かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

魔少女・由衣 闇狩り【#1】誕生−01

「ねえ由衣。コレちょっと見てくれる?」
 制服が夏服に変わったばかりの頃の、ある日のこと。
 朝のホームルームの後、授業開始までのわずかな時間に、膝の上で開いた鞄へ頭を突っ込むようにして授業への支度をしていた天宮由衣(あまみや・ゆい)は、すぐ横から同じクラスの浅見舞唯(あさみ・まい)に声をかけられて、勢いよく顔をあげた。
 その拍子に、由衣の短めの前髪がふわりともちあがり、涼しげな額が一瞬、見えた。
 舞唯は、少し離れた席から、いつの間にか由衣のすぐそばまで近づいてきていた。その手には、小さい本のような物が握られている。
「なに? それ、舞唯のヒミツの日記?」
 由衣は椅子に座ったまま、舞唯の手の中の、奇妙な風合いを備えた物を見た。
 由衣の大きな瞳が、きらきらと光る。その目の輝き具合は、珍しい玩具を見つけた時の童女のそれと、同じ類のものだ。
 由衣の言葉に舞唯は、あきれたような口調で言った。
「馬っ鹿ァ。今どき、ヒミツの日記なんかつけてるヤツなんか、いるワケないでしょー。それに、もしつけてたとしても、あたし見せたりしないもんね。たとえ由衣が相手でも! だってあたし、そんなにガキじゃないしぃ。ほら、よく見てよこのカラダ。充分にオトナでしょ?」
 言って舞唯は、由衣の目の前で体を捩り、片頬にわずかな笑みを浮かべて、しなをつくった。
 舞唯の舌足らずな口調は、まだまだ子供っぽくはあった。けれどもその肢体には、確かに、高校二年生にはとうてい見えないほど女らしい、いや牝じみた魅力があった。
 そう、牝じみていた。
 舞唯の身長は、百六十センチメートルにも足りない。だが、重たげに実った乳房は、Eカップのブラジャーでも収まりそうもないほど大きい。尻もまた、制服のスカートを押しのけて膨らみ、少女らしからぬ充実を誇っている。それでいてウェストはくっきりと括れているのが、野暮ったい制服のライン越しにもよくわかる。
 由衣は舞唯のそんな姿を眩しそうに見上げて、唇を尖らせた。
「……そんなモンあたしに見せつけて、どうしようってのよ」
「へっへー、悔しがらない悔しがらないっ」
 舞唯が腰に手を当てて、胸を反らす。邪気なく自身を誇るポーズが、見事な乳房をいっそう際立たせる。
 そのポーズに誘われ、改めて彼女の体を見直した由衣は、確かに少し悔しい気分になっていた。自分が、かなり幼く思えてしまったからだ。
 由衣は、身長こそ舞唯よりわずかに高いが、まだ膨らみ始めといった感じの胸も、細い腰も、女どころか少女、いや、少年めいた雰囲気しか備えていない。
(……いつの間に、こんな差がついちゃったんだろ?)
 由衣は、ここ一か月ほどの間に何度も繰り返した独り言を、思わず頭の中で呟いていた。
 そう、大きな差が、由衣と舞唯の間には生まれていたのだ。
 由衣と舞唯は、中学生の頃からの友人だ。知り合った頃は、二人とも同じような体格をしていた。そして、つい半年ほど前まで、それは変わらなかった。ところが舞唯は、この数か月ほどの間に、驚くほどの速さで“女”へと変貌を遂げていた。由衣を置き去りにして、だ。
 とはいえ、それで二人の仲の良さが損なわれることはなかった。由衣の悔しさは、そのまま素直な羨望であり、憧憬でもあったからだし、また成長した舞唯の姿は、由衣にとって、自分もやがて至るべき姿の、ごくわかりやすいモデルだったからだ。
 むしろ、由衣にとっての舞唯との距離は、舞唯の変貌のおかげで、いっそう近づいたともいえた。違うということは本来、ひととひとを結びつける力になるものなのだ。
 そう、舞唯と由衣は違う。たとえば、服装の趣味や髪形も、由衣と舞唯とでは、以前から百八十度違っていた。舞唯は、一歩学校を出ると、それこそ大人の女のようにきらびやかな服を着る。由衣は、ジーンズにTシャツとか、キュロットにポロといった服装を好む。髪形は、舞唯がカールのかかったロングで、由衣はストレートのショートだ。
 この二人が私服姿で並んで歩く様子は、幼いカップルのようにも見えるらしく、以前からしばしば冷やかされたり、もの珍しげに眺められたりしてきていた。舞唯が急激に大人びてきた最近は、さらにその度合いが増している。
 由衣にとってそれは、舞唯との仲の良さを認められたようで、くすぐったく嬉しいものなのだった。それにしても……
(ホント、いつの間にこんな差がついちゃったんだろ?)
「ねえ由衣! なにぼんやりしてんのよっ。これ、見えないの?」
 舞唯が、手の中の物を突き出しながら言った時、由衣はきょんとした表情を見せて、ようやく我に返った。
「あ、ごめん」
 由衣は慌てて、舞唯が手にしている物を、しっかり見直した。
 それは、相当な年代物に見えた。手帳というには大きいが、かといって、いわゆる“本”としては小さい。厚みはないものの、本革のような素材で装丁されたそれは、見るからに頑丈そうな造りをしていて、重さもかなりありそうだ。
 舞唯が、少し声の調子を落として言った。
「これねぇ、実は、お爺さんの遺品なのよ」
「いひん? ああ、そういえば舞唯、先月、お爺さんが亡くなったって言ってたね」
「うん。それで、お爺さんの持ち物、整理してたんだけどさ。その中に、これがあったの」
「じゃ、お爺さんの日記……にしちゃ、薄過ぎるかぁ。中、見ていいの?」
「なんでそんなに日記にこだわるかなあ、由衣は。もちろん、中、見ていいよ。見てもきっと、なんだかわからないと思うけど」
「ちょっと見せて」
 由衣は、舞唯からそれを受け取った。実際に触れてみると、それは意外に軽かった。
 元は暗い茶色に染められていたらしい表面の革は、あちこちが擦り切れて本来のバフ色を晒け出している。そこが手垢に染められ、さらにまた擦り切れて……といった具合に幾重にも重なった色が、なんともいえない雰囲気を放っている。
 表紙の部分には、おそらく最初は金箔が押されていたらしい紋様があった。けれど、それもまたすっかり剥げ落ち、押された跡が窪みとなって残っているだけだ。
 由衣は、ゆっくりと表紙を開いてみた。
 中を覗くなり由衣は、素っ頓狂な声を出していた。
「なぁにィ、これぇ?」
 舞唯が頷く。
「でしょ? ワケわかんないよね」
 中には、かなり黄色く染まった紙が一枚、挟みつけてあるだけだった。つまりそれは、本というよりも、やたらと重厚に造られたファイルといえる物だったのだ。
 挟まれた紙は、かなり厚ぼったく、不思議な腰と手触りをもっていた。
「これ……この紙って、外国の昔話とかに出てくる、羊皮紙ってヤツじゃない?」
 尋ねた由衣に、舞唯が答える。
「多分、ね。それに、書いてあるのも日本の言葉じゃないし」
 舞唯の言う通り、その羊皮紙らしい紙には、セピア色の奇妙な形の文字がびっしりと書き込まれている。いや、文字だけではなく、どこかで見たことがあるような不思議な懐かしさのある図形も、いくつか書きつけられていた。
 しげしげとそのファイルを見ている由衣の様子に、舞唯は、嬉しそうな表情になって言った。
「で、ねぇ。なんとなく、捨てるのがもったいなくてさ。前、由衣って、アンティーク小物が好き、みたいなコト言ってたでしょ? だから、こういうの好きなんじゃないかな、って思って、持ってきてみたんだ」
「そうね……。なんだか、部屋の隅っこに置いとくだけでも、素敵っぽいね」
「じゃ、それ、由衣にあげるよ」
「えっ? でもコレ、お爺さんの……」
「気持ちワルイかなぁ」
「うーん……ちょっと、ね。でも、確かにいい感じなのよね……」
「じゃあ、決・ま・り。それ、由衣にあげる」
「ホントにイイの?」
「いいっていいって。どうせ、ウチに置いといたって、捨てられちゃうだけだし」
「……よし! もらった!」
「うふふっ。じゃ、今日、帰りにさ、ディップトップKのジェラート、おごってよね」
「あーっ、舞唯、きったなーい! 最初っからそれが目的だったんだぁっ。元手いらずで手にいれた本で親友にジェラートたかるなんて、ちょっとセコ過ぎるようっ」
「なに言ってんの。たかがジェラートで、それだけ雰囲気のあるアンティークがもらえるなんて、いい話じゃないよぉ」
「もう、舞唯ってばぁ……いいよ、でもシングルだかンねっ」
「げ。由衣のがセコいっ」
 二人は、高く透き通った声で笑った。その笑い声は、朝の慌ただしい空気が満ちた教室の隅で、他の生徒たちの声にまぎれ、すぐに消えていった。

(続く)