フォント
フォントって、けっこう重要なファクターだよね。
それ次第で、いろんなことが変わってくる。
日本語の表示、主流は明朝体とゴシック体。細かいバリエーションはあるけれども、基本的にはそのふたつに分類できる、はず。
で、それぞれには、単に字のカタチが違う、だけではない特徴があってさ。
明朝体は読みやすい。ただし、縦書き時限定。あと、黒の面積が少ないから、目に優しい。これはコントラストの問題だな。文字自体の印象は、ちょこっと暗い。
一方でゴシック体は、目に優しくない。コントラストの問題もあるけれども、それ以上に文字自体の放つ存在感の強さのせいがあると思う。ゴシック体には、力強さがあるのよね。大量に見ていると、そのパワーに負けてくる。でもって力強いぐらいだから、その印象は明るい。
この二種を本文に使う場合、やっぱりね、書くべき内容って違ってくるんです。
明朝体+縦書きの場合には、いろいろと濃い内容が書けます。つか、そういう内容が伝わりやすくなる、と思う。
ゴシック体の場合には、むしろ浮かれた内容の方がいい。ゴシック体で「人間の存在というものは」とか「死とは」とか書かれていても、あんまりぴんとこない。
ウソだと思うひとは、エヴァのアレが全部ゴシックだったらどういう印象になるか、頭ん中でシミュレートしてください。てゆうか、なぜ庵野氏が明朝を使ったのかを、考えてみてください。
だもんだから自分、仕事によって、表示フォント変えてるんですよ。
じっくり書ける、あるいは書くべき内容の仕事の時には、ワープロ(左様。未だに仕事にはワープロソフト使用、エディターじゃありません。なぜかというと、これが長くなるので、詳しくはいずれ気の向いた時に)の書式設定を変えて、フォントを明朝にします。軽いノリで書くべき時には、ゴシックにします。書いていてその方が、やりやすいの。
こら、そこ。「そんなことしてるから仕事が遅いんだろう」とか、「そんなとこにコダワってるから仕事が減るんだろう」とか言わない。心に刺さるよ。痛いよ。
……とはいえ、わかんない人にはわかんないみたいなんだよねえ、これ。
大昔、まだ自分が編集屋をやってた頃にさ、雑誌をゼロから立ち上げるってのをやったことがあるんですが、その時、協力してくれる編集プロダクションの人と打ち合わせをしてさ。
自分、こう言ったわけですよ。
「今回の雑誌は、とにかく読ませるものにしたいの。時代の流れから、行組みはどうしても横になっちゃうんだけど、でも字体は明朝にしたいのね。ゴシックだともうひとつ、浮ついた印象になっちゃうから」
すると、ダクション代表さんはこう仰いました。
「ゴシックが浮ついた印象? ダメだよ、かどいさん。自分の個人的な印象でそういうこと決めちゃあ」
はあぁ!?
いや自分マジで『あーこやつとはマトモな仕事はできねえな』と思いました。
以上、フォントはふぉんとーに大切なんだよ、という話。
途中、不穏当な発言もありましたが、その辺はご容赦を。