かどいの『I'm in Rock!-Ⅱ』

ある文筆業者(分泌業者ではない)の生存証明。基本的に毎日更新。

「ここ最近」とか言うヤツぁ

 ダメなヤツである。
 断言。

「ここ最近」という語(あるいは表現)は、どう考えてもおかしい。
 この語は「ここ」+「最近」という組み立てになっている。
「最近」の意味をちょっと古い広辞苑で調べると、こう説明されている。

さい-きん【最近】①現在の時日・位置に最も近いこと。②近ごろ。近来。

 そもそも「最近」という語自体、「最(も)」「近(い)」という二語の組み合わせでできている。
「近い」というのはものごとの離れ具合をあらわす語であって、これは「話者にごく寄った」(距離がない)状態をいう。
 それに程度を示す「最も」がつくことで、「話者にとって比べられるものがないほど距離が短い範囲」を指すことになる。
 だから、近年はあまり見ない例だが、すぐ手もとにある物を「最近にある」と表現することができる。「最近にある筆記具が鉛筆だったためこれで覚え書きをしたため」など。
 最近では、時間の範囲を示すのに使われることが多い。というより、ポンと「最近」の語が出てきたらそれは時間の範囲の話だ、というほど時間についての用法の方が専らとなっている。
 未来に対して使うことも当然可能だが(『最近の予定としては、明日に近くへお伺いする要件があります。それに合わせてそちらへも寄らせていただきましょうか』など)、このところの用法としては過去に対して使われることが多い。
 その傾向に則していえば「最近」とは、

《現在を起点とした過去の、話者にとってそう離れていない頃合い》

 のこと、になる。
 期間の限定がないのはポイントで、話者の都合次第で過去数日間を「最近」と表現することができるし、過去数年間を「最近」ということもできる。
 以前、友人と古生物学方面の話をしている時に「最近の大きなクライシスイベントは」なんてことになり、それがK-Pg境界の件で、およそ6550万年前の話だったのにはさすがに笑った。地質学的スケールにおいては、数千万年前の出来事も最近の話になる。

 一方「ここ」の意味を広辞苑で調べれば、こういう記載がある。

こ-こ【此所・此処・此・是/他】[代] ①話し手が「これ」とさせるような範囲の場所。このところ。この場所。②自分のいる所。③「ここ」として話題に提示する事柄・状態。④時の経過の中で、今を中心とした、ある範囲。

 ④に注目だ。
 これ、まるっきり「最近」とかぶっているではないか。

 だいたい「ここ」というのは、話し手を中心とした、物理的イメージとしては手の届く範囲、せいぜい怒鳴らない声が届く範囲のことだ。
 話し手のいるその場、あるいはそれに近い範囲、ということ。もちろん範囲に限定はなく、およその範囲は上記の通り体感的なものとして認識される。
 これを時制に適用すれば、「ここ」=「最近」なのだ。
 だから、この二語を重ねることに意味はない。いにしえの昔とか武士の侍とか馬から落ちて落馬するとか骨を折って骨折してとか頭痛でアタマが痛いとか、そういう言い回しと同じ。
 もちろん表現には、重ねて使用することで意味を強調する例がある。だが「ここ最近」は強調にならない。
 なぜならどちらの語も範囲を限定しない漠とした言い回しだからだ。漠としたものを重ねて漠とした点を強調したいというのは、これはもうなにもいわないのと同じで、だったら黙っていればよい。文学的にはアリだが、残念なことに文学的な作品で「ここ最近」なんて文字列に遭遇したことは、不勉強で申し訳ないものの今のところはない。

 もちろん「ここ」にほかの語を加えた過去の時間の表現は、ふつうにおこなわれる。
 その場合、「ここ」の意味を補う内容を添えて意味を強化することが多い。
「ここ一週間」「ここ一年ばかり」は、「現在を起点とした過去一週間」「現在を起点とした過去一年ほどの間」という内容で、これは相互に補いあっている。
 ただ「一週間」とした時はいつの一週間かわからないから最近の、ということで「ここ」を添える。一方「ここ」の語にとっても、それが数分間のことか、はたまた地質学スケールでの「ここ」なのかを明確にできるという強化がある。
 だが「ここ最近」はまったく同じものを重ねただけだから、なんの強化にもなっていない。

 どうも思うに、上掲のサンプル「ここ一年間」のような用法に倣って、ごく近い期間を述べたいという気持ちから、「ここ最近」という言い回しが出てきたように思う。
 だがそれは上記の通りまったく意味をなしていない。スタイルだけ借りた無意味な言い回しだ。
「ここ最近」という語は、そういう“スタイルだけ借りて今風にしゃべってます、もちろん意味なんか考えちゃいません”というものに聞こえて(見えて)仕方がない。
 少なくとも意味の上ではこの通りまるで必然性がないわけで、語ひとつずつの意味を知り考えながらしゃべっていれば、こんな表現は出てきやしないのだ。

 例外的に、話者に「ここ」または「最近」に、とても限定的な条件がついている可能性はあるとは思う。その話者にとって「ここ」とは二週間以内のことだとか、同様に「最近」は過去一か月間のことだといった独自の定義がある場合だ。その場合には確かに「ここ最近」には期間限定の強化がおこなわれている。
 だがそれは一般的な定義ではない。
 もうひとつの例外として、話者には「ここ最近」の最近のほか「ここではない最近」という概念があるのかもしれない、というものがある。つまり数年前の最近とか、百年前の最近という概念。だから「ここ」を添えているのかもしれないという可能性がある。
 だがそれって「最近」という語がふさわしい話なのか? 「十年前のある期間」の方がわかりやすいんじゃないか。というより、「ここ最近」に対応する過去の“最近”、たとえば「そこ最近」なんてのは見聞きしたことがないし、しても意味がわからないだろう。
 だから結局、結論は同じ――どうも話者はことばによる伝達をちゃんと考えてはいないようだ、ということになる。

 それゆえ「ここ最近」なんて表現を見ると、俺はこう思う。

「この語り手(書き手)はきっと、見かけは気にするけれど中身はないタイプだ」

 もちろんそんな語から書き始められる記事は読まない。
 書き手の知性のほどが知れて、読んでもろくな内容には出逢えないと思うからだ。
 残されている時間は少ない。バカにつきあっているヒマはないのよ。