かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

#1045

 なにかを護りたいと思うということは、ランキングをおこなったということだ。現状が異なる状況に変化したらという想定がまずあり、現状の方が好ましいとランクづけをおこなったから、護るという結論になる。
 護るという行為は通常、変化をもたらす要素の排除によって実現される。従って護りたいと思うことは、護りたい対象とそれへ干渉するなにものかのランキングともイコールだ。
 当たり前のことだって? そうかな。その当たり前の執行が、他者の“護りたい”を侵すことになるってことには気づかないのかな?
 然り、自分がなにかを護りたいと思うことは、しばしば誰かの護りたいものを侵すことになるんだよ。というより、ほとんどの場合でそうなる。
 にもかかわらず自分の“護りたい”を実現するってことは、誰かと自分の間にランキングをおこなったってことになるわけさ。その結果、自分を選んだから“護る”が実行されるわけだ。
 それも当たり前だって? そうかな。君はそんなに大したものなのか? 他の何者をも押し退けて在るにふさわしいものなのかな? そのランキング、本当にちゃんとやったのか? 単に自己保存の本能にまかせただけの、つまりは人間としての思考をさぼって選ぶつもりもなく残っただけの選択肢になっちゃってるんじゃないのか?
 それは本当に、自分ののぞみと誰かののぞみを比較するってことを、ちゃんと遂行した結果なのか?

“護る”ことは正当な理由になんかならない。
 それは誰かのためじゃなく自己実現の一形態に過ぎないし、その自己実現すらただの言い訳かもしれないってことだよ。根っこはウイルスがよそんちの塩基を食い荒らすのと大差ないことかもしれないってことだ。