑いを覚えていた。
(ずいぶんと……すげえ場所、なんだな)
 さっきのリンゴーの、首だけを突き出してこの道の様子を見た時の驚きが、リクにも充分、理解できていた。いや、あるいはリクの方が、よほど驚いているかもしれない。
 活気がある。それも、くすんでいない活気が。この街はちゃんと、生きている。
 リクは、閑散として滅多に人を見かけないようなTTIブロックの裏路地で暮らしている。そこで見知らぬ姿があるとすれば、それはすべて獲物か敵だ。ただ一度きりすれ違うだけの者が、こうも多く、敵対することもなく歩いている光景というものには、慣れていない。
 周囲がやたらと明るいのも、違和感に拍車をかけていた。この辺りは、街灯の数こそTTIブロックと大差ないものの、見上げると三十階辺りの“天井”、百m上の第二の地表に、けっこう隙間があるようだ。どうやらそこから、かなり自然光が入り込んできているらしい。
 TTIブロックはもちろん、リクが生まれ育ったTTRブロックでも、“天井”には、ほとんど隙間がなかった。第二の地表がびっしりと空を塞ぎ、街灯が放り出すだけの光で照らされる街は、全体が年中、薄暗いのだ。
 けれどその薄暗さが、リクにとっては当然のものだった。だから、これだけ明るい場所では、それだけで落ちつかなくなる。さすがに、眩しくて目を開けていられないということはないが、なにか自分が、ひどく場違いな者であるような気がしてくる。
 人通りの多さや明るさに加えて、車道にぱらぱらとではあれ車の姿があるというのも、リクには見慣れない光景だった。しかもそれは、ゴミの回収車や薄汚れたバスの類ではなく、いわゆる乗用車の類、おそらくは個人の所有になるだろうものなのだ。もっとも、どの車も所詮は“下”の車、炭素燃料を使う内燃機関を備えた、つまり煤煙を吐き散らしながらごろごろ走る安価な車でしかなかったが。
 目指すビルは、エリアの中心であるTTAブロックの中でも、中央に近い場所にあるビルだった。それはまさしく“本部”でチーフが調べあげてくれたビルだ。その姿は、やや遠いものの、もうはっきりと見えている。今の、さして早いとはいえない歩調で進んでも、辿り着くのにあと数分とかからないだろう。
 左右に並んでいるビルは、外壁こそ汚れくすんでいるが、造り自体は曲線を基調にした、かなり気取ったものばかりだ。TTIブロック辺りの、単調な直線ばかりで構成されたビル群とは、だいぶおもむきが違う。それは、これから新しい街を作ろうという気概を、そのまま映し込んだような造作といえた。
 そういう場所に、暴力を背負って傲然と居を構える、ヤクザたちという生物――。
(もしかしたら、人間、ってやつの、どうしようもねえ部分ばっかりを練りあげて固めたもの、なのかもしれないな)
 リクは、そんなことを考えるともなく考え、また周囲を見回しながら、歩いていた。

(続く)